阿曇磯良と豊(トヨ/ユタ)姫① | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

FGOにて阿曇磯良が登場と聞き、大いに沸いた私ですよ☀️


磯良については以前、「航海における重要人物、阿曇氏の志賀海神社」にて取り上げました。

今回はもっと、磯良に重点をおいて書かせて頂きます。



阿曇磯良とは

安曇磯良、阿度部磯良、磯良丸、磯武良とも。
通常「アヅミノイソラ」と読みますが、高良玉垂宮の『神秘書』では安曇磯良の読み方を「アントンイソラ」と書いているようです。

『古事記』『日本書紀』には登場しませんが、北部九州には阿曇磯良の名があちこちに伝わっており、それによると、三韓征伐前の神功皇后が、航海に際して志賀島にいた阿曇磯良を仲間に引き入れたという事です。
『日本書紀』の神功皇后の箇所に登場する、西の海を視察して「国がある」と神功皇后に報告した「磯鹿海人(シカの海人)名草」と関係があるのではないかと考えられます。


また、『日本書紀』の応神天皇の箇所に登場する阿曇連の祖 大浜宿禰や、仁徳天皇の箇所に登場する阿曇浜子も関連人物として挙げられます。

 



阿曇磯良については、細部が異なる伝承が沢山あります。

様々な神社等に伝わる話を比較検討し、整理した内容が以下。


 


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ストーリー


神功皇后が三韓へ出兵するにあたって阿曇磯良を呼びましたが、磯良はなかなか応じません。

(応じなかった理由は、アワビやカキが付いていて醜いので恥じた、年老いているので遠慮した等。)

 


磯良が音楽が好きだと聞き、呼び寄せるために志雅楽を奏し、八人の女性が「八乙女の舞」を踊ります。

 

 

そうすると、亀に乗った磯良が舞いながら現れました。

そして、磯良は航海術に長けた多くの部下と共に皇后を助けます。

 

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 磯良は海神のところへ行き、潮の満ち引きを司る干珠・満珠(潮干珠・潮満珠)を貰いに行きますが、なかなか貰う事が出来ません。

 

そこで登場するのが豊姫です。

 

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次回へ続く。



 

※写真は、風浪宮の磯良像と、飯塚市の撃皷神社の神楽における演目、「三韓前段・後段」「八乙女」の写真。

撃皷神楽でのストーリーとは多少異なります。