悪を憎んでいる…悪とは?


"悪"という言葉をよく使うエホバの証人たち。


 

悪を憎む

悪に立ち向かう

悪に悪を返してはならない

善を持って悪を征服してゆきなさい

正しい人々が悪によって苦しむことはなくなる


悪を憎んでいると言う人に限って、実は悪党だった、なんてのはよくある話ですが、まず、善と悪って、そもそも誰がどんな基準で決めたものなのか、不思議に思いませんか?



私はJW2世として育ったため、善と悪は神が定めた普遍的で、絶対的なものだと思っていました。


なので、これまでJWというカルトによって培われた固定概念から正義感が生まれ、その正義感によって他者を攻撃したり、否定したり、論破したり。

特に思春期には、父(信者ではない)と衝突する事がよくありました。


しかし、善悪は絶対的なものではなく、立場が変われば入れ替わっていく相対的なものなんですよね💧



例えば、殺人。人を殺すなんて絶対してはいけない事だと教わり、そう信じていました。


最初の人間の殺人の話は有名でしょう。

(わたしの聖書物語の本より)

(第6話 良い息子と悪い息子)


戦いを学ばない』…例え戦争になったとしても、自分の国や家族を守る為でも人を殺さない。なんたって、学校の行事の体育祭でやる騎馬戦ですら、この理由で参加できないと先生に証言しなさいと言われ育ちましたからね。


『右の頬を平手打ちする者には、他の頬も向けなさい』…自分が殺されそうになったとしても、人を殺さない。学校でイジメられたとしても、決してやり返してはいけないと教わり育ってきました。



JW2世は、幼い頃からこのような固定概念を植え付けられてきました。しかし、大人になり、矛盾が生じます。




じゃあ、目の前で、今この瞬間、何の罪もない我が子が殺されそうになっていたらどうしますか?

…それを親の私が子どもを守るために、差し違える覚悟で相手を殺したら?


これは善ですか?悪ですか?



ある行為が善になるか、悪になるかは、見え方と、その時代の考え方次第。



もし、これが身分制度のある時代で、私たち親子は身分が低く、殺そうとしていた人の方が身分が高かったら、私がやった事は悪になる。逆なら善になる。戦争中なら、当然の事となる。今の時代なら、有罪にはなるけど、情状酌量が認められるかもしれない。



所詮、善悪なんて人間が決めた物差しでしかないんです。




しかし、エホバの証人の考え方は違います。

聖書に人を殺してはならないと書いてある。

殺人=悪

どんな理由があろうと、人を殺した私は悪人になります。命は命で償う必要さえあります。

え?子どもが殺されてたかもしれないのに?

そうです。例え子どもが殺されたとしても楽園で復活してきます。だから正当防衛だとしても、復讐だとしても、人の命を奪うのは神が禁じている事ですから、我が子の命より信仰を優先するんです。



これが、聖書の見方だと思い込んでいるエホバの証人の考え方でしょう。




さらに、これと同じことを輸血拒否でも使っているんですよね。

聖書に血を避けなさいって書いてある。

輸血=悪

どんな理由があろうと、持病だろうと事故だろうと、輸血をしたら悪人になります。罪人です。

我が子が輸血をしないと、命に関わる場合でさえそうです。例え子どもが亡くなったとしても、楽園で復活してきます。だから、子どもの命と信仰を天秤にかける試みに遭ったとしても、我が子の命より信仰を優先するんです。


これは善ですか?悪ですか?



そして、最後には宗教内の規則を守らない人々は排斥に(破門)します。会衆の清さを守るため、悪人は組織から排除しなければならない。


 

殺人を犯した人
輸血した人
婚前交渉をした人
内部告発した人
組織に忠実でない人
長老に従わない人etc.


排斥(破門)にするだけでは飽き足らず、全員で忌避までします。


これは善ですか?悪ですか?




立場が違えば悪は善にも、善は悪にもなります。


悪を憎むとは、一体何を憎むんでしょうか?

悪い事をした、その人本人を憎むんですか?


法でも裁判官でも無い、よく間違いを犯す、ただの地元の長老達に、悪人だと判断され、排斥された人達を無視し続けることが善ですか?


仮にも宗教と名のつく団体が、たった一度の間違いを犯した人を、永遠に憎み忌避し続けるんですか?

これのどこが、霊的パラダイスなんですか?



よーーーーく、お考えください笑















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