ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

今日もこのブログにお越しくださり

ありがとうございます。

 

 

 


林由美のプロフィールはこちらをクリック

心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


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さあ、今日から

また、通常運転のブログにしていきたいと思います。

 

 

 

 

今日は

過去のお気に入りブログをリライトして

アップしたいと思います。

 

 

 

 

このブログは、お気に入りもお気に入り

超お気に入りのブログです。

 

 

 

 

実は、先日

この、過去ブログを読んでくださった人から

気持ちのこもった、お礼のメールが届いたのです。

 

 

 

 

その人は、このブログを読んで

「もう少し生きてみよう、と思えた」とのことでした。

 

 

 

 

そのメールを読んで

私は、泣いてしまったんですね。

 

 

 

 

嬉しくて、嬉しくて

私までもが、生きていくことを許されたような気持ちになりました。

 

 

 

 

もし、今

生きてることに苦痛を感じてるのなら

 

もし、今

生きていくことに不安を感じているのなら

 

もし、今

生きることに虚しさを感じているのなら

 

 

 

 

私みたいな人間もいるよ、と

お伝えしたいと思いました。

 

 

 

 

助けになるとか、思わないけど

勇気を与えるとか、そんなこと思ってないけど

 

 

 

 

こんな人間もいるんだよ、と。

 

 

 

 

ということで

過去ブログ、しかも超お気に入りのブログを

リライトして、アップします。

 

 

 

 

よければ、お付き合いください。

 

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 

今日、

旦那さんの運転する車の助手席に座ってて

 

 

 

 

旦那さんの持ってるCDを

何気に聞いていると

 

 

 

 

すごく懐かしい曲が流れてきました。

 

 

 

 

今から15年前の曲。

 

 

 

 

「生きてることが辛いなら」

 

 

 

 

森山直太朗さんの名曲です。

 

 

 

 

当時、巷では

「自殺を煽る曲だ」なんてブーイングが起こったり

 

 

 

 

あるテレビ局では、放送禁止になったり、と

 

 

 

 

いろいろ

世間を騒がせた曲でもあります。

 

 

 

 

だけど

私は、こんなにも優しい曲があるのか、と

 

 

 

 

15年前当時は

この歌を、ずっと心の支えにしていました。

 

 

 

 

そして、今日

気がつくと、私は車の助手席で、涙が止まらなくなりました。

 

 

 

 

当時も

この曲を聞いて、そのたびに号泣してたなぁ。。。

 

 

 

 

あれはもう15年前。

あれはまだ15年前。

 

 

 

 

ということは

15年前の私は、まだまだ死にたかったんだなぁ。。。

 

 

 

 

(15年前と言うと

私は2回目の離婚をして、大学に進学した頃だったので

 

何となく

前向きになれてるような気がしてたけど。

 

だけど、まだまだ後ろ向きで、死を意識してたんだなぁ、と)

 

 

 

 

今日も涙が止まらない、ということは

まだまだ、私の傷は癒えてないんだろうなぁ。

 

 

 

 

そんなふうに思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その、

森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」

 

 

 

 

YouTubeを貼り付けますので

お時間のある方は、ぜひ聞いてみてほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなにも優しい曲があるのか

 

 

 

 

今も

私はそう思います。

 

 

 

 

今日は、その歌詞について

私の感じたことを、そのまま、つらつらと書かせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下

「生きてることが辛いなら」の歌詞です。

 

 

 

 

 

生きてることが辛いなら

いっそ、小さく死ねばいい

 

恋人と親は悲しむが

三日とたてば、元通り

 

気がつきゃ、みんな年取って

おんなじ所に行くのだから

 

生きてることが辛いなら

喚き散らして、泣けばいい

 

そのうち、夜は明けちゃって

疲れて眠りにつくだろう

 

夜に泣くのは赤ん坊

だけ、って決まりはないんだし

 

生きてることが辛いなら

悲しみを、とくと見るがいい

 

悲しみはいつか、ひとひらの

お花みたいに咲くと言う

 

そっと伸ばした両の手で

摘み取るんじゃなく、守るといい

 

 

何にもないとこから

何にもないとこへと

何にもなかったかのように

巡る命だから

 

 

生きてることが辛いなら

嫌になるまで、生きるがいい

 

歴史は小さなブランコで

宇宙は小さな水飲み場

 

生きてることが辛いなら

くたばる喜び、取っておけ

 

生きてることが辛いなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この歌詞の最初の部分

 

 

 

生きてることが辛いなら

いっそ、小さく死ねばいい

 

 

 

どうやら、この部分が、

自殺を煽ってるニュアンスがあると言われて

放送禁止になったらしいのだけど。

 

 

 

 

当時の私は

全く違う印象を受けたんですよね。

 

 

