病院から一時帰宅をしてまずはドラッグストアへ。
簡易酸素室を作る為の材料を買いに。

帰宅してまずは昨夜から心配を掛けていたパパや友達に病状について報告メール。

小夏がいないことで止めどなく溢れる涙。

パパがいてくれたらパパに頼り甘えてばかりの私だけど、今の小夏には私しかいない。
誰かにすがりたい。
誰かに泣き付きたい。
1人で抱えきれない、、

弱音と不安で押しつぶされそうだった。

そういえば朝も昼も何も食べていなかった。
いや、何も飲んでもいないことに気付きお茶だけ飲んだ。

小夏のことしか頭にない。
小夏のことしか考えられない。

それから簡易酸素室をぶきっちょな私だけど一生懸命作りました。

どうか帰って来てね、小夏。
ママ頑張って作ったよ。

祈りながら願いながら。

しばらくすると病院から13時の電話。
先生
『劇的には良くはなっていませんね、、しかし水は少し抜けています。次のレントゲンを待ちましょう。』
『小夏はどうしてますか?』
先生
『こなっちゃんは寝てますよ。少し楽になったんだね。良かったね。』

劇的じゃなくていい。
少しづつでいいから水が抜けて危険な状況を脱出したい。

次のレントゲンまで5時間。
小夏、頑張って‼️
1時間1時間を乗り越えて‼️

電話を終え私は何故か掃除洗濯に夢中になった。
何かしていないと不安で怖くて平常心ではいれなかった。

メンタルが弱い自分を今回ほど情けなく感じたことはない。

昨夜一睡もしていないのだから眠ればいいのに、ベットに入っても眠れない。

ゆっくりゆっくり時間は過ぎた。
ゆっくり過ぎる時間がとても長かった。

約束の19時を待ちきれず30分早く病院に到着。

酸素室の小夏をそっと見たらねんねしていた。
先生と話していたら私に気付き目をパッチリ開けてママを見ていた小夏。

それからレントゲン撮影で先生が小夏を抱き上げようとしたら、パクっと噛んだみたいで、、
先生が『こなっちゃん噛む元気出て来たよ^ ^』と苦笑い。

あぁ、良かった。
レントゲンに期待が高まる。

が3回目のレントゲンでも劇的な回復は見れなかった。

いいの。いいの。
ゆっくりでいいの、と自分に言い聞かせた。

それでも水は少しづつ抜けているよ、と先生。
今夜峠を越せたら危機は脱出できると。

さあ病院にお泊まりか自宅に連れて帰るかの選択。
私は迷わずに自宅に連れて帰ります、と発していました。
究極の選択だったはずなのに自分でも驚きました。

私は寝なくても全く問題ない。
それより小夏が私がいることで安心してられるなら、最期が訪れたとしても小夏にはそれが幸せだと判断しました。

私は間違っていない。
お金がどんなにかかっても仕事を休んでも、13年間我が子のように育てた暮らした小夏をちゃんと最期まで見守ることが私の役目と思いました。

小夏を自宅に連れて帰り点滴と酸素の器材の設置も終わり、ママ手作りの簡易酸素室に入ってねんねしました。
昨夜のハアハアではなくイビキをかいて。

毎晩小夏のイビキで寝付けないことも多々ありましたが、昨夜は小夏のイビキを聞いてとても安心しました。
一昨日は一睡もできなかった小夏。
どうか今夜はママの側で一杯イビキかいておねんねしてね、、
ママは一晩中小夏を見ているよ。
安心してね。  

そして今夜を乗り越え一緒に朝を迎えようね。
発作なんて起きないから。
ママが退治してあげるから。
ママが戦ってあげるから。

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〜心臓病から併発した肺水腫  ③に続く