ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

今日もこのブログにお越しくださり

ありがとうございます。

 

 

 

心理カウンセラー

ゆみっち、こと林由美です。

 

 


林由美のプロフィールはこちらをクリック

心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


なんでも、お気軽にお問合せください。
>>>お問合せはこちら
 

 

 

 

友人が

Facebookで

 

 

 

「子ども(小学生)が

朝になると、腹痛を起こして、学校へ行き渋る。

それが苦しくてたまらない。」

 

 

 

そんな投稿をしていました。

 

 

 

その投稿を見て

私は、そこから、いろんなことを思い巡らせていきました。

 

 

 

過去へ、タイムスリップしていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の兄が

そうだったんですね。

 

 

 

朝になると腹痛を起こす。

 

 

 

当時、兄は中学生。

 

 

 

本当に真っ青な顔をして、下痢をして、痛みでもがいてる。

 

 

 

親も、その都度

病院に連れていくのだけれど

 

 

 

どこも悪くない。

 

 

 

血液検査をすると

異常な数値が出るのだけど

 

 

 

検査入院を何度しても

やっぱり、どこも悪くない。

 

 

 

そんなことを繰り返すうちに

つけられた診断名は「自律神経失調症」でした。

 

 

 

親も、初めて聞く病名だったと思います。

 

 

 

当時(今から40年〜50年前)に

そんな病名を知る人の方が、少なかったんじゃないかな。

 

 

 

当時、小学校の低学年だった私にも

その病名は、なんとなくショッキングだった記憶があります。

 

 

 

(落ち込む親を見て、そう思ったのかもしれない)

 

 

 

「神経の病気なんやって」

「つける薬がない」

 

 

 

親が、

そんな言葉を言ってた記憶も、朧げにあります。

 

 

 

だからか

 

 

 

医療からも

世間からも

 

 

 

なんか

見放されたような感覚になったことを覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

その後

兄は、高校へ進学するのだけれど

 

 

 

一年も経たないうちに

その高校を中退しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

つい先日

私が実家に行ったときに、ふと、その話になり

 

 

 

(兄が、いつも腹痛を起こしてた話)

 

 

 

せっかく入学できた高校でも、

 

 

 

(親の憧れる高校に入学したので、親が大喜びしてた)

 

 

 

頻繁に腹痛を起こし

毎日のように、保健室へ行って正露丸をもらってた、と

 

 

 

兄は、懐かしそうな顔で

私に言いました。

 

 

 

私は、ギューーっと

心臓を潰されるような感覚になって

 

 

 

「もうそれは限界だよ。

絶対に限界に来てたんだよ。

 

それなのに、

毎日、正露丸をもらって授業に出てたなんて。

 

限界をとうに過ぎて、もう、無理だったんだよ。」

 

 

 

話を聞いてる私の方が

悲しくなってきて

苦しくなってきて

 

 

 

私が、

泣きそうな顔をして、そう言うと

兄は、少しだけ嬉しそうな顔をしました。

 

 

 

そして

 

 

 

「俺と同じように、

しょっちゅう、頭が痛いと言って、頭痛薬をもらいにきてた学生もいたな。

 

その学生とは保健室で、何度も顔を合わせてた。

でも、俺ほど頻繁ではなかった気がする。

 

アイツは、きっと、卒業できたんだろうなぁ。

俺とは違って、たぶん、卒業したんじゃないかな。」

 

 

 

と、兄が言うので

 

 

 

「ううん、きっと、その子も何かある。

 

たとえ卒業していたとしても

 

その後、

大人になってから

社会に出てから

 

絶対に、何かがあったはず。

 

その時の頭痛は

それぐらい、大きなサインだと思うよ。

 

その子も、限界に近かったはずだよ。」

 

 

 

 

私が、そう返すと

兄も、自分と重ね合わせたのか

 

 

 

 

「そうだろうなぁ、

 

きっと、いろんな形で、

人生に、その無理が出てくるんだろうなぁ。」

 

 

 

そして

私は

 

 

 

「兄ちゃん

 

 

兄ちゃんの時代は、

まだ不登校なんて言葉もなかったし、

不登校が、今みたいにメジャーじゃなかったし、

 

 

(今も、メジャーじゃないのかな?笑笑

私はメジャーだと思ってるけど?笑笑)

 

 

学校も、行政も、病院も、

今みたいに、まだまだ、考え方が追いついていなくて

 

 

それが余計に、兄ちゃんをしんどくさせたよね。

 

 

今は、

不登校の問題も

それによる、心身の不調も

 

 

かなり、世間や親にも、浸透してきてるけど

 

 

あの頃は

そんな考え方は、微塵もなかった。

 

 

やっぱり

どの世界も、パイオニアは辛いもんだよね。」

 

 

 

私がそう言うと

兄ちゃんは、笑っていました。

 

