ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

今日もこのブログにお越しくださり

ありがとうございます。

 

 

 

心理カウンセラー

ゆみっち、こと林由美です。

 

 

 


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心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


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今日、久しぶりに

ポッカリと時間が空いて

 

 

 

 

前から気になってた

「Winny」を、アマゾンプライムビデオで観ました。

 

 

 

 

今日は、その「Winny」を見て

私が感じたことを書いてみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるべく、ネタバレにならないように

書こうと思いますが、ネタバレになる可能性もあるので

 

 

 

 

そこも考慮した上で

読み進めてくださいね。

 

 

 

 

(Winnyを見る予定の人は、ここでストップしてくださいね)

 

 

 


 

 

 

 

この映画は、いろんなメッセージ性がありますので

ひとことで、こんな映画とは言えないのですが

 

 

 

 

「冤罪」ということも、大きく扱っています。

 

 

 

 

主人公が、冤罪で捕まってしまうんですね。

 

 

 

 

(実話ですし、その後、無罪も勝ち取っています)

 

 

 

 

でね

映画の最後の場面で(無罪を勝ち取った場面で)

 

 

 

 

この主人公は

いろんなマスメディアに囲まれて

こんな質問をされていました。

 

 

 

 

「この責任(冤罪とか、その他いろいろな責任)を

どう考えていますか?」

 

 

 

 

(言葉が少し違うかもしれない、ニュアンスはこんな感じでした)

 

 

 

 

そして主人公は

こう答えるんですね。

 

 

 

 

「今回の事件もつまり、誰かのせいにすれば、それで済むだろうと思って、それで、私のせいにされたんじゃないか、と思うんです。

 

それでは何も前に進まないので

今できることを前向きに考えていきたいです」

 

 

 

 

やんわりと

「誰かのせいにしても、それは解決にはならない」

 

 

 

 

主人公は、そう言いたかったのではないか、と

私は強く感じました。

 

 

 

 

そして、なんと強い人なのだろう、と思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は誰もが、常に

 

 

 

 

「誰かのせい」

「何かのせい」にして、生きているように、改めて感じました。

 

 

 

 

逆に言えば、

「そうしなくちゃ生きていけない」

 

 

 

 

そんな気がしたのです。

 

 

 

 

それこそ、無自覚に、無意識に、

息をするように、「誰かのせい」にして、生きている。

 

 

 

 

この世の中の、ありとあらゆることを

「誰かのせい」や「何かのせい」にしなければ

 

 

 

 

私たちは、生きていけない生き物、なのだろうと思ったのです。

 

 

 

 

生まれた順番のせい

時代のせい

季節のせい

お金がなかったせい

パートナーのせい

環境のせい

知能指数のせい

障害のせい

生まれた土地のせい

 

 

 

 

そんなふうにして

私たちは、常に

 

 

 

 

悪者さがし

原因さがし

悪事さがし

 

 

 

 

そんなことを、躍起になって、やっている。

 

 

 

 

なぜ?

 

 

 

 

それは、私たちが生きていくために。

 

 

 

 

自分が安心して生きていくために。

自分が納得して生きていくために。

 

 

 

 

自分の気持ちを、やり過ごして、生きていくために。

 

 

 

 

 

 

 

 

誤解されたくないのは

 

 

 

 

「誰かのせい」

「何かのせい」にして、生きていくことは

 

 

 

 

決して、悪いことだとは

私は思っていない、ということです。

 

 

 

 

むしろ

それで、生きやすくなるなら

それで、安心できるのなら

それで、笑顔になるのなら

 

 

 

 

進んで

「何かのせい」「誰かのせい」に、しましょうよ、とさえ思っています。

 

 

 

 

真実は、どうだっていいのです。

 

 

 

 

私の生きづらさの原因が

 

 

 

生まれた順番のせい

時代のせい

季節のせい

お金がなかったせい

パートナーのせい

環境のせい

知能指数のせい

障害のせい

生まれた土地のせい

 

 

 

それでいいし

それも本当なのだし。

 

 

 

 

実際に

 

