ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

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心理カウンセラー

ゆみっち、こと林由美です。

 

 

 


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心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


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今日

1月20日は、今は亡き、私の父親の誕生日です。

 

 

 

 

生きていれば88歳になる。

だけど、その父ちゃんは、34年前に亡くなりました。

 

 

 

 

腎臓ガンで、享年54歳でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログでも

何度も書いてるのですが

 

 

 

 

私は、幼少の頃から、

思春期になる中学生ぐらいの頃まで

 

 

 

 

「父ちゃんが早く死にますように」

「ばあちゃん、早く父ちゃんを迎えに来てください」

 

 

 

 

あるときは、仏壇に向かって

あるときは、星空に向かって

あるときは、布団の中で怯えながら

 

 

 

 

毎晩、そんな祈り?願い?を

心の中で唱えていたのです。

 

 

 

 

子どもの頃から毎晩、

その願い事をするのが、私の日課となっていました。

 

 

 

 

そして

その甲斐があって?

その願いが通じて?

 

 

 

 

父ちゃんは

54歳という若さで、この世を去っていきました。

 

 

 

 

そして、私は、つい最近まで

(本当に、1〜2年ぐらい前まで)

 

 

 

 

父ちゃんが早死にしたのは

私が、毎晩、強く強く、そう願ってたからだ。

 

 

 

 

私の怨念のせいだ。

 

 

 

 

そう信じていました。

 

 

 

 

しかも

父ちゃんが死んだのは、私の誕生日当日だったので

 

 

 

 

たとえ、死因はガンだとしても

わざわざ、その日に死んだのは、

 

 

 

 

それは、やっぱり

私の願いが通じたことへの、父ちゃんの私への恨み?

 

 

 

 

「早く父ちゃんが死にますように」

 

 

 

 

父親に対して

そんな願いを持つ娘に(私に)十字架を背負わせるため?

 

 

 

 

そう思ってたんですね。

 

 

 

 

そこに、疑いは全くなく、そう信じ切っていました。

 

 

 

 

そうして

 

 

 

 

父ちゃんが亡くなってから、今までの30数年間は

私の誕生日は、父ちゃんの命日となり

 

 

 

 

それからというもの

私の誕生日である、その日は

祝ってはいけない日、と思うようになり(無意識です)

 

 

 

 

ケーキを食べながら

「この親不孝もの」という言葉が頭を渦巻き

 

 

 

 

プレゼントをもらいながら

「お墓参りも行ってないくせに」と自分を罵り

 

 

 

 

「おめでとう」と言われながら

嬉しくもなく喜んでもいない私で

 

 

 

 

(自分を制してることにも気づけず)

 

 

 

 

この30数年間を生きてきたのです。

 

 

 

 

無意識とは言え、悲しい30数年だったと思いますね。

 

 

 

 

そんな私ですが、今では

 

 

 

 

父ちゃんが早死にしたことも

・父ちゃんの不摂生のせいかも?

・単なる寿命だったのかも?

 

 

 

 

と思えるようになり

 

 

 

 

私の願いが届いた、だなんて、

どこまで私にそんな力があると思ってるの?

 

 

 

 

と、自分が自分にツッコミを入れるほど

 

 

 

 

父ちゃんの死は、父ちゃんのものであり

私が操作できるものではない、と確信できるようになりました。

 

 

 

 

私の誕生日が、命日になったことも

・単なる偶然であり

・毎日そんな願いをしてた私が、そもそも罪悪感を背負ってたのであり、命日ということを証拠にして、さらに大きな罪悪感を私に背負わせた

 

 

 

 

と、思えるようになり

 

 

 

 

父ちゃんの死と、私の罪悪感を、

切り離せて考えられるようになってから

 

 

 

 

実は、私は、

すごい幼いころ(5歳ごろまで)

 

 

 

 

実は

父ちゃんのあとばかり追いかけるほどの

父ちゃん子だったことや

 

 

 

 

実は

父ちゃんのことが大好きだった

 

 

 

 

なんてことも、徐々に思い出したりするなど

過去の記憶が、どんどん塗り替えられる体験もしています。

 

 

 

 

それほどに、この「罪悪感」は

いとも簡単に、人間の記憶や思い出を変えてしまう威力を持っている。

 

 

 

 

そんな気もします。

 

 

 

 

私は、この「罪悪感」というサングラスで

過去を見て、今を見て、未来を見てた気がするのです。

 

 

 

 

この「罪悪感」というサングラスと

父ちゃんの死をセットにしてしまったことで

 

 

 

 

・父ちゃんを早死にさせた娘

・親不孝な娘

・父ちゃんが大嫌いな私

・母ちゃんのことだけを大事にしたい私

 

 

 

 

私のことを

そんなふうにしか、見えなくさせていったように思うのです。

 

 

 

 

誰よりも私自身が

私のことを、そうとしか見なくなっていったのです。

 

 

 

 

(今では、私の誕生日を

心から喜び、盛大に祝えるようになりましたよ)

 

 

 

 

 

 

 

 

そうは言いつつ

 

 

 

 

今、思い出しても、

やっぱりあの当時の私は

 

 

 

 