 

 

そして

今の私も、その印象は変わっていません。

 

 

 

 

私にとっての、

 

 

 

 

生きてることが辛いなら

いっそ、小さく死ねばいい

 

 

 

 

この部分は

優しい以外の、何ものでもなかったのです。

 

 

 

 

自殺を煽るどころか

生きていくことを、許してくれてるような。

 

 

 

 

うまく言葉で表現できないのだけど

 

 

 

 

小さく死ぬ、ということは

 

 

 

 

存在を隠す、とか

家に引きこもる、とか

家出をする、とか

仕事を辞めてしまう、とか

絶縁する、とか

入院する、とか

 

 

 

 

そんなことであって

 

 

 

 

これ以上、生きていくのが、

もう限界なのだったら

 

 

 

 

そんな手段を用いてでも(小さく死んで)

かろうじて生きていけばいい。

 

 

 

 

そんなメッセージに聞こえたのです。

 

 

 

 

現実社会から逃避してでも

何の役にも立たなくても

人から後ろ指を指されても

 

 

 

 

ただ食べて寝るだけの生活をしても

 

 

 

 

そんなふうな

たとえ小さく死んだような生き方をしてでも

 

 

 

 

とりあえず、今日を

生きながらえてみないか?

 

 

 

 

今日を生きる!

 

 

 

 

そんな、自主的な気持ちではなく

 

 

 

 

今日も、生きてしまっている

 

 

 

 

自分の気持ちに反して

そんな、流されているだけのような。

 

 

 

 

それを

「小さく死ねばいい」と表現した。

 

 

 

 

生きてることが辛いなら

いっそ、小さく死ねばいい

 

 

 

 

そんな状態でいいから

今日を、とりあえず、生きながらえる。

 

 

 

 

そういう意味のメッセージとして

私は受け取ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それと

もうひとつの好きな箇所は

 

 

 

 

生きてることが辛いなら

悲しみを、とくと見るがいい

 

悲しみはいつか、ひとひらの

お花みたいに咲くと言う

 

そっと伸ばした両の手で

摘み取るんじゃなく、守るといい

 

 

 

 

ここですね。

 

 

 

 

私を苦しめる原因の「私の悲しみ」を

私を悩ませる原因の「私の悲しみ」を

 

 

 

 

摘み取るんじゃなく、守るといい。

 

 

 

 

このときに、私は知ったような気がします。

 

 

 

 

私の悲しみは

私を苦しめる要素でもあるんだけど

 

 

 

 

だけど

たぶん、その悲しみはきっと悪いものじゃない、と

 

 

 

 

どこかで、そう思いたい自分もいて。

 

 

 

 

その悲しみがあることで、

私は私として生きていこうとしている。

 

 

 

 

どこかで、そう信じたい自分がいて。

 

 

 

 

だったら

 

 

 

 

その悲しみを、

私は、見るんだ、見るんだ、見るんだ

 

 

 

 

その悲しみが、

どんな蕾をしていて、

どんなふうに、ほころんでいって、

どんなふうに、ゆっくりと花開いていくか、

 

 

 

 

私は、それをきちんと見ていくんだ。

 

 

 

 

当時は、そこまで意識できていなかったけど

今思い出すと、そんな感覚でいたような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それと

もうひとつ、大好きな箇所があります。

 

 

 

 

ここが一番好き。

 

 

 

 

15年前の当時も、この箇所を聞くと

号泣を通り越して、嗚咽していましたが

 

 

 

 

今日、久しぶりに聞いても

やっぱり、私の心の琴線はここにあると感じました。

 

 

 

 

それは

 

 

 

 

何にもないとこから

何にもないとこへと

何にもなかったかのように

巡る命だから

 

 

 

 

ここの部分です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の私は

 

 

 

 

・私がいなくなることで、全てが丸く収まる

・私は疫病神で、厄介者だから、消えていなくなった方がいい

・私ほどの極悪人はいない

・私は大切な人を苦しめる存在

・私は生きてる価値など無い人間

・存在そのものが悪

 

 

 

 

自分のことを、そんなふうに思ってたんですね。

 

 

 

 

周囲からは

そう見えなかったと思います。

 

 

 

 

だけど

私の大切な人にとって、私という人間は

 

 

 

 

「死んで、いなくなった方がいい人間」だと、

いつも心の奥で、そう思ってたんですね。

 

 

 

 

私が大切にしたい人を、大切にする方法は

 

 

 

 

「私が死んで、いなくなること」

 

 

 

 

それしか無い、と思ってたんです。

 

 

 

 

そんな私にとって

 

 

 

 

何にもないとこから

何にもないとこへと

何にもなかったかのように

巡る命だから

 

 

 

 

これ以上の優しい言葉はない、と

 

 

 

 

