神武天皇が打猿討伐に向かった高祖神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

建国記念の日=初代天皇である神武天皇が即位したとされる日!

 

 
高祖神社
福岡県飯塚市高田1048
 
 

高祖神社沿革
御祭神 玉依姫命(平和の神)

人皇第一代神武天皇の母君

当社は、第七十二代白河天皇の応徳元年(西暦1048年)竈門山宝満宮(旧官幣小社竈門神社)の神領となったとき宝満宮を勧請し産土神としました。

ここは昔古から天祇地祇が御鎮座ましました聖地で天安元年(859年)より八回に亘り社殿を再建しました。寛治四年(1090年)に梵鐘奉納あるも天和元年(1681年)に紛失摺物の断片僅かに保存しています。應長元年(1596年)鉄製鰐口奉納あり今宝物として保存しています。

戦国諸豪族により天下乱れ幾度か戦火を交えるに至り永禄元年(1558年)社殿を焼失享保十三年(1729年)大正14年(1925年)鳥居建立明治元年(1868年)宝満宮を高祖神社と改称しました。

 

 
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​現在の境内の案内板には一切書いてないけれど、ここには神武天皇伝承があるのよね!

 

 

高祖神社社伝
 

天皇は高田に進み、八田彦の伴った田中熊別に迎えられ、根智山の打猿を討伐するため、高田の丘から田中熊別と椎根津彦に命令を下された。

この地に神武天皇と玉依姫を祭ったのが高祖神社である。

 

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​根智山は、大根地神社(飯塚市内野2507)のある大根地山!

宝満宮も近いぞ。

 

 

高田神宮皇祖廟社伝


玉依姫尊と神武天皇を祭る、

大山祇命の裔の田中熊別が天皇を出迎えた。
熊別は椎根津彦とともに賊を平定する決意を述べた。椎根津彦が総大将となり、内野の川上で賊軍を打ち破り、これを追撃した。

その勝報が高田丘に伝わったので、天皇は山口に進軍した。

その間に打猿は捕らえられて斬首された。
この誅戮の地を打首といい、今なまって牛頸という。

 

牛頸という地名は大野城市にあるわ。

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福岡県神社誌
 

祭神

玉依姫命、神日本磐余彦尊、登由宇気大神
 

由緒

社殿に当社は白河天皇の御宇応徳年間竈門山宝満宮(今筑紫郡太宰府町大字内山官幣小社竈門神社)の神領となりしに依り同時宝満宮を勧請し本村の産土神とせりと言う。(中略)


祭神神日本磐余彦尊登由宇気大神は同大字字城林に無格社として祭祀有し護穀神社(由緒古老碑に筑紫鎮守の御子海建盤辰命昔此地を始め給ひしとき此所字城林に神日本磐余彦尊の霊を勧請せりと、寛政九年一月登由宇気大神を勧請して一社に二神を祀り護国神社と称す)を大正四年九月十七日許可を受け明細帳編入同時に当社を合祀す。

 

左に「宝満宮」、右に「護穀神」と書いてあるように見える。

 

 

 
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​海建盤辰命って誰?

 

健磐龍命かしら?

神武天皇の孫神で阿蘇を開拓したとされ、また、九州の長官に就任したともされる人物よ。

 

天健磐龍命とも呼ぶから、天(あま)と海人・海士・海女(あま)を間違えたとか。

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拝殿には、書置きの御朱印があった。

 

 

 

 

福岡県神社誌 上巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

阿蘇神社について – 阿蘇神社 (asojinja.or.jp)

宮﨑神宮の由来|宮﨑神宮(公式ホームページ) (miyazakijingu.or.jp)