このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として

始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、

現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。

 

 

2018年3月14日 診察予定が入っています。

娘のインフルエンザ回避生活以降、体調を崩して調子の悪い

毎日を旦那は送っていました。

胃の痛みもありましたが、それ以上に肝臓からくる差し込むような

痛みに思わず声が出て、動作が止まり痛みに耐える・・・

処方されていたカロナールも痛み止めとしての効果がなく、

途中からようやく飲み始めたオプソでも痛みが若干収まる程度

というそんな痛みもある中、無理をしてでも一生懸命に食べようと

する姿や、仕事にも休まず行こうとする旦那の姿を私は

知っています。側で見ているだけで何もしてあげられず、

もどかしい限りでしたが、それでも家にいるよりはがんや痛み

の事だけを考えているよりは楽だと旦那が言うので、

私は外側から見守る事にしていました。

 

朝、旦那の調子はあまりいい状態ではありませんでした。

私は朝から嫌な予感がしていて、できれば診察には行きたくない、

行きたくないと言うよりも診察結果を聞きたくない・・・

そんな気持ちでいました。そんな気持ちにさせている原因は

数日前に旦那に言われて触って感じたあの肝臓周囲の硬さです。

硬さがなんなのか、ネットで調べてそれが肝臓の繊維化が

進んだことによるものだと分かり、繊維化がが進んでいる

という事はがんが進行しているという事になり、抗がん剤での

治療効果がないという事になります。悪い予感が憂鬱な気持ちを

誘発してしていましたが、ゆっくり支度をして病院へ向かいました。

 

病院へ着き、機械で受付を済ませ、消化器科へ。その後

化学療法室で体重と血圧、そして採血を済ませ再び消化器科へ

戻り、院内に併設されているドトールで時間を潰し呼ばれるのを

待つ。何度となくしているので行動もパターン化してきました。

 

戻ると程なく受付番号が表示され診察室の中へ入りました。

診察室に入り、主治医と軽く会釈で挨拶を済ませると

主治医が「調子はどうですか?」と旦那に聞いてきました。

旦那は痛みで食事が思うように摂れない事や、カロナールでは

痛みを抑える事が出来なくなってきている事、そしてあの

肝臓周囲の硬さの事について話をしだしました。

話を聞いていた主治医が「診てみましょう。」と言うので

旦那は診察台にお腹を出して横になり、主治医の触診を

受けました。主治医は硬くなっている場所をすぐに特定し、

「あぁ、硬さが出てきていますね」と言いながら、その他も押して

診たりして感触を確かめていました。

 

触診が終わり、主治医は机に向かい今日の血液検査のデータを

開き、それをこちらにも見えるようにしてから

「触った感じ、やはり硬くなってきているようですね。それが実は

今日の検査でも出ていて、この辺の数値が先月の数値よりも

上がっています。数値が横這いなら継続・・・と考えていたんですけど、結果を見る限り抗がん剤治療の効果は得られていないという事に

なるので、残念ですが今回は中止せざる終えません。」

 

2月21日ALP・・・・・1177  3月14日ALP・・・・・2026

      AST・・・・・71          AST・・・・・92

      LD ・・・・・450         LD ・・・・・550

      γ‐GT・・・1920        γ‐GT・・・2794

      CRP・・・・・2.38        CRP・・・・・3.97

      フェリチン・・・342.9       フェリチン・・・588.3

      白血球・・9.5          白血球・・13.9

      CEA・・・・72.0         CEA・・・・114.3

 

2月と3月の血液検査のデータです。急上昇した数値がその

体調の悪化がどのようなものであるかを物語っています。

 

血液検査のデータを見ながら主治医の話を聞いていた旦那が

中止の言葉を聞いた途端、顔の表情が変わり肩が落ち、

落胆した様子を隣で話を聞いていた私は見逃しませんでした。

主治医も旦那の表情に気付いたのか、フォローするように

 

「今回の中止は抗がん剤治療の中止ではなくて、今使っている

薬剤に耐性がついた為の中止で、薬剤を変えて抗がん剤治療を

していくということになります。」

そう言うと旦那の表情は明るさに変わり、

「本当ですか?助かった~」とホッとした安堵の表情へと変わって

いきました。普段から自分の治療なのに薬剤についてとか、

抗がん剤治療のガイドラインなど調べてみるという事がない

人で、わからない事や知らない事があっても私が知ってるから

私がわかっていればいい、そんな考えで治療も進めてきていたので

中止という言葉にもう治療はできない・・・そんな風に自分の中で

解釈してしまっていたようでした。

 

続けて主治医は次の抗がん剤治療を行う為には、前回の様に

副作用などの出方を見る為に初期投与時は入院の必要性が

ある事を説明してくれました。そして痛みのコントロールをする為に

緩和ケア科の受診を薦めてくれましたが、旦那はまだ大丈夫です、

と断ってしまいました。ひどくなってからよりも今から受診して

おいた方がいいと思うけどという私の意見は却下され、それ以上

主治医も緩和ケアについては突っ込んだ話をするには至りません

でした。

主治医との話し合いで翌日の3月15日からの入院で治療を

行う事を決めて診察室を後にしました。

 

その後、入院の手続きや当日の話を担当の看護師さんから

聞いて診察は終わりました。

 

私の嫌な予感はファーストラインの中止という形で的中し、

翌日の入院から抗がん剤治療もセカンドラインへと進む事に

なってしまいました。

 

旦那も少し元気を取り戻し、まだ使える薬があるんだから

諦めないで頑張っていこうと話し、旦那は中止と翌日の入院の

為に会社へ連絡を入れて明日の準備に取り掛かりました。

 

翌日から新たな薬剤を使い、セカンドラインへと治療は進みます。