前回の続き…
故障して、弾けなくなった。でもある程度はしっかり弾いておかなきゃもっともっと弾けなくなる。ブランクは空きすぎると、後遺症が改善してもそれ以上に厄介な問題になりかねません。本当に弾けなくなっちゃうわ…
ということで、見切り発車でいいから休止解除しよう!と決心したのが昨年5/11。そのわずか4日後、新しいご縁(ソロコンサートの企画のお話)をいただきました。
演奏活動に復帰して初めて演奏会で弾いたのが昨年6月末ですが、とにかく弾ける曲を弾き込んで、壊れてしまった自分を丁寧に組み立てていこうという段階からスタートしました。
(復帰コンサート3回シリーズについてはまた後日書きますよ)
冬場とは違ってこの頃はすっかり暖かくなって身体も柔らかくなり、少々のことは耐えられる。
ちょこっとずつちょこっとずつ、負荷を増やしていって、元通りにはならないけど、症状を抱えながらでも工夫すればこんなにも違うんだ!と思いました。
元通りでなくたっていい。
新しい自分を切り拓くのだ。
これまでの経験のすべてを組み合わせて、変形させて、時にはいっぱい失敗してまた組み立てて…
そんな連続でゆっくりと。
少しずつでいいから、なんでも試してできることを増やす。
わぁ、だんだんと見える景色が明るくなってきたわ(^^)
こうして、何日もしないうちに回復を感じはじめました。治療や休養に専念…といっても、心が沈むばかりでかえって逆効果だったのです。監禁されたような気分だったので、これでは治るものも治らないわね。
身体の回復には心の回復が大切だと痛感しました。以前の私には戻れないけど、できることを積み重ねていけば、きっと素敵な未来が待っているはず!
こうして新たに始まりました。
ソロ休止期間にも、アンサンブルの仕事は続けていまして、条件として(体力的に)「弾ける曲」「毎日の練習に耐えられる曲」ならば引き受ける。そして必ず今の自分のベストを尽くすことを誓って演奏していました。
今でもそうですが、事故後の私の演奏からは「後遺症など全く感じない」と言われ続けています。
補償関連の話題で、事故の前後の演奏で弾けなくなった比較ができるなら、それが事故原因の後遺症の証明になるかもしれないけど…
なんて言われたこともあり、
へぇ〜、なるほどそういう発想があるのね…
しかし、
プロである限りは、明らかに故障だと聞こえる演奏などしません。一発勝負の本番にベストが出せるかどうかはまた別の問題として、無理ならその曲は弾かない。無理な曲の仕事は引き受けない。痛みや技術の限界が健康なときよりもうんと近くにあるわけだから、努力してできることにも限界があります。
一方で、故障をカバーする別の技をさがしたり、技術的に苦しい箇所は苦しくない聞かせ方を模索する…など、表現に対するやり方は無限にあります。
わざわざ「後遺症あります」なんて看板をつけて弾くわけじゃないし、どんな理由があろうとも、言い訳にするものじゃない。
このようにやっていると、
「ピアノ弾けるじゃんね」「どこが故障してるの?」
こう言われます。
「もうすっかり回復したのね。」
「・・・」
しかし、バレなきゃいいっていうことでもありません。やっぱりイメージをもったものはそのように弾いてみたいですからね。
表現を創造していくのにやり方は無限にある。本当はこういうテンポでこのくらいの音量で、こう推進力をもって、ここで思いっきりたっぷり味わいたいところだ…とか、設計図がありますけど、それが身体的に不可能ならば別の設計図をつくって、その中で最大限の工夫をするのです。
そこから新しい自分を見つけていくのでしょう。新しい可能性を見出して新しい芸術性と技術を身につけていく。
故障してると「=不良品」というとらえ方をされるのかしら?と、これも考えたことなかったことでした。
生涯をかけて成長していく、その過程すべてにおいて完成品などないです。完成と思ったらそこで進歩終了。より良い演奏をめざすということは、向上心にストップはないということ。その瞬間のベストを目標にし、達成されたならば次の瞬間にはそれはすでに未完成品となっているということだと私は考えています。故障してたってなんだって、そのときの自分にしかできない表現のベストを出していくというのが私のやり方です。
こうして、今は身体的な都合から可能性を追求するチャンスではありますが、やはり苦痛なくさわやかに演奏したいわ。
自分は「こういう」音楽を奏でたいのに、指先から鍵盤へと音楽が伝わる前に身体のあちこちでギクシャク…。
これがね、なんともつらいところです。
これが、今の私の口癖になっている
「弾けない」
という言葉の本音。
練習を重ねて「弾ける」感覚に近づく。今日は痛みがあって神経もなんだか遠い感じがあって、瞬発力落ちてるな…っていう日はとても多い。練習することで悪化させればまた「弾ける」から遠ざかる。故障がなければもっとスカッと弾けるのに…と悶々としますよ。
もっとガツンと練習したいものですよ。
例えば、故障中の陸上競技のアスリートがリハビリとかのために走っている姿があり、確かに走っていますよ、でも「走れる」と「記録を出せる走りができる」とは意味合いが違うでしょう?
一般人から見れば、故障していても走るスピードのレベルが違うでしょう。でも、ただ「走れる」というだけでは結果につながらないでしょうし、勝つための対策をして調整に調整を重ねて…こういう準備ができる体調であってこそ闘えるのだと想像します。
知らない世界のことを憶測で書いていてはいけませんが、私もピアノを弾くアスリートとして共通項があるんじゃないかな?という観点でこのように考えてみるのです。そして説明してみるのです。
<未来の私へ>
再び思いっきり弾ける日が戻ってきますように。そのころには今できない技術を身につけて待ってるから〜! ガツンとさわやかに、指とピアノが一体化したような感覚でピアノ弾ける日を、毎日の鍛錬でたっぷり準備して待ってるからね〜!