JWが排斥者を徹底的に避け、無視しなければいけない理由はコチラ↓





①の理由を見てみましょう。

『神とみ言葉に対する忠節』つまり、これはただ単に神が言ってるから、神の法律だからって理由です。JWは神=組織(統治体)なので、これは組織(統治体)の命令だからと言うだけの理由になります。


②の理由は、会衆が汚染されない為です。

そうです。排斥者から、自分が排斥された理由や、審理委員会時の体験談、組織に対しての理不尽さや、疑問に思っている事などを、会衆内のまだ何も知らない人達に広められると会衆が汚染されて困るからです。


③の理由は、実に人間らしいですよね。

排斥は審理委員会の決定、つまり長老達(人間)の決定と言っています。それを支持するなら、エホバの元に戻る?いやいや、それを支持するなら、長老達の元へ戻る事になります。誰が追い出した人達の所へ戻りたいと思うのでしょうか?

だから、無理矢理にでも交友関係や親子関係を断ち切って、寂しい思いをさせれば帰ってくるかもしれないと考えたのです。なんと、人間らしい考え方なんでしょう。さすが、組織(統治体)の考える手法ですよね。



ここでよく使われるヨハネ第二1:10、11を見てみましょう。



『家に迎え入れても、あいさつの言葉をかけてもなりません』とあります。これは果たして排斥者に対しての対応なのでしょうか?

しっかりと文脈を見てみたいと思います。


まず、この聖句はヨハネの手紙です。

ヨハネが選ばれた女性とその子ども達に宛てて書かれた手紙。


7節では、どんな人を迎え入れてはいけないか書かれています。



これは、イエスが真の人間として、この世に生まれ、杭にかけられ死に、三日目に死者の中から蘇ったことを否定した人達がいるので、気をつけてね。という手紙なんです。


つまり、排斥された人に気をつけなさい、という手紙ではなく、他の宗教の人が勧誘に訪れてきたら、その人を迎え入れたり、あいさつの言葉をかけてはならないと言っている聖句なんです。

この聖句、他のキリスト教からはエホバの証人やモルモン教の人に気をつけなさいって意味で使われていますよ。笑っちゃいますね!



組織(統治体)は、自分達の都合の良いように聖句を使います。




排斥者を無視することは、これは子どもがよくやる仲間はずれと同じですね。

子どもならまだしも、これを大人がやったら、立派な人権侵害です。




こちらは県の健康福祉課のチラシの一部分です。

具体例の一番最初に『仲間はずれにされている』と、しっかり書かれていますよね。


世界中の人々は無視をする事は、仲間はずれにする事、人権侵害に当たる行為だと認識しています。


また、親が子どもを無視すると、体罰にもなりますので、子どもを持つJWの方々は認識しておいた方がよろしいかと思いますよ。(体罰も人権侵害です)





どんな理由があろうと、我が子を無視する行為は体罰であり、虐待であり、人権侵害です。



世間一般の常識は↓


会社内で特定の人を無視をすればパワハラ


地域内やグループ内、友達同士で、特定の人を無視をすればいじめ


親が子どもを無視すれば体罰


では、JWが排斥者を無視するのは…愛の表れ?



自分の頭で考えてみましょう!