ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

今日もこのブログにお越しくださり

ありがとうございます。

 

 

 

心理カウンセラー

ゆみっち、こと林由美です。

 

 

 


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心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


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今日の話は

かなりのフェイクが入っています。

 

 

 

 

状況は、ほぼほぼフェイク。

 

 

 

 

ですが、実際の話をもとにして

伝えたいことだけに焦点を当てて、書いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの人だけ、ズルい」

 

 

 

 

その青年は、ポツリと言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今、継続して

ある青年と関わらせていただいています。

 

 

 

 

その青年は、もう30歳代。

 

 

 

 

だけど

見た目も、雰囲気も、もっと若く見えます。

 

 

 

 

若い、というよりは

幼い感じです。

 

 

 

 

そうですね。

中学生ぐらい?

いや小学生ぐらい?

 

 

 

 

決して、大げさではなく

本当に、幼稚園児と言ってもいいぐらいなほどの、幼い雰囲気を醸し出しています。

 

 

 

 

その青年は

中学生から不登校が始まり

高校ぐらいには、ほとんどひきこもるようになった、とのこと。

 

 

 

 

青年の横には

常に、お母さんが寄り添っているのですが

 

 

 

 

お母さんの声のかけ方

お母さんの話す内容

お母さんの雰囲気、など

 

 

 

 

その青年に対する、

お母さんの関わり方が

 

 

 

 

まるで、

小学生の子どもに話しているかのような

幼稚園の子を相手にしているかのような

 

 

 

 

そんな関わり方のようにも見えて

そこが、すごく気になりました。

 

 

 

 

お母さんが、そんな関わり方をするから、青年が幼く見えるのか

 

青年がいつまでも幼いから、お母さんもそんな関わりになるのか

 

 

 

 

鶏が先なのか

卵が先なのか、わかりませんが

 

 

 

 

とにかく

その青年の若さ、幼さは、

ちょっと異常なレベルのようにも思いました。

 

 

 

 

その青年は、もう30歳代。

 

だけど

見た目も、雰囲気も、もっと若く見えます。

 

若い、というよりは

幼い感じです。

 

 

 

 

この青年を、そこまで幼く見せてしまうのは

見た目や雰囲気だけのことでもありません。

 

 

 

 

この青年が話す内容や

この青年が取る行動が

 

 

 

 

それに(幼さに)

拍車をかけているのも明白でした。

 

 

 

 

びっくりするほど、

全てにおいて、言動が幼いのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

いろんな不登校の子たち

いろんなひきこもりの人たちに会ってきましたが

 

 

 

 

そういう意味では

ちょっと、個性的と言いますか、

ちょっと、特徴的と言いますか、

 

 

 

 

(みんな、個性的で特徴的、なんですけどね。)

 

 

 

 

ひきこもる人たちは

自分を責めたり、否定したり、虚無感、自分の存在や実感の乏しさ、などが強く出てくるのですが

 

 

 

 

(そのため、人や世間が怖くなり、出ていけなくなる)

 

 

 

 

だけど、この青年は

自分責めや自己否定は、そこまで強くなく

 

 

 

 

むしろ、

興味のあることは、すぐにやりたがり、

人の中にも、すぐに飛び込んでいきます。

 

 

 

 

そういう意味では

世間に対しても、人に対しても、無防備なところがあります。

 

 

 

 

こういう部分にも、幼さを感じるのかもしれません。

 

 

 

 

で、やりたいことを

片っ端から、やっていこうとするのです。

 

 

 

 

興味をひいたものを

何でもかんでも。

 

 

 

 

まるで、

自分が何が好きなのか、まだ、わからない子どものように。

 

 

 

 

人がやってることは、なんでも楽しそうに見える

 

 

 

 

本当に、子どものようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やってみる、

 

 

 

 

これは、すごく大事なことです。

 

 

 

 

やってみる、ことで

自分は何が好きなのか、

自分は何が楽しいのか、

自分は何が得意なのか、

 

 

 

 

それを体験、体感していけるので

 

 

 

 

やってみる、

いわゆる経験を積み重ねていくのは、すごく有効なこと。

 

 

 

 

私は

その青年の「やってみたい」意思を尊重して

なんでもトライしてもらうことにしました。

 

 

 

 

両親ともに

仕事をしているので

 

 

 

 

両親がサポートできない部分は

私が引率をして、やりたいことをやってもらう。

 

 

 

 

ですが

 

 

 

 

やってみたい興味は、とても強いものの

やれる元気は、すごくあるものの

 

 

 

 

自分ひとりでは、行けない

自分ひとりでは、できない

自分ひとりでは、やる気にならない

 

 

 

 

これも、この青年の大きな特徴であり、幼さを感じるところです。

 

 

 

 

ひきこもりの人たちは

そもそも、興味も持てない、元気もない、動けない人たちばかりなのです。

 