当時

全身を貫かれたような思いを感じました。

 

 

 

 

何にもなかったかのように

 

何にもなかったかのように

 

何にもなかったかのように

 

 

 

 

私も、そうなれるんだ。

 

 

 

 

そう思いました。

 

 

 

 

私の背負った罪も、悪も、負も、傷も、

 

 

 

 

この私の全て、丸ごと全部の私が

 

 

 

 

何にもなかったかのように、なれるんだ。

 

 

 

 

そう思うと

全身から、喜びが溢れてきたのです。

 

 

 

 

何にもないとこから

何にもないとこへと

何にもなかったかのように

巡る命だから

 

 

 

 

確かに、何にもないとこから、私は来たのだろうし

だから、何にもないとこへと、私は帰って行くのだろうし

 

 

 

 

今のこの、

苦しみも、罪悪も、卑怯も、卑猥も、恥辱も、

 

 

 

 

私の抱える、何もかもが

 

 

 

 

何にもなかったかのように、なる。

 

 

 

 

消え去っていく。

 

 

 

 

いつか、そうなれる。

 

 

 

 

だったら

こんなに嬉しいことは、ないではないか。

 

 

 

 

責任の取りようもないことが多すぎる、私のこの人生で

 

 

 

 

何もかもを、

「何にもなかったかのように」ご破算にしてくれるのだったら

 

 

 

 

これ以上の、私の喜びはない。

 

 

 

 

当時の私はそう思ったんです。

 

 

 

 

そう思うと

 

 

 

 

とりあえず、今日を生きてみよう。

 

 

 

 

どうせ、私の罪は、ご破算にしてくれるのだから。

 

 

 

 

だったら

私は生きていける。

 

 

 

 

そう思えたんです。

 

 

 

 

何にもないとこから

何にもないとこへと

何にもなかったかのように

巡る命だから

 

 

 

 

 

 

 

 

それと同時に

 

 

 

 

自分のちっぽけさも

強烈に感じたような気もします。

 

 

 

 

自分、というより

人間、と言った方がいいかな。

 

 

 

 

人間、って

ちっぽけだな、と。

 

 

 

 

悲しい、だの

苦しい、だの

 

 

 

 

わあわあ、喚いたところで

 

 

 

 

嬉しい、だの

楽しい、だの

 

 

 

 

狂喜乱舞したところで

 

 

 

 

何にもないとこから

何にもないとこへと

何にもなかったかのように

巡る命だから

 

 

 

 

所詮、そういうこと。

 

 

 

 

だったら?

 

 

 

 

だったら。

 

 

 

 

それでいいよね。

 

 

 

 

思いっきり、喚き散らしましょうよ。

思いっきり、狂喜乱舞しましょうよ。

 

 

 

 

それでいい。

 

 

 

 

歴史は小さなブランコで

宇宙は小さな水飲み場

 

 

 

 

いいことや、悪いことは

ブランコのように

 

 

 

 

行ったり来たりしながら、繰り返しやってくるのだから。

 

 

 

 

ただ、それだけのことのだから。

 

 

 

 

だから

私たちは

 

 

 

 

悲しい、だの

苦しい、だの

 

 

 

 

わあわあ、泣き喚いて

 

 

 

 

嬉しい、だの

楽しい、だの

 

 

 

 

狂喜乱舞し続けて

 

 

 

 

その都度

ちょっと休憩をするために、「宇宙という小さな水飲み場」で、喉を潤す。

 

 

 

 

ただ、それをやっていくだけでいい。

 

 

 

 

な〜んかね

 

 

 

 

大きなことを言っても

偉そうに言っても

屁理屈を言っても

泣き言を言っても

恨みつらみを言っても

 

 

 

 

何があろうとも

 

 

 

 

人間は

ブランコを漕いで、水で喉を潤している。

 

 

 

 

ただ、それだけで。

 

 

 

 

そして

何事もなかったかのように、

 

 

 

 

みんな同じとこへ行く。

 

 

 

 

それだけのこと、なんだよな〜、と。

 

 

 

 

それを「生きる」と

言うんだろうな〜、と。

 

 

 

 

ホントに、いい歌。

 

 

 

 

こんなふうに生きていきたい。

 

 

 

 

あ、、、、

また涙が。。。。。。

 

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 

ここまでが、過去ブログです。

 

 

 

 

今日の私は、涙が出てきませんでした。

 

 

 

 

そうだ、そうだ、と納得しながら

そんだよね、そうだよね、と共感しながら、読み進めましたけど

 

 

 

 

涙が溢れることはありませんでした。

 

 

 

 

だいぶ、癒されてきたんだな、と思いました。

 

 

 

 

過去の私を、今の私が

距離を持って、受け止められるようになってきた気がします。

 

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

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