神功皇后と父 息長宿禰王像 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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お寺や神社に行ったりしています。





息長宿禰王像

滋賀県米原市顔戸(滋賀県道243号線沿い)


今は米原市顔戸という地名だが、昭和30年(1955年)までは滋賀県坂田郡息長村という地名が存在していた。

その名残りの坂田小学校。


息長氏のことが紹介されていた☀️


息長氏。

14代仲哀天皇の妃、息長足姫(神功皇后)や、

30代敏達天皇の妃、息長広姫を輩出している。

古事記では、9代開化天皇の息子、彦坐王の妻、息長水依比賣も。

とにかく、天皇やそれに準ずる人に娘を嫁がせがちな豪族であり、天皇家に近い存在だと分かる。


「この御地より神功皇后や敏達天皇妃を送り出した誇り高き町です」と書かれている事に、ほっこり☺️



サムネイル

阿那郷/吾名邑って?

 

坂田郡よりもっと古い地名ね。
天日槍が訪れた場所として日本書紀に出てくるわ。

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​天日槍、自菟道河泝之、北入近江国吾名邑而暫住。

(現代語訳)
天日槍は菟道河から遡って、近江国の北の吾名邑に到着してしばらく住んでいました。
(『日本書紀』)


息長宿禰王の右手の杖には守護神の白蛇。

腕に抱くは神功皇后。



神功皇后がどこで生まれたのかなんてどこにも書いてないので分からないのだけれど、息長氏が代々いた場所であるので、この地が神功皇后の生誕地だとされている。


生誕地がないよりあった方が良いので、私も、とりあえずここが神功皇后の生誕地だと思っておく♪



ちなみに、米原駅にあった「木彫りでみる米原風土記」。


木彫りでも神功皇后がいて、良い😊