 

 

 

それこそ、興味を持てたら、元気が出てきたら

ひとりで、動けるようにもなっていけるのですが

 

 

 

 

この青年は、それとは大きく違っていました。

 

 

 

 

なので

この青年には、

 

 

 

 

その時間には、玄関のチャイムで起こして

(自分で起きようとしない)

 

その場所まで、送迎をして

(体は十分動けるが、自分では行かない)

 

チケットや道具などは、準備して

(めんどくさいことはしたくない)

 

 

 

 

全てを、こちらが段取りした上で

「やってみる」を、やってもらう。

 

 

 

 

(ここも、幼児や子どもの習い事のようでした)

 

 

 

 

そこまでしなくても、と思う人もいると思いますが

 

 

 

 

こんな些細なキッカケで

動き始める人もいるのです。

 

 

 

 

こんな関わりの積み重ねで

どんどん、動き出す人もいるのです。

 

 

 

 

自分でもできるんだ

こうやればいいんだ

自分でも楽しめるんだ

自分もやっていいんだ

 

 

 

 

そんな、

自己効力感が芽生え、

生きている実感が育っていけば

 

 

 

 

それこそが、ひきこもりからの脱出。

 

 

 

 

そんな、未来を目指して

青年とも、関わっていこうとしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

・ビリヤード

・ダーツ

・二輪車

・カラオケ

・ボウリング

・ビーチバレー

・バッティングセンター

・テニス

・ギターなどの楽器

・あらゆるゲーム

 

 

 

 

書ききれない。

 

 

 

 

もう、手当たり次第

やりたがります。

 

 

 

 

テレビやネットニュースで見たものは

なんでも興味を持ちます。

 

 

 

 

中でも

世間を賑わせたものや、人気に火がついたもの、大きく注目されたもの

 

 

 

 

例えば

バスケットボール(日本代表の活躍)

野球(大谷選手の活躍)

スケボー(オリンピックの影響)

 

 

 

 

などは、もう、

やりたくて、やりたくて、仕方ない。

 

 

 

 

それしか目に入らなくなり

やりたくて、ウズウズしています。

 

 

 

 

(その期待には、全て応えていきます)

 

 

 

 

そして

楽しむことばかりではなく

それと並行して

 

 

 

 

将来を視野に入れた

仕事的なこと、作業的なことにも誘ってみるようにしました。

 

 

 

 

・農作業

・袋詰め作業

 

 

 

 

そんなものも、「やってみたい!」

 

 

 

 

そんな場合は

送迎するだけでなく、私も一緒に作業します。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

またしても、この青年の大きな特徴。

 

 

 

 

それは、「続かない」

 

 

 

 

興味が強かったことも

楽しいことも

やりたくて、ウズウズしてたことも

もちろん、作業的なことも

 

 

 

 

全て、「やってみる」だけなのです。

 

 

 

 

やってみて

「ああ、こんな感じか」と終了する。

 

 

 

 

そこから先がない。

 

 

 

 

「飽きっぽいんですよ」と、お母さんはすぐに言うのですが

 

 

 

 

私は、それだけのようには思えませんでした。

 

 

 

 

どんなスポーツも

どんな楽しいことも

ただ、なぞっているだけであって

 

 

 

 

ただ

「やってみた」だけであって

 

 

 

 

その先がない。

 

 

 

 

楽しむ、とは?

続けてやってみたい気持ち、とは?

もっと深めてみたい思い、とは?

 

 

 

 

夢中になる、とは?

 

 

 

 

そんなことは

どうやって伝えていけばいいのだろう?

 

 

 

 

そんなことを思っていると

この青年が、ふと、ある言葉を漏らしたのです。

 

 

 

 

「あの人だけ、ズルい」

 

 

 

 

 

 

 

 

その視点で

よくよく、この青年を見てみると

 

 

 

 

青年は、もしかしたら

世間をそんなふうに見てるのでは?と感じ始めました。

 

 

 

 

「あの人だけ、ズルい」

 

 

 

 

これを言ったときは

ある特定の人を指して言ってたのですが

 

 

 

 

実は、青年は

あらゆる人に対して、ズルい、という感覚を持ってるのではないだろうか。

 

 

 

 

常に、誰かのことを

「あの人だけ、ズルい」

 

 

 

 

・ビリヤード

・ダーツ

・二輪車

・カラオケ

・ボウリング

・ビーチバレー

・バッティングセンター

・テニス

・ギターなどの楽器

・あらゆるゲーム

 

書ききれない。

 

もう、手当たり次第

やりたがります。

 

テレビやネットニュースで見たものは

なんでも興味を持ちます。

 

中でも

世間を賑わせたものや、人気に火がついたもの、大きく注目されたもの

 

例えば

バスケットボール(日本代表の活躍)

野球(大谷選手の活躍)

スケボー(オリンピックの影響)

 

などは、もう、

やりたくて、やりたくて、仕方ない。


 

 

 

あの人だけ楽しんで、ズルい

あの人だけ注目されて、ズルい

あの人だけ褒められて、ズルい

あの人だけ得をして、ズルい

あの人だけ大金を得て、ズルい

 

 

 

 

それが、もしかして

「やってみる」原動力になってる?

