みんなが乗りあったバスが斎場を出発した。
事前に斎場のスタッフとの打合せで、出棺後のバスの経路についての話があって、
火葬場に行く途中で寄りたい所とかあれば寄ってから行く事もできます。と
言われた。そう言われて私は咄嗟に
「家に寄ってもらう事は可能ですか?」そう言った。
「はい。大丈夫ですよ。」
「義実家ではなくて、旦那が住んでいた私達の家に・・・。」
「もちろん大丈夫です。」
嬉しい返事をもらったので、火葬場に行く途中で寄ってもらう事にした。
なぜ私達の家にしたのか・・・。義実家は旦那の名義でローンも払っていたけど
住んだ事はない。というか住むタイミングを失ってしまっていたのだ。
お正月やお盆に顔を出す程度だったので、旦那も自分の家という感覚はなかったと思う。
その証拠に義実家から家に帰ってくると
「あ~やっぱりうちが一番落ち着くな。」そう言っていたから。
でも、がんになって最後に入院した時、退院してうちにはもう帰れない・・・
そんな事は絶対に思っていなかっただろうし、帰るつもりで入院していたと思う。
ところが容態が悪化し、退院どころか命の峠を告げられて、そのまま・・・
病院で終わりの時を迎えた。
体力や調子が良くなったら退院して元気になってうちに帰る。・・・そう思っていたと思う。
義実家は名義こそ旦那の家だけど、あそこは旦那の家じゃない。
本当は亡くなって遺体となってしまった旦那をここに連れて帰って来たかった。
そして家族だけで過ごしたかった。でも、狭いので無理があった事や、
義実家の都合なども色々考えて、泣く泣く連れ帰った場所は義実家だった。
きっと旦那も帰りたかったのはあそこじゃなく、ここだと、私と娘と旦那と3人で
暮らしたここに帰りたかったに違いない。
そんな思いがあって家に寄ってもらい、最後に旦那に帰ってきたよ・・・と
教えてあげたいと思ったから、家を周回してもらえると聞いて本当に嬉しかった。
もう、旦那を家に連れて行くのは絶対にない事だと思っていたので、
斎場の遺族に寄り添う気遣いに感謝の気持ちしかない。
斎場を出てから10分もしないうちに我が家の前に到着した。
道路でハザードを点けて停車し、おそらく5分位はそこにいたと思う。
私は心の中で「○○帰ってきたよ。見えてる?おうちに着いたんだよ。やっとやっと
帰って来れたね。よかったね。」そう話しかけた。
旦那が帰って来たい場所。そして生きて帰る事はもう2度となくなった場所。
バスの運転手さんが「そろそろ出発しますが、宜しいですか?」と言ったので
「お願いします」と答え、バスは火葬場へと向かった。
火葬場は我が家から20分もあれば着く所にある。
新しくなって暫く経つが、私の叔母が数年前に亡くなって以来だった。
着くまでの間、私は無言で何も考えられず窓の景色を眺めていた。
後の席に座っていた義母とその友人の会話が聞こえてくる。
「あの家、どうするの?まだ住むの?駐車場にでもしちゃえばいいしょ」
「そうだね」
こんな会話だった。この人達はいったい何の話をしてるの?
駐車場にでもしちゃえばいいしょ?って何勝手な事言ってるんだろう。
あそこは旦那の名義で義母の物ではない。旦那が亡くなったからといって
義母が好き勝手できるわけでもない。話だけ聞いてるとまるで義母が相続するような
話に聞こえてくる。この人達わかってる?まだ火葬も終わってないのに、
もう家をどうするとかそんな話をしてること事態ありえない。
まるで他人事のにように話す義母の口調にもう悲しいという感情はどこかに
飛んでいってしまい、お金や遺産の事しかないんだろう。
本音は振り返って喝を入れたい気持ちだった。でもそれはしなかった。
どんよりとした気持ちと怒りで腹立つ気持ちが交差してイライラしていると
バスは火葬場の正面に着いた。私達遺族と関係者は順に降り立ち、
案内人について行くと、旦那を火葬する焼却炉の前に辿り着いた。
まだ火葬の為に炉の中に入った訳ではないけど、言い表しようのない感情が
沸々としていた。できるわけはないけど火葬を思いとどまる事ってできないのか、
ここに入ったら本当に最後になってしまうとかそんな事ばかりを考えながら
私は焼却炉の前に立って、説明を受けていた。