1月4~5日 定山渓で行われた新年会から旦那が帰ってきました。

紙袋にたくさんのお土産を持って!大好きなお酒を1滴も飲まずに

新年会に参加したのは初めての事で、周りの方が心配していたらしいが、いちおう胃潰瘍という事でみんなには説明し、難を逃れたらしい。

 

1月6日新年会翌日は土曜日だが、この日から仕事初めでいつもの

ように深夜12時に起きて、1時過ぎに仕事へ出かけて行きました。

会社には胃潰瘍になったという事にして、1月9日から入院する事になった事を伝え、休みも有給を使って休む予定でいました。

12月の暮れにがんの診断をされて、病院から処方された薬は

カロナール300、ネキシウム、オプソこの3種類で、カロナールは

痛みが出る前の予防として、ネキシウムは胃酸を抑えるため、オプソ

はカロナールで痛みが抑えられない時用に出されていました。

薬のおかげなのか、精神的に苦痛を感じてる様子はありますが、

肉体的な痛みはこの頃はあまり口にしませんでした。

ただ、食事の量は減って、体重ももともと軽いメタボに足を突っ込んでいた位の体重でしたが、診断を受けてからショックもあったと思います。数日で5キロ位落ちてほっそりしてきた印象だった事を覚えています。

 

食事の量が減って少し痩せた旦那をみて、私はがんが与える肉体的、精神的苦痛に恐怖を感じていました。自分の知らないところで旦那の症状が急激に悪化し、そしてすぐに死がやってくる・・・そんな風に

思っていたのです。焦っていました。なにか行動を起こさないと!

なんでもいいから旦那をがんから遠ざけたい・・・そんな気持ちで

毎日を過ごしていました。当の本人は無理に明るく振舞おうとしてる。事情を知っている私から見たら切ない努力に胸がとても痛くなりました。

 

1月7・8日2連休で仕事も休みなのでゴロゴロとしていました。

肝臓からくるだるさのせいで眠気が強く、長めの昼寝をして体力の回復に努めていました。昼寝から目覚めて翌日の入院の準備の為に

必要な物を買いに行き、夜になってから何も知らない娘に

 

「お父さんは胃潰瘍っていう病気になって、明日から入院するから

お母さんのいう事をよく聞いて、助けてあげてね。」

「えーっ!入院するの?わかった!うち、お母さんのお手伝いちゃんと

するから。」

 

娘の明るい返事に旦那も少しホッとした様子で、これからの治療を

頑張るから・・・と言っていました。

 

1月9日入院当日。娘が仕事に行くのを見送り、旦那がシャワーに入っている間入院の準備にとりかかりました。

もって行く物のチェックを何度もして、忘れ物がないかを確かめ

家を出ました。病院へは10時40分までに来院して、入院手続きを

済ませるように事前に言われていました。休み明けで今日から入院

という患者さんがとても多く混んでいましたが、手続きを済ませ待っていると、私達よりも後に来た患者さんが、次々とお迎えの看護師さんがやってきて、この場を離れていきます。遅いお迎えに少しイラついていた所にやっと来たのは看護師さんではなく、どう見ても事務のお姉さん・・・。

「なんでうちだけ事務のお姉さん?そんなに消化器科病棟は忙しいのか・・・・?」こんな事を考えながら案内について行き、5階の西病棟に

着きました。入院手続きを済ませてから30分以上が経っていました。

 

今回は4人部屋で、早速パジャマに着替え、荷物の整理を始めベットで横になっていると、部屋の担当だという看護師さんが来て、

バイタルチェックなどをはじめました。色々と聞かれ、この後はどうなっているのか聞くと、今日の所は何もないのでゆっくりしてていいですよ

・・・というお返事。初日からなにかしらあるもんだと思っていた旦那と

私はちょっと拍子抜けした感じがしました。

そうこうしてるうちに時間はお昼になり、患者さんのベットにはお昼が

運ばれてきます。しかし、旦那のところには待てど暮せどお昼がやってきません。痺れを切らした私はナースステーションにどうなっているのかを聞きにいきました。

「あの、○○ですけどお昼ごはんは今日、でるんでしょうか?」

「えーーーっと、ちょっと待ってくださいね。今、確認してみますね。」

「出るようにはなっていますけど、まだ来てないです?」

「はい。」

「すぐ持っていくようにしますね。」

 

病室へ戻り、旦那に出ることを伝えお昼の到着を待っていました。

しかし、来ない・・・・来ない。旦那のお昼ご飯。

ムッとした表情で私はまたナースステーションに行き、

「○○ですけど、お昼ご飯いつになったらくるんですか!もう13時

過ぎてますけど!来ないなら来ないでローソンで買ってきますけど!」

「あっ!えっ!まだ来てないですか?すみません。今持っていきますので・・・」

 

この後は本当にすぐ持ってきた!配膳の人ではなく看護師さんが。

旦那は持ってきてくれたんだからよし!としようと言っていたけど、

私としては不安だらけで、これから抗がん剤治療を始めようって時に

なんだか躓いた感がすごく嫌で、納得がいかず一人でブチブチ文句を言っていました。

 

娘を迎えに行くので入院初日は夕方に病院を後にしました。

 

家に着いて晩御飯を食べ終わり、テレビを見ていると旦那からメールがきました。メールにはこんな事が書かれていました。

 

「俺の晩御飯がまた来ないムキー どうやら俺は忘れられているようだ!

仕方ないからローソンで晩飯買ってきた。」

 

これを読んだ私は怒り心頭!昼間あれだけ言ったのに晩御飯まで

同じ事を繰り返して、いったいこの病院は大丈夫なのか!

看護師同士のほうれんそう(報告・連絡・相談)が全くなされていない

この病棟で旦那の事を任せてもいいものだろうか・・・と一晩中考えてしまいました。

 

こんな幕開けで旦那の入院と抗がん剤治療は始まりました。

初日からの出だしの躓きに不安だけが残る出来事があり、前途多難な

スタートをきることになったのです。入院患者の唯一の楽しみ、ご飯を忘れるって・・・ありえません!