 

 

 

 

だから

実際には、

そのスポーツにも、そのレジャーにも、興味があるわけではなくて

 

 

 

 

(本人は、そう錯覚してるのだけど)

 

 

 

 

あの人だけ、ズルい

だから、僕もやってみたい、やってみよう、

 

 

 

 

だけど、やってみても

そりゃ、楽しいわけでもなく、面白いわけでもなく

 

 

 

 

やってみた→終了

 

 

 

 

そうやって

その部分のみの「ズルさ」は、終了するのです。

 

 

 

 

あの人は野球をやっている→ズルい

僕もやってみた→そのズルさは終了、みたいな?

 

 

 

 

だけど

そうは問屋が卸さないのが、心の世界で。

 

 

 

 

一見、そのズルさは終了したかに見えても

心の中の「あの人だけ、ズルい」は絶対に消えないのです。

 

 

 

 

手を替え品を替え、

「あの人だけ、ズルい」は、いくらでも出てくる。

 

 

 

 

いや、むしろ

「あの人だけ、ズルい」は、きっと膨れ上がっていくのです。

 

 

 

 

膨れ上がった先には

いつの日か

何をやっても、どこへ行っても

一瞬の満足もできなくなってしまう。

 

 

 

 

やっても、やっても

行っても、行っても

掴んでも、掴んでも

 

 

 

 

どんどん、自分の手から、

「やってみた」感覚は、取りこぼしていくように、消えてなくなるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、心の世界あるある、なのですが。

 

 

 

 

「あの人だけ、ズルい」

 

 

 

 

これを

強く持ってる、ということは

 

 

 

 

人に、自分を投影してることになるので

 

 

 

 

自分はズルい、と思ってること、なんですよね。

 

 

 

 

自分のズルさを、必死で隠そうとしている、というか。

自分のズルさを、必死で見ないようにしている、というか。

 

 

 

 

そして

この青年は、本当にズルいのです。

 

 

 

 

(青年に関わってる人は、全員、それがわかってて、その上で関わっています)

 

 

 

 

約束してても

待ち合わせしてても

迎えに行っても

直前に連絡を入れたとしても

 

 

 

 

その青年の都合に、全て合わせたとしても

 

 

 

 

平気で(そんな素振りで)

相手のことなどお構いなく(ここに幼さが発動する)

 

 

 

 

すっぽかすのも、日常です。

 

 

 

 

連絡も入れず

返事もせず

理由も言わず

無視を通して

 

 

 

 

すっぽかす。

 

 

 

 

あたかも

「僕が何もできないことを、あなたたちは知ってるでしょ?」

 

 

 

 

そう言ってるみたいに。

 

 

 

 

きちんと謝罪したり

きちんと言い訳したり

きちんと説明したり、しない。

 

 

 

 

できることであっても、しない。

 

 

 

 

「ズルいよね〜」笑笑

 

 

 

 

思わず、言ってしまう私なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、どうするか。

 

 

 

 

はいはい、

そのズルさに、とことん、付き合いましょか、

 

 

 

 

そんな感じです。

(もちろん、こちらの無理のない範囲で)←ここ大事

 

 

 

 

そもそも

ズルくて、いいんじゃない?とも思うのです。

 

 

 

 

あの人も、ズルいよね

この人も、ズルいよね

 

そして、自分もズルいよね

 

 

 

 

結構、みんな、ズルいよね。

 

 

 

 

フラットに

そう思えることを祈って。

 

 

 

 

自分のズルさを、本当の意味で、

肯定できて、受け入れられる日が来ることを願って。

 

 

 

 

結局は

人のズルさを許せないのは、自分のズルさも許してないから、なんですよね。

 

 

 

 

この青年が

子どもに帰って

子どもの頃のズルさを、とことん発揮して

 

 

 

 

その上で

親のズルささえも、受け入れ、認められる日が来るまで。

 

 

 

 

幼稚園児を甘やかすような関わりで

今、横で、ニッコリと笑っているお母さん。

 

 

 

 

お母さんにも、

自分のズルさに気づいてもらいたいものです。

 

 

 

 

自分の都合で、甘やかしてきたズルさに

自分の都合で、幼い関わりをしてきたズルさに

自分の都合で、いつまでも幼い幼児でいさせたズルさに

 

 

 

 

お母さん自身にも気づいてもらいたい、と

切に願います。

 

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

 

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