2014年08月26日 | 【私の戦争日記】

【私の戦争日記】

25年生きてて今更、すべてが嫌になりました。
ここに書くのは遺言に近いかもしれませんが、一族に対する恨み辛みが盛り沢山。
私の体験、経験しか書かないので実話です。
これが私にとっての地獄です。

(私がここのブログを立ち上げる切っ掛けの日)

2014年08月26日の事。




前日からおばあちゃんが来る事を知ってたから出かけて帰宅。


帰宅する時に叔母さんがすれ違い様に挨拶。

おばあちゃんに挨拶するか迷ったけど、機嫌が悪いと嫌味を言われたりするから挨拶したけど、これが失敗だったのか?それともチクリが居たのか分からない。


少し話してたら呼ばれたから話したらどこの誰がチクったのか、『お前、仕事行かないでパヤパヤした店で働いてるのか?』だって。


(たぶん、パヤパヤした店ってドレス着てお酒を注ぐ店の事だと思う。)


別に悪い店じゃないし、叔母さんの友人の店だし、家族は知ってるから別にいいんだけどこの家にはチクリ魔がいる。


余計な事を言わなければいいのに馬鹿に素直なのかハタマタ私の苦しんでる姿を見て楽しいのか、ベラベラと喋る。


だからいつの日にか言ってやろうと思っちゃう。

弟がギャンブルにハマってる事とか義ママのタバコの事とか、食事の事とか。


まぁ、そこからベラベラとおばあちゃんの独裁計画の話、はなし、はなし!!!


たしかに実家の店が厳しいのは薄々と気が付いてるけど、この人は私に継がせたいらしい。

でも私は継ぎたくないし、違うジャンルの仕事をしたい。


いぜん、言った事があるけど聞く耳なし。

自分の思いを言えば言うほど、『家族を助ける気はないのか?』だとか『いつまで遊んでるのか』だとか。

そして追いつめられて腕を切れば『なんで相談しないんだ』と言う。




とりあえず、このおばあちゃんは本当に自分の思い通りに行かないと気に食わないタイプ。


『資格があるんだから!』との事で県内で一番大きくて関東でも5本に入る有名な会社に就職した時は『すごいじゃないか!自慢の孫だよ』と言ってくれたのにその会社が委託だとわかると『そんな派遣のくだらない会社なんて辞めちまえ!』だとか、


19歳の時に『いい男はいないのか?』との事で「キャノンの年上と付き合ってる」と言えば『そんな先のない会社の男なんて別れろ』と言われて数年後、『知り合いの息子さんがキャノンのいい役職の人だから見合いしてみな。』だとか、


21歳の時に『男はいないのか?』との事で「介護士の年上といい関係」と言えば『そんな下の世話ばかりの男、やめろ』と言われたけど、私が18歳の時、『介護士ほどいい資格の持ち主は理想の旦那だね』だとか、



このおばあちゃんは本当に訳がわからない。


『過去の自分は他人』って言った2分後に『昔のアンタは本当にできた子だったよ。』だって。



私が初孫だからなのか分からないが、期待をしすぎだと思う。

『この子は働くのが好きだから』って言うけど、働くのは好きじゃない。


さんざん、中学の頃からバイトさせてきたのに他の孫(弟・従姉弟1・従姉弟2・従姉弟3)には何も言わない。

家でゴロゴロしようが何も言わない。それも私は気に入らない。




一時期、大ゲンカした時は私も頭にきて「なんであの時(自殺未遂)に殺してくんなかったの!?」と言った返事が『あんたなんて引き取らなければよかったよ!!』


たぶん、この時から私の精神が不安定になったんだと思う。





話がずれたけど、、、


見た目よりも涙もろい私は、泣きながら適当に笑ってたけど横からおじいちゃんが『デブ、デブ』って言ってきたのは地味に精神削れたね(笑)


夜の20時からママさんのトコでバイトだったから19時迎え。

逆算して18:30には支度終わらせたいのに18時に話が終わってシャワー浴びずに出勤。


帰宅した夜は泣いたね。



まぁ、ぐちゃぐちゃな内容だけど私には精神的にきた夕方でした。