なしく、あわただしい世情の中で、四月九日、天皇はお亡くなりになりました。
七月、仏教を信じ日本に広めようとする蘇我馬子と、それに反対する物部守屋との争いは、さらに次の天皇をめぐっての争いによって頂点にたっし、ついに馬子は守屋を討つための軍勢をおこしました。
太子や皇子たちも、馬子と共に戦いましたが、物部守屋の軍勢は強くて進めません。太子の軍は三度もおいちらされました。その時、仏の加護を得るため秦河勝がぬるでの木で四天王像を造り、太子に手わたしました。太子は大変喜び、その四天王像に手を合わせ、「みほとけ、どうぞお守りください。もし、この戦いに勝ちましたならば、みほとけの教えを広めることを誓います。そして、お寺も建てます。」と祈りました。
戦いは何日も続きましたが、ついに物部守屋は矢にあたり倒れ、大臣蘇我馬子の軍が勝ちました。戦ののち、太子は四天王像との約束を守り、四天王寺建立を発願しました。
十七才 崇峻天皇元年、太子の母妃、穴穂部間人皇女の弟、泊瀬部皇子が天皇に即位します。
三月に、百済から二回にわたり貢物がとどき、その中には瓦を造る職人や、画を書く職人などが加わっていました。
十九才 崇峻天皇三年三月、百済に留学していた善信尼たちが帰国しました。
太子は、百済の話や仏教の話を聞くため、たびたび善信尼を訪れるようになります。
十一月、太子は元服の儀を行います。
二十才 崇峻天皇四年八月、天皇は、新羅から任那を取りもどすために、新羅征伐軍を起こし、二万六千の軍勢を九州に待機させました。
二十一才 崇峻天皇五年十月、天皇は日頃から権力をほしいままに横暴のかぎりをつくす、大臣蘇我馬子をこころ憎く思われていました。ある日、山でとれた猪が宮中にとどけられ、天皇はこの猪を指さして、「あいつの首も、いつか切りおとしてやる。」といって猪の首を切りおとしました。
この話を耳にした馬子は、東漢直駒をそそのかし天皇を殺害させます。そののち、馬子は駒を捕え、天皇を殺した大罪人として虐殺しました。
§ その七 二十二才から二十七才
二十二才 推古天皇元年、敏達天皇の皇后が推古天皇として即位されます。
天皇は太子に、「わたしは女ですし、学問もありません。天下を治めることは大変むずかしいことです。だから、あなたに摂政として、この国を治めるため、わたしを助けてほしいのです。」と、皇太子となることを命じられました。
摂政となった太子は、国を治めるのには、人の心を治めなければならないと考えました。そこで、人びとの生活ぶりを見るために、難波に出かけました。
難波の人々は、みな顔色も悪く目は血ばしっていて、あっちこっちに乞食がごろごろしていました。戦があったり、天皇がたびたび代わられるので、人々は心の支えをなくし働く気持ちを失っていたのです。
太子はこのことを天皇に報告して、「町には乞食があふれ、物部氏をしたっていた者はうつろな気持ちで暮らしています。人の道をのべるまえに、困っている者を救わなければなりません。」と、四天王寺と四箇院の建立を提案しました。四箇院とは、貧しい人々のためのもので、病人に薬をあたえる“施薬院”、病人の住む家“療病院”、人々に食べものをあたえる“悲田院”、仏の教えを伝える“敬田院”です。
天皇は太子の意見を取りいれ、四天王寺と四箇院の建立を命じられました。そして、三宝を敬うようにと命令をくだされました。
二十七才 推古天皇六年、太子は膳菩岐岐美郎女を妃としてむかえました。
この年四月、太子は良馬を求められ、数百匹の馬の中から甲斐の国より献上された黒駒で四脚の白いものを神馬として選ばれたのでした。九月になってこころみに黒駒に乗られると、みるまに雲の上に浮かび、東に向かわれ三日後お帰りになったのでした。従者は一人だけでしたが全くお疲れのようすもありませんでした。
§ その八 三十二才 冠位十二階を定む
推古天皇十一年十二月、太子は「冠位十二階」を制定しました。
「冠位十二階」とは、徳・仁・礼・信・義・智という六つの徳目(徳を分類した名前)を付けた冠に、それぞれ大小を設け、十二階としたものです。冠には順位によって色が定められていました。紫・青・赤・黄・白・黒で、徳目の大小によって、濃い色と淡い色とに分けられました。
今までの臣、連といった、代々家に伝えられる位とは違い、その冠位をうけた人一代限りと決められていました。天皇に忠誠を誓い、それぞれの行ないに応じて冠位がうけられたのです。この冠位制度は、太子が高句麗の制度を参考にして考えた、日本最初の冠位制度です。
天皇や多くの臣下達は、大変喜びましたが、この制度を心よく思わないものもいました。大臣蘇我馬子です。馬子は太子の制定した冠位には従わなかったそうです。
§ その九 三十三才 十七条憲法制定
推古天皇十二年四月、太子は日本最初の憲法を制定しました。十七条憲法です。
一条 和を以て貴しと為す。人と人とが、争わずに仲良くすることが、人間には、一番大切なことである。
二条 仏の教えは、なによりも尊い。皆仏の教えを信じなさい。
三条 天皇の詔は、かならず聞きなさい。
四条 役人は礼儀をつくすように。
五条 裁判は正しく行ないなさい。
六条 悪いことはこらしめ、良いことはすすんで行ないなさい。 〔続く〕