4月のおたより(2) | sho-chan-hitorigoto

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好きな本を読みながら日々感じたことをお便りにしています。

 私自身はアナログ人間なので自分ではできないから、若い編集者に頼んでいる。いままでは手に入れるのをあきらめていたような本が、北海道や九州の古書店にあって、注文すると一週間もたたないうちに届く。

 これには素直に驚く。ただしネットの検索はピンポイントが主で、こちらが探す本をあらかじめ知っておかないと利用できない。知らなかった本、思いがけない本を見つけるのは、やはり、実際に古書店に足を運ぶしかない。

 いま、ネットの便利さに慣れてしまい、古書店に行く回数が減ってしまったのは反省している。目録を作っている古書店も減ってしまい、これを読む楽しみも減ってしまったのは残念。

 

 第五章に「見よ、古本屋の豊穣なる世界」とあって、組合発行の「古書日報」にこれまで掲載された文章の傑作選が、中山信行さんの寸評つきで紹介されている。これが面白い。実際の文章を読みたくなる。

 品川力、山田朝一、内堀弘ら有名古書店主の他に、古本好きの俳優、松本克平、版画家の山高登らが文章を寄せていることを知った。古書好きで知られた文化人類学者の、山口昌男へのロングインタビューもある。

 読んでみたいと思うのは、映画好きの古書店主、野村泰弘の成瀬巳喜男『乱れる』論、中山信行氏によれば、「秀逸な成瀬論」という。

 また、白鳳書院鈴木吉繁の『上野文庫 駆け抜けた男』もぜひ読んでみたい。上野駅近くにあった上野文庫の「伝説の奇人古本屋中川道弘」について書かれているという。

 上野文庫は、東京本が充実していて好きな古書店のひとつで、よくここに行くためだけに上野に行った。東京本といっても学術本や名著のたぐいより雑本に近いものが多く、それがかえって貴重だった。

 さらに私などにうれしかったのは、昭和二、三十年代の日本映画の劇場プログラムが揃っていたこと。永井荷風原作の『踊子』(清水宏監督、一九五七年)や『「春情 鳩の街」より 渡り鳥いつ帰る』(久松静児監督、一九五五年)などのプログラムはここで手に入れた。あるとき、舞台版『墨東奇譚』(菊田一夫演出、山田五十鈴主演)のパンフレットを買ったら、なかに映画版(豊田四郎監督、一九六〇年)の山本富士子のお雪のスチール写真が入っていた。それをいうと主人はおまけにしてくれた。

 店の奥に座っている中川道弘さんとは、そのときくらいしか話をしたことはなかったが、客の目には決して「奇人」の印象はなかった。いつもテープで韓国の民謡を聞いていたのが心に残っている。平成十五年(2003)に六十三歳で亡くなられたという。

 三鷹の杏林大学病院に定期健診に行ったあと、三鷹駅の南口のビルにある三鷹市美術ギャラリーで開かれている「諸星大二郎展 異界への扉」を見る。

 デビュー五十周年と銘打たれている。もうそんなになるのか。

 諸星大二郎の漫画を見たのは、実質的なデビュー作といっていい「週間漫画アクション」の、昭和四十八年(1973)の増刊号に載った「不安の立像」。

 当時、駆け出しの物書きだった私は、同誌の若い編集者に「漫画の原作を書いてみないか」といわれ、この雑誌をよく読んでいた(ちなみに、漫画の原作は一度だけ、草野球漫画を書いたが、あまりぱっとするものではなく二度と注文はなかった)。

 そこで「不安の立像」を知った。

 都会のサラリーマンが通勤電車のなかからあるとき、線路脇にたたずむ黒い人間の姿を見る。真黒の立像で顔はわからない。満員電車のなかで、その影法師に気がついたのは「私」しかいない。気になった「私」はある日……。

 都会生活者の見る暗い幻影を描いていて、強く印象に残った。こんなすごい漫画に比べれば、私の草野球漫画など平凡きわまりないと納得した。

 以来、諸星大二郎の漫画は気になって読み続けている。とくに、「ビッグコミック」に載った「闇綱祭り」は忘れられない。怖く、それでいてどこか懐かしい。

 あるまちで昔から続いている神社の綱引きがある。まちの人たちが綱引きをするのだが、相手は大きな闇。

 例年は闇が勝ち、まちの人たちは綱を放してしまうのだが、この年はまちの人が勝ってしまう。すると、大きな闇が綱に引っ張られ、まちのなかに入ってゆく。闇が次第にまちを呑みつくしてゆく。

 現代のなかに民俗的な恐怖が入りこんでいる。闇という異界が日常に溶け込んでゆく。

 諸星大二郎の絵の特色のひとつは、「溶ける」ではないか。日常と異界が溶け合う。日本間の戸を開くと、大きな人間の顔があらわれる。桜の花びらが散り、よく見ると花びらに人間の顔が潜んでいる。その人間たちが溶けて異界のなかに吸い込まれてゆく。

 諸星大二郎の描く人間や妖怪は、くっきりとした線ではなく、ろうそくの火のようなゆらめきで描かれている。「溶けやすい」。そこから、ごく日常的な、身近かな恐怖が迫ってくる。

 諸星作品のなかでとくに好きなのは、(しおり)紙魚(しみ)子シリーズ。名前からわかるように、二人は本好きの女子高校生。

 栞は新刊書店の娘、一方、紙魚子は古書店の娘。この「宇論堂」という古書店は、自殺のマニュアル本とか妖怪本とかの珍奇本ばかり扱う。この二人が、毎回、奇怪な出来事に遭遇する。ただし、二人ともどこかとぼけたところがあり、怪奇を描きながら決しておどろおどろしくない。ユーモラス。

 例えば、第一作の「生首事件」。二人の住むまちでバラバラ殺人事件が起きる。公園のゴミ捨て場のごみ袋に人間の手足が捨てられていて、まちは大騒ぎになる。

 栞は、この捨てられた生首(男性の)を見つけ、拾ってくる。それを見せられた紙魚子は、店にある『生首の正しい飼い方』という本を持ってくる。二人はこの本を参考に、生首を水槽に入れて飼うことにする。日常と異常が、ごく当たり前のように融け合っているところに面白さがある。                        【後略】