二十二、

 

 

 ある日、清之助が帰ってくるなり、

 

「ちょっと、話がある。そこに座ってくれないか」

 

と言った。

 

 お由布は息が止まりそうになった。

 

 まさか、先日幸吉と一緒にいるところを見られたのではあるまいか。

 

 清之助は、お由布の顔を覗き込むように言った。

 

「実は、本店へ戻ることになった。上方での暮らしは、お前には馴染まないだろうから私一人で行くよ。その方が、お前もいいだろう」

 

 

 清之助の勤め先の三橋屋というのは、いわゆる江戸店持京商人で、奉公人は全て本店のある京都出身者である。

 

  子供たちは幼いうちに本店の京都で奉公に上がり、数年の修業ののち江戸店勤めのために、はるばる街道を旅してやってくる。そのうちの一人が清之助であった。

 

 そのことを、すっかり忘れていた。そのくらい、清之助はこの江戸に馴染んでいたのだ。

 

 

 それにしても、なんとも唐突な話であった。

 

「お前もいいだろう」とは、幸吉と一緒にいたことを知っているという意味なのか。

 

 もし、知らないとするならば、まさに清之助らしい言い回しではある。

 

 知っていて知らないふりをするのも、また清之助らしいと言える。

 

 

 しかしー。

 

 これで、お由布もまた自由になれるのだ。

 


 

 

 髪を整え、紅も引いた。

 

 手文庫の中から取り出した金を財布に入れて、お由布は外に足を踏み出した。青く澄み切った空が、どこまでも続いている。

 

 少し気分を変えて、柳原から右に折れてみた。

 

 川岸に沿って歩いていくと、やがて両国橋。橋のたもとから向こう岸に目をやる。

 

 視線の先には、お由布の奉公していた「日野屋」がある。

 

 今ごろはすでに大勢の客が店を訪れて、皆忙しく立ち働いていることだろう。

 

 店のある方角に向かって手を合わせると、小さく頭を下げた。

 

 広小路を横切って隅田川沿いにしばらく行くと浅草に出た。

 

 

 十五年前の十二月二十五日。父は、ここで命を落としたのだった。仕事納めの朝だった。

 

 浅草と言えば浅草寺。

 

 ここ一ヶ所だけで、あらゆる現世利益の願望が叶うといわれる庶民信仰の中心地であった浅草寺は、江戸随一の盛り場でもあった。

 

 境内は、そのご利益にあやかろうという老若男女で、随分の人出だった。

 

 人いきれと久しぶりの外出とで、たまらず近くの茶店に入る。

 

 一息ついたところで、本堂の観世音菩薩をお参りし、数ある店をのんびりと覗いて回る。

 

 一軒の店の前で、足が止まった。店先に置いてある、赤い玉簪が目にはいった。いかにも子ども向けの粗末な作りではあったが、心に響くものがあった。

 

「おとっつぁん」

 

 お由布は迷わず、その赤い玉簪を買った。

 

 上方へ戻る準備で忙しく帰りの遅い日が続いていた清之助がめずらしく早く帰ってきて、買ってきた簪に目を留めた。

 

「おや、まあ。また、随分と子どもじみたものを。もうちっと、ましな物はなかったのかい」

 

 やっぱりお前はと、目が言っていた。

 

 だが、お由布は構うことなく、その赤い玉簪を鏡台の前に供えるようにそっと置いた。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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