病院へ行こう!そう決めて念入りに化粧までして、車に乗り込んだ。

忘れ物がないよう家を出る前に何度も確認もした。

車に乗り、ついこの間まで旦那を助手席に乗せて一緒に通った道のり。

でも、今は私一人。

 

病院はいつも行くスーパーの近く。旭川ではがんの拠点病院となっているところだ。

総合病院なので大きいし、人も多い。

病院が近づくにつれて、それまでは平常だった私の心臓の鼓動が早くなる。

病院の建物が見えてきたところで胸から「ズキン!」と音が鳴った気がした。

スーパー側から病院が見える位置で隣接するレンタルビデオ店の駐車場に

車を止めて、そこから病院を暫く見ていた。

5階のあの窓から私が帰る時、旦那に見送ってもらった。あそこに立ってたな・・・旦那。

そんな事を思い出すと、やっぱり出てくる涙。何度見てももうあそこに立って

私を見送る旦那の姿に再び出会う事はもうない。

 

意を決して車を降りて、すぐそこの病院まで歩いて行くことにした。

病院の駐車場を抜けて、入り口の回転ドアの前までやってきた。

でも、このドアを潜ることができない。足がすくんで動かないのだ。

旦那が亡くなった日、私はこの回転ドアを娘と後ろを振り向くことなく後にした。

あの日の自分がまだここに残っているような、そんな気がして前に進むことを

拒んでいたような感じだった。

落ち着くまで暫くの間そこで止まったままじーっとしていた。

出入りする人達は「この人なにやってるんだろう?」そんな顔つきで私の顔を

通り過ぎ様に見て行った。きっと今にも泣きだしそうな顔でもしていたに違いない。

 

どの位の時間が経ったのかはわからないけど、やっとの思いで回転ドアの中に

入り、院内に辿り着いた。

前を向いた瞬間、抗がん剤治療で通った日々と最後のあの日が蘇ってくる。

受付機で受付をしている旦那。精算所で待っている旦那。薬を受け取る旦那。

1階のこの場所だけでもたくさんの旦那があちこちにいる。

そして看護師さんに見送られて泣いてる姿を院内にいる人に見られないように

下を向きながら早歩きで出口に向かう私と娘の姿も思い出される。

 

ここにはもう来ることはないだろう・・・そう思っていただけに意外と早く訪れた再訪に

亡くなってまだ数日の私には非常に辛い場所だった。

家を出る時はお金を払って、お礼を言って・・・なんて色々妄想してたけど

ここで旦那は亡くなった。この事実はあまりにも重たい。

立っていられなくなって、精算所の椅子に腰かけて一人で下を向いて泣いた。

 

涙が乾いた頃、精算所でお金を払った。最後の入院では抗がん剤治療はしておらず、

急変後は24時間のモニター監視や痛み止めのオキファスト、栄養剤などが請求され、

最後の入院費は60,882円。顔色は変えず、普通にしていられたと思うけど

どうだったんだろう・・・。泣いてたから目はきっと赤くなって何かあったと悟られて

いたかもしれない。

 

精算が終わって、同じ1階にある消化器科外来へ向かった。

時間は1時を過ぎた頃だった。丁度外来は患者さんの姿も少なくなってきて、

もう少しで午前中の診察が終わろうか・・・というところだと思う。おそらく看護師さん達は

担当患者がいなくなった頃合をみて、交代でお昼の休憩に入っている時間帯に

なるので、私がお礼を言おうとしている看護師さんがいるかどうか・・・。

外来のすぐ側まで来たけど、二の足を踏んでしまい外来の受付まで足が進まない。

すごく躊躇した。今さらだけど会いに行って迷惑じゃないだろうか・・・。

でも会わないとここまで来た意味がなくなってしまう。私はお礼を言いに来たのだから。

 

勇気を振り絞って受付に行き、

「すみません。○○と申しますが、岩野さんはいらっしゃいますか?」そう言うと

私の顔を見知っている看護師さん達がきて

「こんにちは。大丈夫ですか?ご主人の事、残念でしたね。今、岩野に連絡して

みますのでお待ちくださいね。」そう言って、看護師さん達と私は会釈で

旦那が亡くなった事に対する挨拶を交わし、外来でお世話になったお礼を

言った。数か月間だったけど、岩野さん以外の看護師さん達には

何度かお世話になっている。

いつも一緒に行動していたので、顔を覚えてくれている人もいたのと、旦那が

亡くなった事は周知されているようだった。

 

岩野さんはやはりお昼で休憩に入っているようだったが、すぐ外来に来てくれる

ということだったので、私は外来の椅子に腰かけて1人でその時を待った。

きっと暗い悲壮感漂うような表情でそこにいたんだろう。

幸い外来患者は数人しかいなかったので、周りはさほど気にならなかった。

待っている間、ここに通って来ていた数か月間の事が昨日の事のようだ。

がんと告知され、一緒に先生の話を聞きに来てから何度この場所へ来ただろう。

検査の結果に一喜一憂し、喜びや不安色んな感情に翻弄された。

がんと闘った旦那がたくさんいる場所でそれしか思い浮かばない。

そして、私も旦那と一緒で検査結果に不安が一杯だったが、それを見据えたように

励まし、勇気づけてくれたのが岩野さんだ。

 

詰まる思いで一杯一杯で居た所に

「○○さん」と呼ばれた方を見ると岩野さんがこちらに歩いてきていた。