ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

今日もこのブログにお越しくださり

ありがとうございます。

 

 

 

心理カウンセラー

ゆみっち、こと林由美です。

 

 

 


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心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


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最近

実家の母親の認知症が

ちょっとずつ、進んできています。

 

 

 

 

昨年の3月に亡くなった

私の姑のことを

 

 

 

 

「お義母さん、元気にしてる?」と

毎回、聞いてきたり

 

 

 

 

(実家の母は、告別式にも参列してくれたのに)

 

 

 

 

「明日は由美は仕事?」

「今日は何日?」

「今度はいつ来るん?」

 

 

 

 

さっきも聞いた同じ質問を、

何度も、何度も繰り返して聞いてきたり。

 

 

 

 

認知症特有の

過去のことはよく覚えているのだけど

直近のこと、短期記憶がすっぽりと抜け落ちる。

 

 

 

 

それが顕著になってきています。

 

 

 

 

とうとう来たか。

 

 

 

 

そんなことを思わざるを得ない状況となってきました。

 

 

 

 

もしかしたら

ここから加速気味に、いろんなことを忘れていくのかもしれない。

 

 

 

 

怖いです。

 

 

 

 

いつの日か

私のこともわからなくなる日が来るんじゃないか。

 

 

 

 

そんなことを思うと

怖くてたまりません。

 

 

 

 

「母ちゃんが死んでしまったら、私は必ず後追い自殺をする!」

 

 

 

 

そんなことも宣言してた私です。(つい最近まで)

 

 

 

 

今は、心の勉強をして

自分の心の傷や、心の土台を少しずつ育てることができてきたので

 

 

 

 

そんな

「後追い自殺をする」とまでは思わなくなり

 

 

 

 

母のそのときを

私は、きちんと見送ることができるような気がしてきましたが


 

 

 

(まだ少し自信ないけど)

 

 

 

 

だけど

母ちゃんが、私の存在を忘れてしまう?

母ちゃんが、私の名前を呼んでくれなくなる?

母ちゃんが、私を他人を見るような目で見る?

 

 

 

 

そんなことは

今まで想定していなかったので

 

 

 

 

(今も、想像できないので)

 

 

 

 

そんなことを考えると

怖くて怖くてたまらないけど

 

 

 

 

その怖さに、

明け方、眠れなくなる日もあるけど

 

 

 

 

だけど

今は、そんな私の怖さを、無くそうとせず、消そうとせず

 

 

 

 

怖さとともに、過ごそうと思っています。

 

 

 

 

それが

愛着障害である私と、

他ならぬ私自身が、一緒にいることだ、とも思っています。

 

 

 

 

昨年の母の誕生日

 

 

 

 

 

でね

母が言うんですよ。

 

 

 

 

由美、

母ちゃんはツラいんよ。

 

 

こんなに、いろんなことを忘れてしまう。

 

 

忘れないように、とメモに書いても

そのメモを忘れるし、

 

 

メモを見ても

何を書いてるのか覚えていない。

 

 

ホンマにツラいんよ。

 

 

忘れることが、こんなにツラいこととは知らなかった。

 

 

もうね

情けなくて、情けなくて、

 

 

ツラくて、ツラくて、たまらないんよ。

 

 

 

 

これは昨年に次兄と行った小豆島の旅行

 

 


 

最近、

母からの、こんな嘆きがとても多いのです。

 

 

 

 

私は

こんな時のために、

「傾聴」を学んできた、と言っても過言でないので

 

 

 

 

(私が、心の勉強をしようとしたこと自体が

全て、実家の家族との関係の再構築のためであり

そのことにより、私自身が、

自分の生き方ができることが、主の目的)

 

 

 

 

傾聴を絶えず意識して

母の嘆きに対して、その都度

 

 

 

 

そうなんやね。

忘れるんやね。

忘れてしまうのが、ホンマにツラいんやね。

 

 

 

 

母に、そう返して

 

 

 

 

母の言葉を

全て、うんうん、と聴き

母の気持ちに距離をとりつつ

 

 

 

 

かつ

受け止めるように意識しているのですが

 

 

 

 

それでも

幼少時から今までの長い間、

 

 

 

 

ずっと母との共依存関係で培われてきた

母との関係性、母との会話に、引き戻される私がいるのも事実です。

 