 

 

 

 

 

 

でね

私が今日、お伝えしたいのは、ここからなんです。

 

 

 

やっぱり前振りが長い。

 

 

 

 

 

 

 

 

さきほど、友人がFacebookに投稿した記事

 

 

 

「子ども(小学生)が

朝になると、腹痛を起こして、学校へ行き渋る。

それが苦しくてたまらない。」

 

 

 

これを読んでると

 

 

 

「ウチの両親はどうだったのだろう?」

 

 

 

そんなことを

ふと、思ったのです。

 

 

 

とりわけ、母ちゃん、ですよね。

 

 

 

母ちゃんは、どんな気持ちだったのだろう?と。

 

 

 

ましてや、兄の場合、

もともと障害があるのです。

 

 

 

その上に

頑張って憧れの高校に入学したのにも関わらず、それを中退するかもしれない

 

 

 

神経の病気?

そんな訳のわからない病名がついているし

 

 

 

やっぱり、毎日のように腹痛を起こしてしまう

 

 

 

そんな兄のことを、

どこまで心配したのだろう?

どこまで胸が痛かっただろう?

 

 

 

その当時、私は

小学低学年〜中学生ぐらい、でしたが

 

 

 

そのときの

母ちゃんの様子、母ちゃんの言葉、母ちゃんの表情を

 

 

 

できるだけ、思い出そうとしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、それが

あまり思い出せないのです。

 

 

 

私が思い出す、母の様子、母の言葉、母の表情は

どのときも

 

 

 

父への怒り

父への愚痴

父への恨みつらみ

 

 

 

それが、ほとんど。

 

 

 

ときどきは、もちろん、ありますよ。

 

 

 

兄のことを思って

 

心配している

苦しんでいる

困っている

悩んでいる

辛そうにしている

 

 

 

もちろん、そんな場面も思い出しますが

 

 

 

やっぱり

過去の母を思い出すとき

 

 

 

母の脳内を占めていたのは

母の言動を占めていたのは

父への不平不満と、父への怒り、がメインだった。

 

 

 

子どものときの私は気づきませんでしたが

 

 

 

今の私は

そのことを不思議に思うのです。

 

 

 

父への不平不満もわかるけど

父への怒りもわかるけど

 

 

 

だから

私は、大人になってもなお、つい最近まで

 

 

 

家族を不幸にしたのは、父なんだ、と

信じて疑わずに、今まで生きてきたのだけど

 

 

 

だけど

当時の兄の状況を想像すると(思い出すと)

 

 

 

母の脳内を、

兄のことが、もっと占めててもいいんじゃないか

 

 

 

母はもっともっと

兄のことを口にして、

 

 

 

悩んで、困って、泣いてても

不思議な状況ではなかったのではないか

 

 

 

それぐらい

当時の兄は、深刻な状況なのではなかったか

 

 

 

そう思いました。

 

 

 

(私の知らない所で、泣いてた可能性もありますが

当時の母は、私に何でも話してたし、

 

むしろ

苦しくて悲しい話は、私しか言う相手がいなかったはずなのです。)

 

 

 

父への不平不満

父への怒り

父への恨みつらみ

 

 

 

本当は、

それさえも、かき消すぐらいの苦しさが

 

 

 

当時の母には、あったのではないだろうか。

 

 

 

そんなふうに思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで

私の中に、ひとつ繋がることを見つけました。

 

 

 

母は

自分にとっての、本当の痛み、本当の苦しみから逃れようとしていたのではないか

 

 

 

と、いうことです。

 

 

 

父を使って、です。

 

 

 

父への怒りを使って

父への不平不満を使って

父への恨みつらみを使って

 

 

 

絶対に触れたくない痛み

絶対に感じたくない苦しみから逃げようとした。

もちろん、無意識に。

 

 

 

父を、隠れ蓑にしたのではないか、と。

 

 

 

父のことは、責めれるんですね。

 

 

 

こんなに酒癖が悪い!

こんなに女癖が悪い!

こんなに私は苦しい思いをしている!

 

 

 

だけど

兄のことは

 

 

 

おそらく、自分を責めてしまうのでしょう。

 

 

 

私が、障害を負わせてしまった?

そのために、学校に行けなくなってしまった?

そのために、訳のわからない病気になってしまった?

だから、高校も中退してしまった?

