一日遅れで終戦の日に便乗しただけのブログ記事 | せいぜいひまつぶしの小話

せいぜいひまつぶしの小話

5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

フォロー申請してくるのがウヨと反ワクとスピ系ばっか
ムカついてる今日この頃、終戦の日に便乗して色々と書いていきます。
とりとめの無い文章になるかと思いますが了承…を得る必要はありませんね。

かわぐちかいじかパトレイバー劇場版に感化されてンでしょうが、
食料自給率の低い日本相手の戦争なんて兵糧攻めにすればいいだけの話なんで、
軍備ガーとか憲法9条ガーとかそもそもそれ以前の問題でして、
本気で日本を戦争出来る国にしたけりゃまずは足元を固めなきゃいかんのに、
その辺をおざなりにしてる時点でまったく話になりません。
日本が晒す「無防備」とやらが軍備だけと思ったら大間違いです。
(その辺のサブカルオタクどもの勘違いはいずれ別の形で取りまとめていきたいと思ってます)

あとそれからこの時期になると「悲劇は繰り返さない」とかなんとかお決まりの文句を
よく聞きますが、そもそも「悲劇」ってなんでしょうか?

 

人肉を喰らうまで追い詰められたこと?

 

無謀な作戦強行して大量の犬死を出したこと?

 

それとも原爆で民間人が大勢死んだこと?

 

 

それで勝ったとしたら同じことが言えたでしょうか?
「尊い犠牲」の感動ポルノで消費してた“だけ”なんじゃないですか?

勝っても負けてもそこ“だけ”は変わらなかったでしょう。断言してもいいです。
 

本気で“悲劇”を繰り返したくなければ悲惨なコトだけ伝えるよりも関わる全てを批判的にとらえ、

最終的には全否定していくことが肝要だと考えています。

要するに悲劇の主人公気取ったくだらねーダンディズムでマスかいてなけりゃ特攻なんか
やってらんなかったわけで、それで負けてりゃ世話ねーんだよバーカと、
せいぜい彼らの無駄死にを精一杯コケにしてやろうと思います。

責任の所在を曖昧にしたまま、それを食い止められるだけの権限を持ちながら責任を果たそう
ともせず、丸投げの事なかれ主義で“空気”とやらに流されたグダグダの意思決定でもって
最悪の事態へと突っ込んでいく「悲劇」なら、最近の日大とかジャニーズのクソムーブが記憶に
新しいところですが、結局80年前から何も反省してなかったわけですね。

真に伝えるべきは失敗の“原因”とその“本質”であり、
「悲惨なだけ」なら語り継いでも無駄だった、ということです。