魔女はどうして魔法が使えるのでしょう? 誰から教わったのでしょう?
魔法を教えてくれたのは、魔女が住んでいる森の、動物たちだったのです。
水の中をスイスイ泳ぐ魔法は魚から、
狼からは森の中を自由に駆け回る魔法を、
リスからは木登りと、食べられる木の実の見分け方を教わりました。
ほかにも天気を当てたり草や葉っぱからお薬を作ったりと、
森の動物たちから色々なことを教わりました。
ある日のことです。コマドリとミツバチを見つけた魔女はたずねました。
「どうやったら、空を飛べるようになるの?」
ミツバチは答えます。
「バタバタ、バタバタ、とにかくいっしょうけんめいに羽をうごかすんです」
つづけてコマドリも答えます。
「とにかく体を小さく、かるくするんです」
魔女は困りました。
「どうしよう。私はあなたたちみたいに小さくもかるくもないし、羽もついていないわ。
それにバタバタ、バタバタ、うごかしつづけるなんてできるかしら。
そうだ! あなたたちに、引っぱり上げてもらうのはどうかしら」
ミツバチは答えます。
「森じゅうの虫たちをあつめたって、できっこありませんよ」
続けてコマドリも答えます。
「森じゅうの鳥たちをあつめたって、できっこありませんよ」
「困ったわ。動物さんたちからは色々な魔法を教わってきたけれど、
空を飛ぶことだけは、できっこないのかしら」
魔女はおおいに困りました。
やがて森は秋を迎え、色づきはじめた葉っぱが1枚、また1枚と枝から
落ちるようになる頃、魔女は、風に吹かれて飛んでいく葉っぱを見て思いつきました。
「そうだ!葉っぱをたくさん集めて、いっしょに風に吹かれてみよう!
そうすれば、葉っぱといっしょに飛べるかもしれないわ!」
ここは森の中です。葉っぱはそこらじゅうの木の枝にたくさんついています。
森じゅうを探さなくたって、あっという間にたくさん集まりました。
葉っぱのしげった木の枝を、長い棒の先に何本もくくりつけ、風が吹くのを待ちました。
やがてビュウゥ…と風が吹き、葉っぱが風をつかまえると、棒はフワリと浮き上がります。
「これにつかまれば空が飛べるわ。でも、空が飛べるだけなんてもったいないかな」
長い棒の先で枝同士がからみ合っているのを見て、魔女は思いつきました。
「そうだ!これでゴミをからめとってしまえばいいんだわ」
こうして空を飛ぶためのホウキは、おそうじにも使われるようになった、ということです。
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『魔女がホウキで空を飛ぶ』理由が気になり始めた姪っ子の
知的好奇心に応えるべく、それっぽい話をでっち上げてみました。
“男根の象徴”とかそーいういかにも前時代的な史実を基にした
ミソジニー(女性嫌悪)丸出しの話をするわけにはいきませんからね。
「ホウキで空を飛ぶ」のではなく、
「そもそも空を飛ぶための道具だった」という
“逆転の発想”を組み込んでみると、それに気付いた自分がなんかスゲー賢い人間に
なったような気がしてくるので、小学2、3年生ぐらいに話してもそこそこイケると思います。
あともう1コ別バージョン…というか割と大きな人向けのネタになりますが、
・孫悟空(=山で修業した仙人)は雲に乗り
・ギリシャ(=地中海性気候)では馬に翼が生え
・雲一つ無い砂漠の『アラジン』は魔法のじゅうたん
てな具合に『土地の環境が“空を飛ぶ”イメージに影響を及ぼす』
方向で考えてみると、森の中でイメージを喚起される相手は“鳥”か“虫”でなければ
“風に飛ばされる木の葉”で、ソイツを寄り集めたらホウキに似てなくね?
…というような話を仕事場の仲間相手にしてみましたところ、意外と良い反応が得られました。
小中学生の頃に社会科だか地理だったかの教科書でチラリと読んだことのあるネタから膨らまして
丸々でっち上げた民明書房ですが、退屈な教科書の中身も覚えておいて損は無い、ということです。
↓今回のサブタイと語感が似てるのはあくまで偶然の一致
↓魔女つながり