8月6日 病院から急変の連絡を受けてから、とても慌ただしく

時間が過ぎていった。

 

娘を自宅に送り届け、病室に戻ると、昨日会っていた友人が

旦那の側にいて、連絡してから急いで旭川まで来てくれて、

ずーっと旦那の顔を見ていた。昨日の事を振り返り、お互いの

昨日の行動の後悔の話をした。

先生からされたこのタイミングで自宅へ帰る事ができた事、

会いたいと思う人に会えた事、がんの進行が早く、いつこうなっても

おかしくない状態だった事など、私の口から話す事でお互いの

後悔が後悔でなくなればいい・・・そんな気持ちで心が軽くなって

くれればと思っていた。旦那が眠る側で、旦那の中学の時の話など

昔の話を聞かせてもらい、思い出話に聞き入った。

 

私がいない間、少し目を覚ました時があり、明日は車いすに乗って

2人で病院の周りを散歩する約束をしたそうだ。

旭川に泊まるつもりでいた友人だったが、ホテルがどこも満室で

取れなかったので、結局深夜に札幌まで帰る事になり、近いうちに

また必ず来るから・・・と約束をして帰って行った。

 

8月7日 一夜明けた旦那は落ち着いていた。娘の食事の支度などで

自宅へ戻る為、看護師さんに頼んで病室を後にした。

 

自宅へ戻る最中、私は悩んでいた。急変した事をまだ知らない義母に

いつ知らせようかと・・・。

 

自宅へ着くと、娘はすでに起きていて、

「あっ!お母さんお帰り。お父さんは大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。昨日は1人で平気だった?」

「平気だった。」

 

親の心配をよそに意外と明るい返事が返ってきた事に安心して、

一緒に家事のお手伝いをしながら

 

「これからまた病院へ戻るけど、一緒に行こうか?」

「えっ!ほんと?行く」

「病院行く前に、ばあちゃんち寄って、ばあちゃんも一緒に行くからね。」と伝えた。

 

迷っていたが、今連れて行かないと・・・という気持ちもあり、義母を

病院へ連れて行く事を決め、電話をしたが・・・出ない・・・

何回電話しても出ない・・・。とりあえず支度をして、義母の家まで

行く事にした。義母の家近くで見た事のある姿が1人歩いていた。

いた!なんだ外出してたのか・・・ホッとして呼び止め

 

「お母さん、すぐ乗って!昨日病院から電話きて、容態が急変したから」と簡単に説明をして、持っていた買い物袋を家に置き、

娘と義母を連れて病院へ戻った。

 

病室へ着いた娘と義母は、ベッドで眠っている旦那に話かけている.

この時はまだ、目を覚まして少しなら話す事ができたので、

義母もしきりに自分の息子である旦那に話しかけている・・・が、

反応はなかった。昨日の夕方から訪れてくれた会社の人々、

友人の訪問で疲れていたようだった。

この時の義母はまだ、おとなしかったが、口を開くと暴言が

出る事がある人なので、多少警戒しつつも顔色を伺い、

 

「お義母さん、そろそろ送っていきます。」と声をかけると、

「付き添いはできないの?」と聞かれたので

「私が付添っているから大丈夫よ。それに病室には1人しか泊まる

スペースがないから・・・」と言いなだめて、義母の自宅へ送って行った。

 

帰りの車の中で明日も同じ時間に迎えに来るから・・・と伝えて

家まで送り、娘を自宅に送り届けて、私はまた病院へ戻った。

 

病院へ戻ると、旦那が目を覚ましていたので、お義母さんと

娘が来ていた事を伝えると、なんとなくわかっていたらしい。

食事を必要としなくなった旦那は点滴で必要な栄養を補い、

高カリウム血症にならないように、カリウムを排出する為の点滴、

尿を出しやすくする為のラシックスなどが、胸に埋め込まれた

CVポートから取り込まれ、その他痛み止めが今までの経口から

点滴に変わり、オキノームからオキファストに変更になっていた。

 

心臓には心電図が取り付けられ、モニターはナースステーションの

中で24時間の監視体制で、いつ何が起こってもおかしくない

状態である事が感じられ、その姿に痛々しさとこれから

いつかはおこるであろうその時に、覚悟が必要になった事を

悟らされた。お見舞いに来て下さった方が

「大変でしょう・・」と気遣ってくれるが、全然大変だなんて思って

なかった。少しでも側にいたい気持ちの方が勝っていたから。

 

本当に大変なのは翌日に義母から発せられる言葉。

それを発端に義母への気持が嫌悪に変わっていき、義母と

前を向いて話す事ができなくなるのです。