ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

今日もこのブログにお越しくださり

ありがとうございます。

 

 

 

心理カウンセラー

ゆみっち、こと林由美です。

 

 

 


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心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


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苦しいことが起こったとき

嫌なことが起こったとき

我慢できないことが起こったとき

 

 

 

 

絶望するような出来事に、見舞われたとき

 

 

 

 

そんなときに

私たちが、つい口にするのは

 

 

 

 

「どうして?」

「なぜ、私がこんな目に?」

「私が何をしたっていうの?」

「なんで私なの?」

 

 

 

 

こんな言葉ではないでしょうか。

 

 

 

 

なぜ、こんなことが起きてしまったのか

原因が知りたくて

 

 

 

 

なぜ、私がこんな目に遭うのか

その理由を知りたくて

 

 

 

 

私を襲う、これらの苦悩が

私がしたことへの罰なのだとしたら

 

 

 

 

それは、いったい

私のどの行動なのか、聞きたくて

 

 

 

 

こんなにたくさん、人間がいるこの世の中で

どうして私だったのか

 

 

 

 

その意味を知りたくて

 

 

 

 

「どうして?」

「なぜ、私がこんな目に?」

「私が何をしたっていうの?」

「なんで私なの?」

 

 

 

 

こんな問いを延々と繰り返してしまう。

 

 

 

 

そして

きっと、どこかで、わかっているのです。

 

 

 

 

おそらく、答えは聞こえてこないこと

 

明確な理由は、誰にも分からないこと

 

もしかしたら、原因さえも存在しないこと

 

 

 

 

そんなことも

私たちは、多分、どこかで知っている。

 

 

 

 

だけど、今日も聞かずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから

聞いても無駄なんだよ、と、言いたいのではなく。

 

 

 

 

だから

質問しない方がいいよ、と、言うつもりもなく。

 

 

 

 

聞きたいだけ聞けばいい、と思います。

質問し続ければいい、と、思うのです。

 

 

 

 

自分が、そのことに疲れてしまうまで。

 

自分が、その問いかけをすることに、飽きてしまうまで。

 

 

 

 

聞き続ける。

問い続ける。

 

 

 

 

で、そのあと、なんですね。

 

 

 

 

今日、私がブログで書きたいことは。

 

 

 

 


 

 

 

聞くことにも

問い続けることにも、疲れてしまったら

 

 

 

 

そのあとは

「自分の気持ちを言う」のです。

 

 

 

 

そんなこと、とうにやってるよ!

って?

 

 

 

 

いやいや、ごめんなさいね。

やっていないはず、です。

 

 

 

 

本当に

「自分の気持ちを言ってる」人は

 

 

 

 

理由を聞いたりしないから。

原因を追求したりしないから。

 

 

 

 

むしろ

理由を知りたくなるのは

原因を追求したくなるのは

 

 

 

 

自分の気持ちを受け止められないから、なのであって。

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

「どうして?」

「なぜ、私がこんな目に?」

「私が何をしたっていうの?」

「なんで私なの?」

 

 

 

 

この言葉を繰り返しているうちは

 

 

 

 

自分の気持ちは受け止めていないし

もちろん、自分の気持ちを言えていない、

 

 

 

 

何よりの証拠、になってしまうのです。

 

 

 

 

なので

答えの出ない、その問いを

延々と繰り返すことに疲れてしまったら

 

 

 

 

そのあと、

「自分の気持ちを言う」ことに、チャレンジしてみてほしいのです。

 

 

 

 

もちろん

自分の気持ちが見えないと、言葉に表せませんよね。

 

 

 

 

最初から

スムーズに、スマートに、素直に

自分の気持ちを言える人なんて、絶対にいません。

 

 

 

 

そもそも、自分の気持ちが見えていないのだから

それを言葉にして言う、だなんて、土台無理なのです。

 

 

 

 

先ほども書きましたが

 

 

 

 

見えていないから

その原因を追求したくなるし

 

 

 

 

見たくないから

その理由を聞きたくなるのだから。

 

 

 

 

だから

ヘタクソでいいので

 

 

 

 

「問いかけ」「質問」「理由を聞く」言葉から

「自分の気持ちを言う」言葉へと

 

 

 

 

少しづつ、転換してみてほしいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして結局、

自分ではどうにもできない苦悩を抱える、私たちが行き着くところは

 

 

 

 

「祈る」

「お願いする」

「頼る」

 

 

 

 

しか、ないのかな、と思います。

 

 

 

 

苦しいことが起こったとして

嫌なことが起こったとして

我慢できないことが起こったとして

 

 

 

 

絶望するような出来事に、見舞われたとして

 

 

 

 

そのときの私たちは

どうしても、自分の気持ちを、すぐには受け止めきれません。

 

 

 

 

だけど

この事態を何とかしようとして

 

 

 

 

どうにか、乗り越えようとして

なんとか、受け止めようとして

 

 

 

 

そのアプローチの、最初の方法として

 

