神の愛の中でⅠ。 | 『透明』

『透明』

透明で在りたい。
どこまでも…
どこまでも…

透明で
ありたい。


今日は、こちらの内容を、
分かち合いたいと思います。






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神の愛の中で成熟すること(マイク・ビーグル牧師)



神が、私たちをどれほど愛したかについて、よく考える
ように、聖書は勧めている。


使徒ヨハネは、
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、
事実、いま私たちは神の子どもです。
御父はどんなに素晴らしい愛を与えてくださったことでしょう(Ⅰヨハネ3:1)」


と書いている。


霊的に成熟し、育って行く過程において、大切な基礎の中の一つは、
神が私たちを、どれほど深く愛しているか、


すなわち、私たちを神に導いていこうとする、その方の熱望
について、洞察力を持つことである。(Ⅰヨハネ4:19)


私たち各自に向けた神の情熱と、渇望の深さ、すなわち、
私たちの弱さと、未成熟の中でも、神が私たちを好まれ、
私たちが、理解していくことについて、


私たちは、疑いと定められた罪の鎖から、自由になる。
定められた罪と、羞恥心は、私たちが、
神に近付くことを妨害する。



今日、多くの聖徒たちの問題は、彼らへの神の愛についての理解が、
神の御言葉の真理ではなく、ある別のものに根差したものに
なっているということである。


ある人たちは、神が彼らに向けて、怒っているのか、悲しんでいるのか、
はたまた、喜んでいるのか確信できず、


混乱の中に生きている。


神を求める真実な聖徒は、神が彼らに怒ったり、あるいは、
彼らが、神と結んでる関係について、
神が絶え間なく、悲しんだりしている訳ではないということを
知るのは、重要である。



このような間違った考えが、私たちを、定められた罪と
羞恥心の中で生きるようさせる。



そう、神は、私たちが、人生の中で、
意図的に妥協する霊域について、悲しんでおられるのだ。


しかし、真実な聖徒は、そのような妥協を、
意図的に続けるよりは、自分の弱さを憎むのである。








私たちが、神を愛して、従順することを追求する時、
神は、私たちを愛らしく見てくださる。(雅歌1:5)


しかし、神が私たちを愛し、私たちとの関係を楽しんでいることが、
神が私たちの人生のすべての霊域を認めてくださっているという
ことではない。


私たちが、救いを受けた後、神はすぐに、恩恵の目で、
私たちを見つめ、
私たちとの関係を楽しんでいる。


しかし、完全な成熟に至り、従順の人生を生きられるようになるまで、
私たち各自が、経験しなければならない過程が、
まだ残っている。





神の訓練


神が、私たちの過去の失敗について、
「見よ。新しくなった」と言ってくださる間にも、


私たちの中にもは、完全な成熟に至るために、必ず砕かれなければならない
考えや行いの様相が、まだ存在している。




有名なキリスト教ロックバンドが歌った歌に、


「イエスは私の中に深く存在していたすべての悪いものを
ゆっくり変わらせてくれる方である」


という歌詞がある。


聖書は、神が、イエスを愛するように、心を決めた人たちを、
神の御言葉と聖霊によって、訓練することを
「聖化」過程と言っている。



ヨハネの黙示録3:19で、イエスはぬるま湯に浸かっていたラオディゲオ
教会の、妥協について語り、


弱さの中にいる彼らに向かって、イエスの心の内を、明かされたが、
「わたしは、愛する者を叱ったり、懲らしめたりする…」
と言われた。




私たちが、初めて、信者としてキリストの前に出る時、
神のすべての子どもが、霊的成熟の旅において、必ず、
このような、訓練過程を経験することを、
知ることが、重要である。



箴言の著者は、
「父がかわいがる子をしかるように、
主は、愛する者をしかる(箴言3:12)」
と言っている。




ある聖徒たちは、救いの初期に感じる喜びと楽しみを味わった後、
イエスを信じるが故に、罪が消え去ったと思っていたのに、


再び、罪と闘う自分に気が付く。


今だに、多くの聖徒は、神は、
私たちが、最も弱くて、攻撃されやすいところにいる時でさえも、
私たちを喜ばれていることが、理解することができないのである。



私たちが、苦しみの中で経験していることは、
神から見て、完全な人として「育つ」ために、
必ず必要なことなのである。(エペソ4:13)


実際、私たちが、このような警戒を受ける過程(弱さと妥協に直面して、
悔い改めの変化へと進んでいる過程)の中にいることは、

神が、私たちに向けて、神の恵みと熱心さを、あらわすことである。


「訓練と思って耐え忍びなさい。神は、あなたがたを子として扱って
おられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、
私生子であって、ほんとうの子ではないのです(ヘブル12:7~8)」




神が、このような訓練過程を、積極的に導くことは、
私たちをその方の、大事な子として扱っている証拠である。


神は、
「私たちをご自分の聖さにあずからせようとして」
私たとを訓練させ、神についてもっと多くのことを、
啓示として伝えながら、神との関係を深めて行くことを


喜ばれる。



神の警戒は、神が、私たちを、深く面倒みてくれ、諦めていないという
ことを意味する。








彼は懲らしめがないために死に、
その愚かさが大きいためにあやまちを犯す(箴言5:23)


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この内容は、まだ続きます。
続きは、次回アップさせて頂きたいと思います。





最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
明日も、素敵な日を、お過ごしください。



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