十五社神社
福岡県中間市下大隈1175-3
下大隈村の由来
人皇十二代景行天皇の十八年、日本武尊が熊襲征伐のとき天の神と地の神すべての神に戦勝を祈らんと、御供に従った日向の国人熊津彦を遣わし、この地を宮所と定め、諸神を祭り奉ったといわれ、この地を名付けて大熊村と称した。(『十五社神社社伝』)
夏四月壬戌朔甲子。到熊縣。其處有熊津彦者兄弟二人。天皇先使徴兄熊。則從使詣之。因徴弟熊。而不來。故遣兵誅之
(現代語訳)
夏四月三日、(景行天皇が)熊縣に到着した。そこには熊津彦という兄弟がいた。
天皇は先ず兄熊を呼んだ。彼は使いに従ってやってきた。
そして弟熊も呼んだ。しかし、彼は来なかった。そこで兵を遣わして討った。
(『日本書紀』)
十五社神社の縁起
第37代斉明天皇(在位:655年-661年)が西征の途路、日本武尊の戦績を訪ねて、この地に行幸され、侍臣に命じて下記諸神の十五神を合祀し、国家鎮護の神廟を建立した。これが下大隈十五社神社の縁起である。
〔十五神〕
天照皇大神、古留神、大原神、春日神、松尾神、稲荷神、加茂神、八幡神、住吉神、広田神、玉津島神、熊野神、白山神、竈守神、生田神
ぼろぼろに剥がれた石碑。文字が全く見えない。
近くの河川敷には水仙が綺麗に咲いていた。