 

 

 

その自分責めが、あまりに苦しいから

父を責めることで、

父の悪事を責め立てることで

 

 

 

その苦しさから回避しようとしてしまう。

 

 

 

そして

本当に、

 

 

 

父への憎しみは増大していく

父への恨みつらみは強固なものになっていく

 

 

 

だけど

その憎しみも、恨みつらみも

本当のものではないから、(本当の部分もあるのだけど)

 

 

 

実際に離婚する、という話には

決してならない。

 

 

 

そこに、当時の兄とはまた違う

母の苦しみを見るのです。

 

 

 

兄たちの障害で

かなり自分を責めてきたのでしょう。

 

 

 

これ以上の

責めを引き受けられなかった。

 

 

 

だから

責める側に回ろうとした。

 

 

 

それはそれで、本当に苦しいだろうと思います。

 

 

 

(他者責めも、結局は、自分責めだから)

 

 

 

だけど

そうすることで

 

 

 

(父を悪者にすることで)

 

 

 

母ちゃんは、今まで、

ようやく生きてこられたのだとも思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら

兄も、どこかでわかってるのかもしれない、と思いました。

 

 

 

ちゃんと俺を見てくれ!

ちゃんと俺の心配をしてくれ!

俺から逃げるな!

俺から目を背けるな!

俺の苦しみを知ってくれ!

 

 

 

そんな気持ちが

ずっと昔から、心の奥に潜んでて

 

 

 

だから

兄は、今

 

 

 

ちょっとずつ、認知が進んできてる

母に対して

 

 

 

ちゃんとしろ!

忘れないように工夫しろ!

心配をかけさせないでくれ!

 

 

 

頼むから、

俺の気持ちをわかってくれ。

 

 

 

頼むから、

俺の言ってること、俺の気持ち、俺の存在を無視しないでくれ。

 

 

 

そんな気持ちを、胸の奥に秘めて

 

 

 

年老いていく母ちゃんに

厳しい言葉、厳しい態度を取ってしまってるんじゃないか、と。

 

 

 

今の兄と、今の母

かつての兄と、かつての母

 

 

 

それらの点と点が

 

(場面と場面が)

(思いと思いが)

 

 

 

繋がるように思ったのです。

 

 

 

そして兄もまた

母に厳しい、そんな自分を、今日も責めているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も責めてない

誰も責めてない

 

 

 

だから

責めないで、

責めないで、

 

 

 

兄たちの障害も、母ちゃんのせいじゃない。

 

 

 

兄の腹痛も、兄の高校中退も、兄の人生のつまづきも

母ちゃんのせいじゃない。

 

 

 

そして

年老いていく母の老後

 

 

 

幸せな老後にしてやれなかったことも

安心した老後にしてやれなかったことも

孫の顔も見せてやれなかったことも

いつも怒りつけてしまうことも

 

 

 

それも、兄のせいじゃない。

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

兄は

その後、夜間の高校を卒業して、

夜間の大学も卒業しました。

 

 

 

そのことを思うとき

 

 

 

学校に行くことが

必ずしも正解だとは思わない私ですが

 

 

 

どの道も、(回り道も、凸凹道も、遠回りも)

その人にとっての正解だと思いたいのです。

 

 

 

たとえ

それが、自分責めを回避しようとして、やってきたことであっても

 

 

 

そのために、父を責める、を使ったとしても

 

 

 

もし、そうなら

父もいい仕事をした、

父もいい役割をした、

 

 

 

ということなのです。

 

 

 

誰かを悪者にしてでも

そうすることで

 

 

 

それで

生き永らえるのなら

 

 

 

それが、正解なのです。

 

 

 

きっと誰もが

今、歩んでいる道、

 

 

 

今まさに、歩んでいる道が

過不足のない

 

 

 

唯一無二の、正解、なのです。

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

〜⚪︎〜⚪︎〜⚪︎〜⚪︎〜⚪︎〜

 

 

私の初めての書籍が

Amazonで販売中!

 

(電子書籍ではなく、ペーパー書籍です。)

 

タイトル

「安心な子宮から出た、不安な私」

 

(下記をクリックで、購入ページへとびます。)

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CLG4ZHQT

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下手くそなままインスタ始めました。

よければ、フォローを♡

↓↓↓↓↓

 

 

 

 

ゆみっち公式メルマガ

ニックネームでも登録OK♡

↓↓↓↓↓

 

 

 

 

7日間無料メール講座

「どこにいても安心できない」あなたへ

それは、あなたの大切なカケラを落としてきたから、かもしれません。

↓↓↓↓↓


 

 

 

 

不安でたまらない日

眠れない夜

自分はひとりぼっちだと感じてしまう時

 

この公式LINEに

気持ちを書き留めてみてください。

 

 

↓ポチッ↓

ID検索は@672laswm

 

 

私は全てに目を通します。
必ず返信をするとは限りません。

ただ書き留めるだけでも気持ちが和らぎます。

 

※LINE@に頂いたメッセージやご相談やご質問は、承諾なくブログなどに掲載する場合がありますので、ご注意ください。
(掲載の際、フェイクを入れたり匿名にするなど、個人を特定されないように配慮します)

 

 

 

 

 

 

旦那さんが主宰している

不登校・ひきこもり支援団体フリースクール阿波風月庵のHPです。

↓↓↓