4月のおたより(1) | sho-chan-hitorigoto

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好きな本を読みながら日々感じたことをお便りにしています。

 

〖ひとり遊びぞ我はまされる〗 川本三郎(平凡社)……②

 

 江戸の人は「時の鐘」で時刻を知った。幕府公認の「時の鐘」は、江戸では浅草の浅草寺、上野の寛永寺、築地の本願寺など九カ所にあった。市ヶ谷八幡はそのうちのひとつだった。

 それが現在では残っていない。明治維新の時に徳川ゆかりの寺社は破壊された。『追憶の東京』によれば、「新政府は徳川の時代は終わったことを明確にし、寺院が時の鐘を鳴らすことを禁止した」。

 市ヶ谷八幡の「時の鐘」はその犠牲になった。荷風は当然、そのことを知っていただろう。そして薩長嫌いの荷風は、江戸ゆかりの市ヶ谷八幡に思い入れをしていたに違いない。

 市ヶ谷八幡は荷風『つゆのあとさき』(昭和六年)にも登場する。主人公のカフェの女給、君江は多情な女で男出入りが多い。愛人の流行作家、清岡はあるとき、彼女の行先を探ろうとあとをつける。お堀端の本村町の下宿から出てきた彼女を追うと、近くの市ヶ谷八幡に登ってゆく。そして「眼下に市ヶ谷見附一帯の家を見下ろす崖上のベンチ」で男に会う。この神社の境内が格好の逢引きの場になっている。荷風は神社に来たとき、訳ありの男女の姿を目にして、それを小説に取り入れたのかもしれない。

 

 市ヶ谷八幡にお参りをしたあと、足を延ばし、四谷を経て、四谷三丁目近くの須賀町にある須賀神社に行く。初詣のはしご。

この神社は大ヒットした新海誠監督のアニメ『君の名は。』(二〇一六年)に登場したことでアニメファンの聖地になった。若い人が多いかと思ったが、コロナのせいか案外、静かだったのは幸いだった。

須賀神社から信濃町駅は近い。

信濃町駅の駅名は、実は永井荷風と関わりがある。永井家の始祖は、戦国時代の武将、永井(なお)(かつ)。その嫡男信濃守(なお)(まさ)は、江戸初期、現在の信濃町駅近くに居を構えた。そのため信濃町の駅名が付いたという。

 

古書店文化と諸星大二郎。

 「キネマ旬報」の営業にいた若い友人、宮里祐人君が、そのあと移った出版社も辞め、最近、小さな古書店を開いたのにはうれしく、驚いた。

 前からの夢だったという。宮里君は一人でチリの高峰に出かけるくらいの登山好きなので、山の本が中心だという。

 本が売れないこの時代、会社勤めを辞め、古書店を開店するとは、その英断に敬意を表したい。

 私の家から近い商店街は杉並区の浜田山だが、ここには以前、三軒の古書店があって、買い物や散歩の途中で、三軒に立ち寄るのを楽しみにしていた。

 それが気がつくと一軒ずつなくなり、現在はもう一軒もない。かわりにブックオフが一軒できている。古書店は本好きなら誰でも、自分でも開いてみたいと一度は思うものだが、実際に経営を成り立たせるのは大変なことに違いない。新しくこの世界に入った宮里君の健闘を祈りたい。

 

 映画の本専門の古書店として知られる三河島の稲垣書店の店主、中山信行さんから大著『東京古書組合百年史』(東京都古書籍商業協同組合、二〇二一年)を送っていただいた。東京古書組合は大正九年(1920)に結成され、昨令和二年に百周年を迎えた。現在、五百五十六名の組合員がいるという。

 結成百年とはすごい。日本の古書店文化の豊かさが、この数字にあらわれている。

 昭和四十九年(1974)に『五十年史』を刊行していて、それに次ぐものになる。「刊行の言葉」(理事長、河野高孝氏)に、「『五十年史』が生まれた時、『百年史』がそれに続くことをどれだけの人が想像しえたでしょう」とあるが、浮沈の多い出版界にあって『五十年史』に続いて『百年史』が作られたとは、古書店の底力の強さを感じさせる。

 この五十年間の大きな変化といえば、まずそれまでの古書店とはまったく違う、チェーン店を展開するブックオフが誕生したことだろう。こういう形態もありうるのかと、まさに意表を突かれた。ブックオフの登場は、一九九〇年代以降、出版点数がふくれあがったことを反映している。市場に本があふれ出した。その受け皿としてまず郊外に大型古書店があらわれ、それを真似るようにブックオフが登場した。

 いまや一大勢力となっているが、ブックオフは基本的には古書店とは違う。古書というより新刊割引といったほうがいい。古書店はブックオフの登場によって、自らのよさ、特色を改めて認識したといえる。

 それでもブックオフもあなどれない。本屋であることには変りない。私も文庫本などはよく買う。それと映画のDVD。思いもかけない映画が五百円ほどで売られていたりすると、つい買い込んでしまう。

 この五十年間の古書業界のさらに大きな変化は、なんといってもIT化というか、平成に入って組合として「日本の古本屋」という古書検索販売サイトを立ち上げたことだろう。

 古書店というと古臭いイメージがあるが、いち早くインターネットを導入した。本探しにインターネットはぴたりと合った。