十三、

 

 

 日を追うごとに、年を重ねるごとに増してくる仕事上の責任が、だんだんと清之助を気難しい男にしていっていた。

 

 その気疲れが大きなため息となって、さらにお由布の上に覆い被さっていく。

 

 

 いつでもどんなときでも口答えせず、少しでも不機嫌な色が見えたと感じると即座に「申し訳ありませんでした」と頭を下げるようになってから、夫婦の間には波風ひとつ、そよとも吹かなくなった。

 

 だが、それと入れ替わるように、時折お由布の体に正体不明の風が吹く。その風は、時に頭の芯を揺らし、時に心の臓を吹き抜ける。

 

 

 今朝は珍しく頭の痛みもやってこず、久方ぶりに柳原の土手に立ち並ぶ古着屋を、何軒か覗くつもりで家を出た。

 

 柳原沿いに建っている稲荷には、たぬきが祀られている。

 

「たぬき」は「他抜き」に繋がり、出世の御利益があるとかで、小さな稲荷社にもかかわらず、先ほどから入れ替わり立ち代わり人々がお参りにやってきている。

 

 たいした距離でもないのに、途中で胸の辺りにどくどくと脈打つような息苦しさを感じて足を止めた。

 

 また、悪い風が吹いてきたのか。お由布は崩れ落ちそうな思いを吹っ切るように、重い足を踏み出した。

 

 

 柳原界隈は、いつも通り賑わっていた。

 

 まもなく五月二十八日の川開きだ。両国橋で繰り広げられる花火の打ち上げを見に行くための新しい着物を手に入れようと、大勢の人々があちらの店こちらの店と、楽しそうに新しい着物を探して回っている。

 

 新しい着物といっても、文字通り新調するわけではない。江戸時代において布、特に手間のかかる着物は貴重品で、高価なものであった。それゆえ庶民はもっぱら古着屋を利用していたのである。

 

 

 古着屋の店先に柄も色もとりどりの涼しげな着物が吊り下げられている。それらを見ていると、先ほどの息苦しさも幾分和らいだ気がする。

 

 柿渋に麻の葉も小粋だが、銀鼠の三桝格子にも心惹かれる。藍の絣も夏らしい。各店の自慢の品を見て回るうちに、お由布の心も次第に浮き立ってきた。

 

「たまには買って帰ろうか」

 

が、結局は何も買わずに帰ってきた。

 

 古着の一枚くらい買ったところで、清之助は文句を言わない。

 

 文句を言わないと頭でわかってはいても、心が躊躇した。

 

 いつもそうだった。

 

 そうして結局何もできず、何もできずにいるくせに、後ろめたさだけは始終付いて回った。

 

 

 あとふた月で七月二十六日。二十六夜待だ。

 

 この夜の月の出に際して、光が三つに分かれて輝く様を、阿弥陀、観音、勢至の三尊の出現になぞらえて、これを拝むと幸運が得られると信じられていた。

 

「ぜひにも見てみたい」

 

 お由布は、晴れぬ心のもやに悩まされながらも、二十六夜待に思いを馳せていた。

 

 

 早くにふた親を亡くし、一生懸命に気を張って生きてきた。そんな時に、頼って甘える先ができたと喜んですがりついた先が、清之助の膝の上であった。

 

 暖かく包み込んでくれるはずだった膝の上には、しかし遠目には見えなかった蜘蛛の糸が張っていた。柔らかそうでいながら決してお由布に自由を許さない。

 

 いつしかお由布の心の芯にまで、がんじがらめに絡みつき、息をするのも苦しくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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