YouTubeでも有名な精神科医の言葉、

不幸せだと思う人へ、

というお話がありました。

 

通院していてもいなくても、

そういうふうに想う人がいても無理もない、

という気持はありますが、

私は不自由ではあっても不幸せではない。

不幸せと思ったことは無いかもしれません。

 

 

もっとそう思ったほうが素直なのか?と問いただしたけれど、

そう想えないのは確かで、それがどうしてなのかは分かりません。

おそらく衣食住足りている。

とてつもなくへんな時はあり、先週は何年か前に、

パニック障害のベースに使われる抗うつ薬の断薬後に起きためまい、

回転性のめまいが起床時に起きました。

 

 

今は治まっていて、頭内めまい感やふらふらするのはもう慣れた、

というより他ないというところまで、

副作用のプロになってしまった。

それでも不幸せではないと思うのは、ただ衣食住足りている。

 

 

お世話になった方、今も継続してお世話になっている方、

周りの助けがあってここまでやってこれたからだと...

心から想えるからかもしれません。

 

 

かもしれません?というとあやふやなところに居て着地感がないけれど。

自分にしか分からないこの体感によく耐えてきたと褒めても足りない、

という面もかなり生まれてきているからかと想います。

 

 

またパニック障害だけでなく親子や家族のことを広く深く考えてみると、

例えば親がどういう育ち方をしてきたか、

どんな特性を持って人生歩んで来たのか。

 

 

そこまで遡ってみると(それは投薬に限らず治療としても必要なので)

狭いところではなく、大きな括りとして、私がパニック障害になるべくして、

(べき思考とはまた違い)

何といったらいいのかそういう役割として生まれてきて、

この世で体験して、そんな役は降りたいけど、何度もそう思ったけれど、

これはもう、さすがだな、私。

 

 

そう想えるぐらい、いやというほど味わい尽くしてきた体感を、

この先どうなるのかもわからない未来はわからないのだし、

褒めるしかない、もう褒めていいよと本当にそう思っている。

 

 

世間的には著名人が、這ってでも出てくることが大事、

舐めてるなどなど、障害者への批判の言葉を並べているのを目にしました。

過呼吸発作になったことのない人に分かるのでしょうか?

という気持にもなったけど、そうだよね、分かるはずない、

分からないから言える言葉なのでしょうと涙が出た。

 

涙腺つよいほうだけど悔し涙ともまた違う何の涙なのか。

どんな場合でも、病気や障害を叩くことに賛成はできないです。

 

 

病気は理不尽なものという言葉も、

内科の医療従事者の動画で聴きました。

 

 

お話し元に戻ります。

投薬すればパニック障害だって大事な場に出て来れるでしょう?

例えば飛行機に乗れるなら大丈夫でしょう?

という表面的な声もありましたが、確かに飛行機に搭乗、

となると急性期は過ぎていて、ほぼ寛解ともいえるような気はします。

 

 

ただその人がどんな状態にあるのかは、世間の人には分かりません。

もちろん私にも。

想像は出来ますけど。。

 

 

いくら投薬していてもあまり効かない場合もあり、

大舞台に出て更に悪化することも大いにある。

飛行機に乗れるのも、著名人であればファーストクラスなど、

待遇のよいところでお付きの方がいて、、

飛行機はこわくない、ということもある、クリアできた、

ということもあるでしょう。

 

 

なので、ネットニュースには続々と、

この障害のことがニュースになっていますが、

世間一般の方の声を読んでみると、

かなり軽んじられているんだなぁという印象が残ります。

というより分からない方が多いのでしょう、

それは仕方のないことです。

 

 

よくパニック障害とは?という冊子やサイトの項目に、

数10秒ぐらいで発作は治まり、

救急車で運ばれる頃には治まって帰宅させられる。

説明を何度も目にしています。

 

これも人によって全く違います。

私もこれに当てはまらなかったからです。

 

 

また先日は、某バンドのメンバーがパニック障害ということで、

ネットニュースに取り上げられていました。

やはり叩きますね、世間の方々。

バンド名は有名なのでよく耳にします。

コメント欄には、ここぞとばかりに都合よくパニック発作が出る、

調子がいい、などなど...

 

 

読んでいてふと気づいたのは、障害そのものに加え、

その背景を叩いていることでした。

私がいかに芸能事情を知らなかったか、

ということもありますが、そういうことなのかと。

それで叩かれているのだと...

 

ある程度の状況は理解できました。

ただそれと障害は別のこと。

病気や疾患は遺伝も含め、

その人の身体の弱いところに出ると聴きますからね。

 

 

喘息の発作、心臓発作、てんかん発作、発作にもいろいろあり、

内科的な疾患でも何かがあれば発作を起こしたり、

病状が悪化してしまうものです。

先日も人と話をしていて、

小児喘息だったので発作が出たらどうしようと、

遠足の時にはこわかったと聴きました。

 

 

何故パニック障害は、宙に浮いたように、

人によって辛いですね、と言われたり、自業自得など、

障害とは関係のない部分で扱われるのか。

 

 

疾患をよく知ることのない人たちが、著名人を通じて、

たいしたことない、本人がよくない、、、

こういったコメントを書き連ねて叩くのは、

更にこれからこの障害を体験するかもしれない方に、

あるいは全く知らない世間の方に、誤解を与えるのでstopしてほしい。

 

 

ご家庭の事情や背景は、ほんとうのことなんて到底世間には分からない。

ほんとうに辛い状態であれば、投薬して、しなくても他の方法で、

発作を抑え、そのあとは内観していく上で気づきがあるはず。

 

 

また最初の著名人の言葉。

這ってでも出て来い、舐めたらあかん、これを人に言われても、

関係のない大御所さんが、独自の言い回しで病気や障害を突いても、

毒になるだけで薬にはならない。

いくら人に言われても、ダメな時はダメ、奮起する場合もあるかも

しれませんが、無理してほんとうに悪化してしまったら元も子もない。

 

 

この叩いた大御所の女性、私は好きなんです。

紅白歌合戦の司会でコンビを組んだ司会者との再会動画を視聴。

長年誤解があったこと。

それを動画で話して和解したという、

なんとも人情味のあるところ。

 

それはそれとして、の感想ですよ。

 

 

今年も紅白の時期がやってくる。

日本シリーズもあと少し。

やっぱり私は昭和の人間なのだなと思いつつ、

今年のひとこまをちょっと振り返ってみました。

 

 

この季節は何か特別な想いを募らせます。

時代は変わりました。

 

来年は更に変わっていくのでしょう。

 

 

 

 

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