メイド・イン・イタリーの創始者(ローザ・ジェノーニ) | 色彩認定講師カラリスト三本由美子(Fiore Rosso)のブログ

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「色」に興味のある方、「イタリア」に興味のある方,イタリア語を学んでいるカラリストの立場で、「色」と「イタリア」に関する事柄を綴っていきたいと思います。
お伝えした記事でいづれかの、あるいは両者への興味が増して頂ければ幸いに存じます。

ローザ・ジェノーニ(Rosa.Genoni )と 

「ルネサンス」芸術(L’arte rinascimentale) 

と装飾技術(Il tecanica di decorzione)

 

一般的にモードは、700年前から、機能しているといわれます。イタリアのモードは、14Cに他国から影響を受け自国のファッションと混ざり合い生まれ変わりました。モードを先導していたのは、16C後半にスタイルや色を決定していたのはスペインであり、17C~19Cには、フランスでした。

 

イタリアはといえば、1870年、「イタリアはパリの呪縛から解き放たれ、自国のモードを確立させねばならない」と始めてイタリアがフランスの支配から抵抗したのです。この流れは、第2次大戦後のメイド・イン・イタリーの確立に繋がっていきました。

 

 

その後、「メイド・イン・イタリー」は世界中からもてはやされました。その始まりは女性デザイナー:ローザ・ジェノーニ(Rosa.Genoni)からだと言われています。

 

ローザ・ジェノーニは生粋のイタリア人であり、純然たるイタリア・スタイルを確立したイタリア・モードの創造者なのです。

ミラノの人道主義協会(Sociaeta Umanitaria)の女子職業学校では、服飾史の教師として、専門的な技術を有する女工を養成するのに貢献していました。

モードを通じて女子労働の再評価と外国崇拝の蔓延に対するイタリア制の支持を果たすため、イタリア産業を活気づけ強化する使命があったのです。

 

ローザは、20初頭イタリアのモードのきっかけとなる服を製作しました。そのインスピレーションの源となったのが、ルネサンスであり、ボッティチェッリの「プリマヴェーラ」やピサネッロの作品でした。  

 

    

     ボッティチェッリ「プリマベーラ]  

 

ローザ・ジェノーニのイブニングドレス

              ウィキメディア・コモンズより

       

 

「プリマヴェーラ」とジェノーニの作品(ボッティチェッリの春からインスピレーションを得た服)を比較すると

「プリマヴェーラ」の地色は「白」に近く、ローザの作品は「ピンク色」である。前者では、春に咲く花をテーマにしているので、沢山の花が描かれていますが、ローザの方は1種類の花に絞っています。

ローザの作品の特徴は、淡いバラ色の絹からなるサテンの服の上にアイボリーのチュールをまとっている。そのチュールには真珠やスパンコールを金糸で縫いとっている。(参考:16Cカトリーヌ・ド・メディシス(メディチ家の末裔)がフランス王家に嫁いだ時に「レース」をフランスに持ち込んだと言われています.

つまり、伊では、16Cにはすでに装飾技術が成熟していたという事実があります。ジェノーニは、イタリアが他国より勝っている装飾技術をこのドレスに豊富に使用しているのです。:イタリアでは、各地の職人技を習得する為の専門学校が数多く設立され、装飾芸術とモードの関係はより密接だったとの背景がありました。(つまり、刺繍や織物、レースは、1906年、ミラノ・トリエンナーレに出品され、注目を集めていました。)

 

 彼女は、イタリアが誇るルネサンス芸術を参考にし、自国の装飾技術を洋服に生かし、名を挙げたのでした。つまり、自国の誇れる物を融合し、新たなファッションを作り、世界に挑戦したのでした。

 

 

参考文献

・ムッツアレッリ イタリア・モード小史 

       伊藤亜紀 山崎彩 田口かおり 河田淳訳 池泉書簡 2014