 

 

 

正真正銘、事実は(悪者は、原因は、悪事は)

これらに全く関係なかったとしても、

 

 

 

 

それで、いいのです。

 

 

 

 

実際は、

 

 

 

 

こんな「誰かや何か」とは全く関係なく

本当は、全然違うところに「何かのせい」があったことで

 

 

 

 

私が生きづらくなっているのだとしても

そんなのは、どうだっていい。

 

 

 

 

とにかく

今、思いつく、それらの「せい」にして

 

 

 

 

それで、私が、生きやすくなるなら

それで、私が、安心できるのなら

それで、私が、笑顔になるのなら

 

 

 

 

それが最優先。

 

 

 

 

なのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから先の世界があると

私は思っています。

 

 

 

 

「誰かや何かのせい」にすることで

 

 

 

 

とりあえず、笑顔になったら

とりあえず、安心できたら

 

 

 

 

とりあえず、生きていこう、と思えたなら。

 

 

 

 

本当に、

心の底から、そう思えたなら。

 

 

 

 

その時点で

 

 

 

 

「何かのせい」や「誰かのせい」の世界から、少しずつ、出てこられるのではないか、と。

 

 

 

 

もし、ここで

いつまでもずっと

 

 

 

 

「何かのせい」や「誰かのせい」と

言い続けたくなったり、

それに固執してしまったり、

 

 

 

 

延々と

「自分のせいじゃない!」と

叫びたくなる人は

 

 

 

 

それは、

 

 

 

 

しっかりと

「何かのせい」や「誰かのせい」と

言えていない人、なのです。

 

 

 

 

(心から、そう思えていない人です)

 

 

 

 

口で、いくら

「何かのせい」とか

「誰かのせい」とか、言ってたとしても

 

 

 

 

心のどこかで

「人のせいにするな」とか

「自分のせいのくせに」とか

 

 

 

 

そんなことを、言い続けてる人、なんですね。

 

 

 

 

本当のところは

「こうなったのは、結局、自分のせい」だと思ってる人、なのです。

 

 

 

 

だけど

「自分のせい」と思うのも

これまた苦しくて。

 

 

 

 

なので、受け止めきれない。

そう思いたくない。

 

 

 

 

なので

そこから逃げるための策として、

「何かのせい」とか

「誰かのせい」とか、にしようとするんだけど

 

 

 

 

だけど

そうすれば、また聞こえてくるのが

 

 

 

心のどこかで

「人のせいにするな」とか

「自分のせいのくせに」とか

 

そんなことを、言い続けてる人、なんですね。

 

 

 

 

結局

 

 

 

 

人のせいにもできず、自分の責任にもできず

何かのせいにもできず、自分のせいにもできず

 

 

 

 

どっちつかずで、余計に苦しみが増す。

 

 

 

 

なので

 

 

 

 

私は

「誰かのせい」

「何かのせい」にして、生きていくことは

 

決して、悪いことだとは思いません。

 

むしろ

それで、生きやすくなるなら

それで、安心できるのなら

それで、笑顔になるのなら

 

進んで

「何かのせい」「誰かのせい」に、しましょうよ、とさえ思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、この主人公を、

素晴らしいな、と思い

強い人だな、と思ったのは

 

 

 

 

ここ、なんです。

 

 

 

 

「今回の事件もつまり、誰かのせいにすれば、それで済むだろうと思って、それで、私のせいにされたんじゃないか、と思うんです。

 

それでは何も前に進まないので

今できることを前向きに考えていきたいです」

 

 

 

 

人間は

こういう特性を持っている。

 

 

 

 

人間は

こんな弱さを持っている。

 

 

 

 

誰かや、何かのせいにすることで

ようやく、秩序が保たれて

 

 

 

 

誰かや、何かのせいにすることで

ようやく、世間が納得してくれて

 

 

 

 

誰かや、何かのせいにすることで

ようやく、自分も安心できる。

 

 

 

 

人間に、

こんな特性、こんな弱さが、あるからこそ

 

 

 

 

それが、人間だからこそ

 

 

 

