日本武尊が小狭田彦を香月君と号した杉守神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
景色が良い所に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。
参加:古事記FUN‼︎/筑豊地域おこし写真部/飯塚市観光マイスター協会(観光案内人)

 

 

 

杉守神社

北九州市八幡西区上香月4-2-1

 

 

由緒
日本武尊は熊襲平定の帰途、筑紫の豪族小狭田彦の家に入し時「あな楽し、花の香、月の清き地かな、今より以後この地を香月邑と名づくべし」と宣ひ、熊襲平定の賞として小狭田彦を香月君と号し給ふ。

 

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​「花の香、月の清き地かな」なんて、小狭田彦の家はそんなに麗しい場所だったのね。

 

武家家伝_香月氏 (harimaya.com)に系図等の記載があるわ。

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​四道将軍の1人、武渟川別の孫なんだね。

 

きっと、もう少しすれば花が綺麗に咲くんだろうなと思われる木々。

 

その後、日本武尊が伊勢国で崩御し給ひしを小狭田彦は聞き嘆き悲しむ。
或る夜、小狭田彦の夢に尊が現れて曰く「往昔、杉桜の樹間の月が前川の水に映るを見しが、今猶追慕の志あり、我白鳥と化してこの地に飛び着たらん」因りて尊の神霊を祀り「杉森宮」と号す。

 

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「杉桜の樹間の月が前川の水に映るを見たのを懐かしく思い出す」なんて、どこまでも風景が美しいな。

 

亡くなって、白鳥になってここに飛んできたっていうのだから、よっぽどこの場所が気に入っていたのね。

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小狭田彦の曾孫二人有りて、長男を香月宗家となして香月君に任じ、次男を神官となし、千々和氏と号して現在に至る。
元慶二年(878)神官千々和朝麿に託宣有りて神功皇后・応仁天皇・仁徳天皇を合祀して「杉守宮」と号す。昔は九月二十日の祭礼日には御旅所への神輿御幸あり、遠賀郡七旧社の一として氏子民衆に崇拝され続けてきたり。

(境内案内板より)

 

個性的な狛犬。

 

 

 

神紋が可愛いね。

日本武尊が白鳥と化したことにちなんでのもの。

ちなみに白鳥はただ色が白い鳥であって、スワンではないみたい。

 

拝殿の中。

 

日本武尊、熊襲退治のシーン。

 

御朱印も貰った。シンプル!

 

本殿の後ろ。