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耳下腺腫瘍のあとさき

のんびり観劇を楽しんでいた私が思いもかけなかった
「耳下腺腫瘍」を患ってから始めたブログです。
完治のご報告をもって終了するのが目標です。

しこり体質というものがあるのか。

毎年市で実施されているがん検診を受けている。
4年前の問診時に「甲状腺が少し腫れている」
とのことで検査指示がでた。

受診したM病院健診センターの医師は
「顔や手の大きさに個人差があるように甲状腺にも個人差がある、
少し大き目だけど今のところ問題ない。」
とののことだった
念のため1年後に再検査予約のお知らせが来るらしい。

1年後に受診、エコー検査後の診察は女医さんだった。
「甲状腺にしこりがいくつかあります、
腺腫様甲状腺腫の疑いですが心配はないでしょう。
自己抗体が陽性ですがこちらも
ホルモンが正常値ですので経過観察で大丈夫でしょう。」
また1年後に検査を受けることになった。

いつの間にいくつものしこりが出来たんだ。
確か1年前にはそんなこと言われてなかった。
だけど心配ないならまぁいいかと納得した。
またその1年後の受診で
「腺腫様甲状腺腫ですが良性ですので心配ありません。」
で経過観察、1年後再検査となった。


毎年9月に受けていた甲状腺検査だが今年は「耳下腺腫瘍」
手術でそれどころではなかった。
落ち着いたら予約を取るようにハガキが来ていたのを思い出した。
今までM病院健診センターで検査を受けていたが
私が選択したわけではない。
市からのハガキに指定されていたのだ。
M病院健診センターは遠いし検診が主で毎回先生が変わる。

調べてみると「腺腫様甲状腺腫」も基本的には良性だが
中には一部がんが存在していることがありキチンと
鑑別診断を受けることが大切です、となっていた。
そんなで一つの病院に統一したほうがいいのではないかと
お世話になっているS病院の内分泌内科を受診。

こちらも女医さんだった。
エコー検査後「甲状腺におできのようなものがいくつかあります。
腺腫様甲状腺腫と言われていたのですか…
半年後に検査入れて様子をみましょう。
血液検査はすべては出ていませんが出ている分は心配ないです。
甲状腺のがんは比較的治療しやすくゆっくりしているので
あまり心配しなくても大丈夫です。」

しこりから今度はおできになった。
よくわからないが感じとして少し小さくなったみたいだった。
1年でできたり小さくなったりと忙しい甲状腺。
経過観察なら良しということだ。
年齢を重ねることであちこち変化するのかな、
それは避けられない。


加齢とは、げに恐ろしき。




ここは田舎町だ。

都会と違ってまだ自治会が機能している。
大体10軒前後を1単位にして班を構成している。
私たちの班は以前12軒だったが今は7軒になってしまった。
独居で亡くなった方が多いが、
新居を別の地区に建てたりもある。
どこも同じようで編成し直す時期が来ている。

今までは昨年亡くなった母が隣保付き合いを
していてくれたのでのほほんとしていたが
今は私たちがやらなければいけない。
班の人たちは葬儀のお手伝いをする習わしだ。
最近は通夜・葬儀とも斎場で執り行われることが
多いので昔に比べると随分楽になったらしい。

昔は悲しみに打ちひしがれる遺族に代わり買物をしたり
慣れない家の台所で食事を作ったり
お悔やみに来る方たちの対応も全部したようだ。
普段の何倍もの食事の量で大変だったと聞く。


こんな地方の田舎町でも最近は直葬や家族葬も
あったりして葬儀も様変わりしてきた。
隣のおじさんは普通に斎場での葬儀だった。
ほとんど斎場の係員がしてくれるので手伝いといっても
男性が受付、女性が火葬場での待ち時間の
湯茶の接待くらいが役目だ。


連れ合いは葬式はいらないとと常々言っている。
実際問題どうなんだろうか?
人の手を煩わせるのがイヤなのだ。
お知らせもせず家族だけでおくるのか。
私は漠然と「えっ、あの人亡くなっていたの!」
って感じがいいかなとは思っている。
今まであまり真剣に考えてはいなかったが
母の葬儀を経験して大変さがわかった。
実際4kg痩せた、すぐに元通りになったけれど。


そんなに遠い将来でもない感じだから後代のためにも
もっとしっかり考えて決めておかなければならない。



「ピーポーピーポー」と救急車のサイレンが聞こえる夜10時。

消防車のサイレンも一緒に鳴っていたのがピタッと止まる。
連れ合いが「家の前で止まったみたいだから」と外に出ていった。
パジャマだったが続いて出てみるとやはり救急車と消防自動車
の2台が隣の家の前に止まっている。
最近は2台セットで出動してくるらしい。

前の家のおじさんが言うには「どうやらKさんが倒れたらしい、
救急隊員が心臓マッサージをしているみたいだ。」
Kさんは隣人で息子家族と同じ敷地に住んでいるけれど、
随分前に奥さんを急性白血病で亡くしてからは
別棟で一人暮らしだった。
彼は89歳だが車を運転するし、とても博識で元気だった。
よくいろいろなしきたりとかの教えを乞うた。

Kさんとは朝回覧板を持って来てくれてお話したばかりだった。
その回覧板は5件くらい先のYさん80歳の訃報だった。
彼女も最近ご主人を亡くされて独り暮らしになったばかり。
ポストに新聞がたまり洗濯物がずっと干したままになっているのを
不審に思った近所の人が通報して発見されたようだ。
亡くなって5日くらい経っていたそうだ。
彼女は着付けの先生で亡くなったという日も
教室で普通に教えていたという。

「いつどうなるか本当にわからないね」と
そんな話をKさんと朝したばかりだった。
息子さんが電気がいつまでも点いているのを訝って
様子を見にいったらトイレで倒れていたようだった。
病院にいったけれどそのまま帰らぬ人となってしまった。
不整脈が原因のようだった。
お悔やみにいったけれど寝ているようだった

市内で離れて暮らしている娘さんと言葉をかわして
「朝話したの?私なんてここ一ケ月くらい
父と話していなかった。」と言っていた。
この辺りも高齢化の波は押し寄せている。
子供世帯が都会にいって一人暮らしのお年寄りが増えている。
人知れず亡くなって行く人の話は枚挙にいとまがない。


「がん」だと死ぬ準備ができるとか言われているが
そうかも知れないと少し感じた。
別にうれしくはないけれどね。