このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として

始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、

現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。

 

 

 

 

抗がん剤治療の為、有給休暇を使って休んでいた旦那も

発熱が治まり、いよいよ明日から仕事に復帰する事に。

とはいっても運転手としてではなく、内勤業務に配置転換されて

いるので、明日からは表向きは事務員ということになります。

それでもがんになった旦那の体調を最優先に会社が考えてくれた結果

給料は今までの3分の1になってしまいますが、出勤時間、休み、

退社時間など治療に専念しやすい環境にしてもらいました。

病気に関して理解のない会社もある中、本当に有難いことです。

旦那は「俺にできるかな~」と半分溜息交じりで憂鬱そうでしたが、

あれこれ模索しても仕方ないので、まずはやってみるという事を

話しました。

 

初めての内勤業務で色々な事に挑戦しながら毎日を過ごし、

自分なりに懸命に仕事に馴染もうとしていました。

仕事も落ち着きだした頃、旦那がこれからの事について話しが

したいというので、時間を作ってゆっくり話しました。

 

まず、家の事。私達は賃貸で部屋を借りて暮らしています。

が、20年位前に家を建てています。義母が1人で住んでいる家は

旦那が建てた家なのですが、娘の障害がわかり、校区などを優先

した結果、私達の引っ越しが先延ばしになり現在に至ります。

建てたはいいけど一度も住んだ事はありません。

その家をどうするかという事。悲しい現実ですが、余命という期間を

告知されている以上、旦那がいなくなった後の事も二人で考えて

おかねばなりません。

 

そしてそこに1人で住んでいる義母。この問題が一番重い問題でした。

以前このブログにも書きましたが、義母は年金で生活しています。

その年金も借金の担保になっていてまともな年金などもらっていない

ようでした。義母の生活費は必要な物は一緒に行き精算。

その他にも生活に関わる光熱費や冬場の灯油代なども

すべてうちの方で援助して成り立っていました。

それでも今までは私も働いている事もあり、なんとか2つの家族の

生計は成り立っていましたが、旦那ががんになって余命期間が

ある以上今までのように生活の面倒を看るという事はできないし、

仮に旦那が亡くなってしまったらもう誰も金銭的に義母の面倒を

看る事はできなくなる。義弟が帰ってくれば身の回りの事位は

なんとかなるかもしれないが、お金に関してアメリカで借金を

返済している現状貯金などはないだろうし、帰国後すぐに就職を

したとしても旦那がやってきたのと同じようにするには到底無理な

話。自分が亡くなった後の義母を案じてどうしようか・・・

そんな話になったのですが、ひとまず高齢で年金などもどの位

もらえているのか調べてみよう。という事になり、2人で地域包括

センターへ出向いてみる事にしました。

 

予め面談の予約を取り、旦那と2人で包括センターへ。

介護支援専門員の方に旦那ががんで余命宣告を受けている事や

現在の義母の生活の様子や身体的な様子を一通り話したところで

いくつか問題点が浮かび上がってきました。

 

⑴年金の正確な受け取り金額

⑵借金の総額

⑶介護保険の支払い状況

⑷後期高齢者医療の保険料納付状況

 

⑴については年金の振り込み先となっている銀行で通帳記帳を

すれば、年金の振込金額が記載され、さらに年金を担保に借金を

していた場合、年金からの天引きとなるのでこちらも一緒に記載

されるだろうという事になりました。

⑶⑷については市役所の担当課に連絡をして身内で状況を

説明すれば調べてくれるかもしれないが、もしダメだった場合は

包括センターの方でも事情説明をしてくれる事に。

 

旦那はこういう事は苦手。なので私が旦那に変わり市役所へ連絡を

取り、調べる役割をする事になり、年金の受け取り金額の確認は

息子である旦那の方がしやすいという事で、こちらは旦那がやる事に

なりました。

 

自分の亡き後、義母の行く末を心配した旦那が色々と手を尽くし、

最良の方法を見つけようとしていましたが、事態は私達が案ずる

方向へは進まず、最悪の方向へと向かっていました。