 

 

 

母の気持ちに

引っ張られ、引きずられそうになる。

 

 

 

 

私自身が

母の気持ちに飲み込まれていくのです。

 

 

 

 

母の悲しみに、私が丸ごと包まれて、

私自身が、その悲しみに支配されてしまうのです。

 

 

 

 

傾聴を意識できてるうちは

いいのですが

 

 

 

 

やはり、

過去のその関係性に引き戻されてしまい

 

 

 

 

先日

母との会話中に

 

 

 

 

私はつい

 

 

 

 

「ツラくない、ツラくない、大丈夫。

 

忘れていいからね。

全然ツラくないよ。

 

大丈夫だよ」

 

 

 

 

そう言ってしまったのです。

 

 

 

 

私は

「しまった!」と思って

 

 

 

 

すかさず

 

 

 

 

「ツラいんだね。

忘れてしまうことがツラいんだね」

 

 

 

 

そう言い直しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもが、思いっきり走ってて

そして、転んでしまったとき

 

 

 

 

転んだことに驚いてしまったり

膝を擦りむいてしまったり

血が出て、その痛みに気づいてしまったり

 

 

 

 

そんなときに

子どもが大泣きする場面がよくあると思います。

 

 

 

 

日常的に

ありふれた光景です。

 

 

 

 

走って転んでケガをして、

そして大泣きすることで周囲の大人に助けを求める。

 

 

 

 

こういった体験を通して

子どもは成長していく、

 

 

 

 

そんな

ごくごく普通の場面だとも言えます。

 

 

 

 

だけど。

 

 

 

 

そんな場面だからこそ

周囲の大人は、意識しなければいけないことがあります。

 

 

 

 

何を?

 

 

 

 

大泣きしている子どもに対する

言葉がけや、その対応です。

 

 

 

 

そして

それは、私は、子どもに限ったことではなく

 

 

 

 

大人に対しても

友人に対しても

恋人に対しても

配偶者に対しても

 

 

 

 

誰に対しても

 

 

 

 

私は、同じように

すごく大事なこと、だと思っているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケガをして大泣きをしている

子どもに対して

 

 

 

 

痛くないよ〜

 

もう大丈夫だよ〜

 

泣かないで〜

 

血も止まったし、もう平気だよ〜

 

大丈夫、大丈夫〜

 

 

 

 

そんな言葉がけは、しない。

 

 

 

 

そんな言葉よりも

 

 

 

 

痛いね〜

つらいね〜

ビックリしたね〜

怖かったね〜

 

 

 

 

子どもの気持ちを代弁するような

そんな言葉がけをする。

 

 

 

 

これを

必ず、意識してほしい、ということです。

 

 

 

 

なぜ、そんな言葉がけをした方がいいのか

ちゃんと理由もあります。

 

 

 

 

もし、

まだ痛い子どもに対して

まだ泣きたい子どもに対して

まだ大丈夫じゃない子どもに対して

 

 

 

 

痛くないよ〜

 

もう大丈夫だよ〜

 

泣かないで〜

 

血も止まったし、もう平気だよ〜

 

大丈夫、大丈夫〜

 

 

 

 

こんな言葉を言ってしまうと

 

 

 

 

子どもは

無意識な部分で

 

 

 

 

痛い、と言っちゃいけないんだ

ツラい、と言っちゃいけないんだ

 

 

大丈夫にならなきゃ、いけないんだ

平気、と言わなきゃいけないんだ

 

 

 

 

そう思い込んでしまうのです。

 

 

 

 

なぜなら。

 

 

 

 

そう言った方が

お母さんが喜ぶから。

 

 

 

 

本当は、ツラいのに

「平気だよ」と言ったら、お父さんが褒めてくれるから。

 

 

 

 

いつまでも泣いてたら

お母さんが悲しむから。

 

 

 

 

いつまでも痛がってたら

お父さんに、ガッカリさせるから。

 

 

 

 

だから

子どもは、言い始めます。

 

 

 

 

本当はツラいのに

「大丈夫だよ!」

 

 

本当は痛いのに

「もう平気!」

 

 

本当は泣きたいのに

「元気になったよ!」

 

 

 

 

だから。

だから。

 

 

 

 