「父ちゃんが早く死にますように」

「ばあちゃん、早く父ちゃんを迎えに来てください」

 

 

 

 

この言葉、この気持ちに

嘘偽りはなかったのも本当です。

 

 

 

 

正直な気持ちでした。

本当に、そう思っていました。

 

 

 

 

それぐらい

父ちゃんがいなくなった方が、

 

 

 

 

この家のため

この家族のため

 

 

 

 

何よりも、母ちゃんが幸せになる。

 

 

 

 

そう思い込み、そう信じ切っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旦那さんの弟の問題を

このブログに、よく書いてるのですが。

 

 

 

 

その弟のことを

姪たちが(弟の娘たちが)

 

 

 

 

「死んでほしい」と

最近、口に出して言うようになったのです。

 

 

 

 

弟に、何を話しても、何を伝えても、

どんなに支えようとしても

どんなに気持ちに寄り添おうとしても

 

 

 

 

何も変わらない弟

変わろうとしない弟

何も伝わらない弟

 

 

 

 

ずっと、人を裏切り続け

ずっと、自分の好き勝手に生きて

ずっと、嘘をつき続けて

ずっと、お金を無心し続ける

 

 

 

 

何も解決策がない。

どうしたらいいのか、全くわからない。

 

 

 

 

これ以上

私たちには、どうしようもできない。

 

 

 

 

疲れた。

もう、うんざり。

 

 

 

 

そして、自分たちの生活(家族)も守りたい。

自分の心も(気持ちも)守りたい。

 

 

 

 

その結果

 

 

 

 

「死んでほしい」

 

 

 

 

それしか、私たちが安心できるすべはない。

それしか、私たちの生活を守るすべはない。

 

 

 

 

それしか

私たちには、解決策が、もう残っていない。

 

 

 

 

「もう死んでほしい」

 

 

 

 


 

 

 

わかるのです。

 

 

 

 

そんな言葉を

吐いてしまう気持ちが、私にはわかってしまう。

 

 

 

 

そんな言葉しか

頼るものがなくなる気持ちが、私にはわかる。

 

 

 

 

苦しそうに顔をしかめながら、

泣きそうな表情をしながら

怒りの感情に包まれて、

罪悪感にまみれながら、

 

 

 

 

「死んでほしい」

 

 

 

 

あの日の私だ。

仏壇の前の私だ。

 

 

 

 

布団の中で

怯えながら、泣きながら、

 

 

 

 

そんな願いを持つ自分を、どこかで恐ろしく思いながら

 

 

 

 

ただただ、その言葉を言うしかなかった

あの頃の私が

 

 

 

 

今、目の前にいる。

 

 

 

 

私は、姪たちに向かって

何も言えずにいました。

 

 

 

 

何も言えずにいたけど

ただひと言、

 

 

 

 

「そう思って当然だよ。

そう思って、いいんだよ。

 

私も、同じことを思っているよ」

 

 

 

 

それだけを言いました。

 

 

 

 

仏壇の前の

当時、幼稚園児だった私に、そう言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は

死んでほしい、と思っていないこと

 

 

 

 

本当は

そんなことは、思いたくないこと

 

 

 

 

だけど

それしか、解決策がない、

それしか、私たちは安心できない、

 

 

 

 

だから、つい、そう思ってしまう。

そう願ってしまう。

 

 

 

 

そして、そう思うことは

(自分のことを守ろうとすることは)

 

 

 

 

決して、

間違いでないし、誤りでないし、

誰にも、絶対に、非難させない。

 

 

 

 

もし、そのことで罰せられることがあるとしたら

それは、自分自身が、自分を罰するとき。

 

 

 

 

そして

自分に下した、その罰さえも

 

 

 

 

いつの日か

自分への自愛に変わるときが来る。

 

 

 

 

必ず来る。

 

 

 

 

「罪悪感」というサングラスを外すときが

必ず来る。

 

 

 

 

いつの日か、姪たちに、

そんな日が来ることを、私は信じていようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

仏壇の前で

寒空の下、夜空に向かって

布団の中の、真っ暗闇で

 

 

 

 

いつもいつも、ひとりぼっちで

 

 

 

 

「父ちゃんが早く死にますように」

「ばあちゃん、早く父ちゃんを迎えに来てください」

 

 

 

 

私は、そう呟いてた。

 

 

 

 

怖かったよね

辛かったよね

寂しかったよね

苦しかったよね

 

 

 

 

その時から

自分責めと自分嫌いの、私の人生はスタートしたのかもしれない。

 

 

 

 

あれから50年以上

その道を、全速力で走ってきたけれど。

 

 

 

 

本当は、死んでほしくなったよ

本当は、今、父ちゃんと話したいよ

本当は、大好きだった、ような気がするよ

 

 

 

 

そんな自分の思いに気づけるようになって

(思い出すようになって)

 

 

 

 

今の自分を愛おしく思うのです。

 

 

 

 

姪たちの

「死んでほしい」という言葉も

 

 

 

 

私には、

自愛へ向かうスタートラインのようにも思うのです。

 

 

 

 

スタートを切るピストルの音

そんなふうにも聞こえるのです。

 

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

 

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