 

 

 

「どうして?」

「なぜ、私がこんな目に?」

「私が何をしたっていうの?」

「なんで私なの?」

 

 

 

 

こんな問い、質問をする。

 

 

 

 

そして、それを

延々と繰り返した挙句

 

 

 

 

いつまでも答えが聞こえてこない

この現実に

 

 

 

 

問うことにも

聞くことにも、疲れ果てた結果

 

 

 

 

私たちが、

ようやく行き着くところは

 

 

 

 

「祈る」

「お願いする」

「頼る」

 

 

 

 

 

 

 

 

「祈る」

「お願いする」

「頼る」

 

 

 

 

そのときの対象として

「神様」がいるのではないか、と私は思うのです。

 

 

 

 

私は、無宗教です。

 

 

 

 

実家は浄土真宗で、嫁ぎ先は真言宗で、

旦那さんはクリスチャンなので

私も時々、礼拝に一緒に行ったりしていますが

 

 

 

 

私自身は

これという特定の宗教は持っていないんですね。

 

 

 

 

逆に言えば

 

 

 

 

私の中には

親鸞もいるし、弘法大師もいるし、イエスキリストもいるのです。

 

 

 

 

だけど、

それは、私の中に決まった人が(宗教が)いないのと同じ。

 

 

 

 

ですが

「神様」はいるのです。

 

 

 

 

人間の存在を超えた

大きな存在、と言ってもいいかも。

 

 

 

 

壮大な存在であり

人間を作り出した創造主

 

 

 

 

そうも言えるかもしれません。

 

 

 

 

親鸞も、弘法大師も、イエスキリストも超える

はるかに偉大な存在としての「神様」はいる。

 

 

 

 

それは、確信に近い感覚で

私は、そう思い、そう信じているのです。

 

 

 

 

皆さまも

似たような感覚を持ってるのではないでしょうか。

 

 

 

 

(それを、誰もが持つ、スピリチュアルな感覚だと思っています)

 

 

 

 

なので

 

 

 

 

その存在に対して

(神様に対して)

 

 

 

 

「祈る」

「お願いする」

「頼る」

 

 

 

 

 

 

 

 

解決しないこと

どうにもできないこと

ただ時間が過ぎるのを待つしかないこと

今も抱えきれない苦しみがあること

その苦しみに終わりが見えないこと

 

 

 

 

それが大きければ大きいほど

それが強ければ強いほど

 

 

 

 

余計に

 

 

 

 

「どうして?」

「なぜ、私がこんな目に?」

「私が何をしたっていうの?」

「なんで私なの?」

 

 

 

 

そう言いたくなる。

 

 

 

 

だけど

その繰り返す問いかけに、終わりが見えるころ

 

 

 

 

「悲しいのです」

「苦しいのです」

「怖いのです」

「情けないのです」

「惨めなのです」

「恥ずかしいのです」

「辛いのです」

「不安なんです」

 

 

 

 

そんな自分の気持ちを、言葉にして、外に出す。

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

「どうか、この苦しみを和らげてください」

「どうか、私を癒してください」

「どうか、この悲しみを引き取ってください」

「どうか、この絶望から救ってください」

 

 

 

 

どうか

どうか

どうか

 

 

 

 

と、神様のような存在に(大きな存在に)

祈り、お願いをして、頼る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、できるとき

 

 

 

 

真の意味で

心から、それができるとき

 

 

 

 

人は、少しの光が見えてくるそうです。

 

 

 

 

(私も、おぼろげですが、体験した覚えがあります)

 

 

 

 

どんなに

目の前の出来事が

 

 

 

 

解決しないこと

どうにもできないこと

ただ時間が過ぎるのを待つしかないこと

今も抱えきれない苦しみがあること

その苦しみに終わりが見えないこと

 

 

 

 

で、あったとしても

 

 

 

 

いや

 

 

 

 

絶対に、解決しないこと

絶対に、どうにもできないこと

絶対に、ただ時間が過ぎるのを待つしかないこと

絶対に、今も抱えきれない苦しみがあること

絶対に、その苦しみに終わりが見えないこと

 

 

 

 

で、あればあるほど

 

 

 

 

超越した存在に

祈ることで、お願いすることで、頼ることで

 

 

 

 

一筋の光が差してくる。

 

 

 

 

その一筋の光とは

 

 

 

 

「あなたは孤独ではない」という

天からのメッセージであり、

包まれる温かさなのだ、と

 

 

 

 

私は思うのです。

 

 

 

 

そして

そのメッセージと、温かい光は

 

 

 

 

孤独であればあるほど

絶望すればするほど

 

 

 

 

心に伝わってくるものだと

私は思うのです。

 

 

 

 

自分の気持ちを、言葉にして、口に出して

 

 

 

 

「祈る」

「お願いする」

「頼る」

 

 


 

そこから、

癒しや、許しや、救いは、始まるのだと思うのです。

 

 

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

 

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