子どもが泣いてる間は

子どもが痛がってる間は

子どもが不安がってる間は

 

 

 

 

言ってあげてほしいのです。

 

 

 

 

痛いね〜

つらいね〜

ビックリしたね〜

怖かったね〜

 

 

 

 

と。

 

 

 

 

そのほうが

断然、子どもは、回復するのが早くなります。

 

 

 

 

気持ちも体も、です。

 

 

 

 

なぜか。

 

 

 

 

それは、わかってくれたから。

 

 

 

 

自分の痛さを

自分のツラさを

自分の怖さを

 

 

 

 

周囲の大人がわかってくれたから。

 

 

 

 

それだけで

気持ちは落ち着いていくのです。

 

 

 

 

それだけで

本当に、大丈夫に、なっていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、

 

 

 

 

どうして

周囲の大人は、

 

 

 

痛くないよ〜

 

もう大丈夫だよ〜

 

泣かないで〜

 

血も止まったし、もう平気だよ〜

 

大丈夫、大丈夫〜

 

 

 

 

 

なんて、言うのでしょう?

 

 

 

 

じゃあ、なんで

 

 

 

私はつい

 

 

「ツラくない、ツラくない、大丈夫。

 

忘れていいからね。

全然ツラくないよ。

 

大丈夫だよ」

 

 

 

 

母のツラさに対して

私は、思わず、そう言ってしまったのでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは簡単です。

 

 

 

 

私が受け止められないから、です。

 

 

 

 

周囲の大人が

「泣いてる子どもを見るのがツラいから」

 

 

 

 

私が

「母の悲しみを聞くのがツラいから」

 

 

 

 

だから

目の前の人のツラさを

目の目の人の悲しみを

目の前の人の嘆きを

 

 

 

 

「大丈夫だよ」

「ツラくないよ」

「こうしたらいいよ」

「こう考えてみようよ」

「そんなの気にしなくていいよ」

「もっと悲しい状況の人もいるよ」

「みんな同じなんだから」

 

 

 

 

etc

 

 

 

 

あたかも相手に優しい言葉のような

あたかも相手に寄り添ってるような

 

 

 

 

そんな言葉を並べたて

 

 

 

 

目の前の人の「悲しみ」を

封じ込めようとしてるのです。

 

 

 

 

全ては

自分が受け止められないから。

 

 

 

 

全ては

自分が聞きたくないから。

 

 

 

 

全ては

自分の心の許容量がないから。

 

 

 

 

 

 

 

これからも

私は、

 

 

 

 

その

受け止めれらない、母の悲しみを

受け止められない、私の怖さを

 

 

 

 

もっと、もっと

味わうことになるのだと思います。

 

 

 

 

だけど

その都度、

 

 

 

 

全身で、その悲しみを、その怖さを

感じていこうと思っています。

 

 

 

 

母ちゃんは、ツラいんだね

母ちゃんは、怖いんだね

母ちゃんは、不安なんだね

 

 

 

 

母ちゃんは、悲しいんだね

 

 

 

 

母の

悲しみを、怖さを、不安を

 

 

 

 

私は、一緒に感じていく。

限界まで受け止めていく。

 

 

 

 

それと同時に

 

 

 

 

私は、私自身の、

悲しみ、不安、恐怖も感じていく。受け止めていく。

 

 

 

 

逃げない。

封じ込めない。

 

 

 

 

私自身からも、母ちゃんからも、逃げないし

 

 

 

 

私自身の気持ちも、母ちゃんの気持ちも

封じ込めない。

 

 

 

 

それこそが

私の心の勉強をしてきた集大成だから。

 

 

 

 

自分の心の土台を

自分で育て、強くし、安定させていくための、通過点なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり

私が、心の勉強をしてきたのは

 

 

 

 

母との共依存関係

私自身の愛着障害

人とのつながり感

 

 

 

 

トータルして

私自身の生き方の見つめ直し。

 

 

 

 

そこしかないのだと思うのです。

 

 

 

 

今、私へ提出された課題は

「母ちゃんの認知症に対しての私の役割」であり

 

 

 

 

その母ちゃんとともに、

怖さも、悲しみも、不安も、一緒に感じていくことで

 

 

 

 

私は、

私から逃げないでいようと思うのです。

 

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

 

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