早吸日女神社と伊弉諾尊が遺した神剣 | 筑前由紀のプチトリップ

筑前由紀のプチトリップ

2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。



早吸日女神社

大分県大分市佐賀関3329


祭神

八十枉津日神、大直日神、底筒男神、中筒男神、表筒男神、大地海原諸神



早吸日女神社にまつわる話は古の時代からの謂れがあり、神式天皇の東遷の折に、古宮に祠を建て、祖先の剣をご神体として奉納し、早吸神として長い間、村人達の心の拠り所となっていたことや、その後、七〇一年に現在の地に社が建てられ、漁を生業とする漁師と共にあったといわています。
(中略)

江戸時代には、「関の権現さま」とわれ、「罪や穢れ」を払い落す神として、また「海上交通の安全」を願う神としてお参りされています。


『日本書記』の一書に、粟門(=鳴門)と速吸名門は、黄泉国から戻った伊弉諾尊が、最初に禊祓をしようとした地として出てくるわ。

サムネイル

サムネイル

でも、潮の流れが速過ぎたから結局、橘小門で禊祓をしたって事だったよね。
でも、ここの祭神の八十枉津日神ら5柱は、禊祓をしたら出て来た神様達。

もしかしたら、最終的には橘小門に行ったけどその前に速吸瀬戸で軽く禊祓をしてたかも?


社記や『豊後国志』によると、黄泉国で汚れた体を祓うため潮に入った伊弉諾尊は、禊祓えの後、高門岩(今の牛島)に昇り、二柱の幼き姉妹神の白浜神と黒浜神の防護をうけ、林を伐り、地を整えて田刈穂浦に速吸比咩神を祀ったとされているそうよ。

サムネイル

サムネイル

やっぱり!
伊弉諾尊が速吸瀬戸で禊祓をしたことになっているのね。



由緒

当社は、人皇初代神武天皇東遷の途次、海女、黒砂真砂の二神が速吸の瀬戸の海底から大蛸が守護してきた神剣を取り上げて天皇に奉献し、その神剣を御神体として天皇御自ら古宮の地に奉斎し建国の大請願をたてられたのが創祀である。


サムネイル

ところで、神社の名前が「早吸日女」なのに、祭神にいないよ。

黒砂・真砂が早吸日女じゃない?


『続日本後紀』等では祭神は早吸比咩神と書かれているそうよ。
今の祭神になったのはそれより後。
祭神は変わってしまった、とも言えるけど…。

伊弉諾尊が禊祓をした速吸瀬戸という場所自体が早吸日女であり、八十枉津日神ら5柱が伊弉諾尊の穢れを払った神様だと考えるなら、早吸日女=八十枉津日神ら5柱とも言えるのかも知れないわね。

黒砂・真砂は早吸日女というよりは、早吸日女を祀る巫女的な存在かしら。

サムネイル



サムネイル

伊弉諾尊が遺した神剣!
1600年まであったの⁉︎


黒砂真砂の物語良いなぁ。
大蛸とは一体どんな存在なのか、命懸けでやったのは何故か、とか何とか考えると楽しい。


鳥居入って正面にあるのは伊弉諾社。

この神社伝承の重要ポジションである。




さて、ここでは特に、タコが重宝されているらしい。

蛸断祈願とかもあるという。



いたるところにタコ🐙



可愛い🐙



数年前訪れた人が言うに、以前はなかったらしいから、ここ数年で増えたようだ😆



拝殿やその周辺が立派!









竜宮城を思わせるつくり。













なかなか考察&見応えのある神社でした👍✨