 

だから、私のせいにされたんじゃないか。

 

 

 

 

主人公は、このことを、よく知っていて。

 

 

 

 

「誰かのせいにすれば、それで済むと思っている」

 

 

 

 

とりあえず

何かや、誰かのせいにすることで

 

 

 

 

表面上は、済んだように思える。

この事件は、解決したように思える。

 

 

 

 

だけど

実は、それでは、真実のところは

何も済んでいないし、何も解決していない。

 

 

 

 

私の望むのは

私の目指すのは

 

 

 

 

本当の解決であり

みんなに役立つことであり

 

 

 

 

だから

自分は、(こんなひどい目にあったとしても)

誰かのせいにするのではなく、(そんな思考で生きるのではなく)

 

 

 

 

自分が今、できることを考えていく。

 

 

 

 

今、私も

 

 

 

 

こんなふうに

そのときの私の気持ちを、言語化して、ブログに書いていますが

 

 

 

 

シンプルに

シンプルに

 

 

 

 

鳥肌が立ったのです。

 

 

 

 

崇高なものを、見た気がして

気高いものに、触れたような気がして

 

 

 

 

大きな悲しみとともに(その主人公が背負ってきたであろう)

感動で、心が震えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は弱い。

 

 

 

 

だから、何かや、誰かのせいにしなくては

生きていけないことが多い。

 

 

 

 

そんな、人の弱さを、見てあげてほしいのです。

 

 

 

 

何かのせいにするな、

誰かのせいにするな、ではなくて。

 

 

 

 

そして、本当に

人間の、その弱さを、認められるようになって

 

 

 

 

何かや、誰かのせいにすることを

忌み嫌わなくなったら。

 

 

 

 

そこから

違う世界が見えてくる、と私は思うのです。

 

 

 

 

それは。

 

 

 

 

 

 

 

 

何かのせいにしたところで

誰かのせいにしたところで

 

 

 

 

それでは、何も解決しない

それは、済んだことにならない、

 

 

 

 

そんな世界が見えてくるのです。

 

 

 

 

そこから、だと思うのです。

 

 

 

 

自分は何を目指したいのか

自分は何を望むのか

 

 

 

 

そのために、自分は何を背負っていくのか

 

 

 

 

そんな視点を持って、自分の生き方を立て直し

行きたい方向へと、前に向けるのは

 

 

 

 

そこから、先。

 

 

 

 

 

だから、まずは

 

 

 

 

何かのせいにすることで、済んだことにしようとしてしまう、人間の特性や

 

 

 

 

誰かのせいにすることで、解決したかのように感じてしまう、人間の弱さを

 

 

 

 

まずは、自分自身で、感じていくのです。

 

 

 

 

自分自身で、認めていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、この主人公は

いろんな意味で、浮世離れした人で。

 

 

 

 

だからこそ

こんな事件に巻き込まれてしまったのですが。

 

 

 

 

自分でも

「僕は、一般常識が全く無いんです」とも言っていて。

 

 

 

 

普通なら、絶望になりそうな場面でも

笑っているし

 

 

 

 

普通なら、緊張して何もできないような場面でも

自分のしたいことばかり集中するし

 

 

 

 

いろんな意味で

当たり前とか、普通とか、常識とか、そんなものとは無縁の人です。

 

 

 

 

そんな主人公を見ていて

私は、真っ白な人なんだな〜、と思いました。

 

 

 

 

(まっさら、汚れがない、自分の思いに忠実、疑念がない)

 

 

 

 

それだけに、生き方がシンプルなんですね。

 

 

 

 

私たちが、いかに

 

 

 

 

思い込みに塗れている

常識に囚われている

自分の気持ちを誤魔化している

世間を気にしている

自分を見失っている

 

 

 

 

そんなことも、思い知らされたような気がしたのです。

 

 

 

 

エピローグは

ちょっと悲しい終わり方なのですが

 

 

 

 

それでも、私は

この主人公は、自分の人生を全うした幸せ者なのではないか、

 

 

 

 

そんな気がしたのです。

 

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

 

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