【神功皇后】三韓へ | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

冬十月三日、鰐浦わにうらから出発された。
そのとき、風の神は風を起こし、波の神は波をあげ、海中の大魚はすべて浮かんで船を助けた。
風は順風が吹き、帆船は波に送られた。
かじかいを使わないで新羅しらぎに着いた。

そのとき、船をのせた波が国の中にまで及んだ。
これは天神地紙てんじんちぎがお助けになっているらしい。
新羅しらぎの王は戦慄して、なすべきを知らなかった。

多くの人を集めていうのに、
新羅しらぎの建国以来、かつて海水が国の中にまで上ってきたことは聞かない。天運が尽きて、国が海となるのかも知れない」
その言葉も終らない中に、軍船が海に満ち、 旗は日に輝き、鼓笛の音は山川に響いた。
新羅しらぎの王は遥かに眺めて、思いの外の強兵が我が国を滅ぼそうとしていると恐れ迷った。

やっと気がついて、
「東に神の国があり、日本というそうだ。聖王があり、天皇という。きっとその国の神兵だろう。とても兵を挙げて戦うことはできない」
と言った。

白旗をあげて降伏し、白いくみを首にかけて自ら捕われた。
地図や戸籍は封印して差出した。
そして、
「今後は末長く服従して、馬飼いとなりましよう。 船使を絶やさず、春秋には馬手入れの刷毛とか、鞭を奉りましよう。また求められることなくても、男女の手に成る生産物を献上しましよう」と言った。
重ねて誓って、
「東に昇る日が西に出るのでなかったら、また阿利那礼河ありなれかわ閼川?)の水が、逆さまに流れ、河の石が天に上って星となることがない限り、春秋の朝貢を欠けたり、馬のくしや鞭の献上を怠ったら天地の神の罰を受けてもよろしい」
と言った。

ある人は新羅しらぎの王を殺そうというのもあったが、皇后は、
「神の教えによって、 金銀の国を授かろうとしているのである。降伏を申し出ている者を殺してはならぬ」
と言った。
その縛を解いて馬飼いとされた。
その国の中に入り、重宝の倉を封じ、地図や戸籍を没収した。

皇后が持っておられた矛を、新羅王しらぎおうの門にたて、後世への印とした。
その矛は今も、新羅王の門に立っている。
新羅しらぎの王の波沙寝錦ハサムキンは、微叱己知波珍干岐ミシコチハトリカンキを人質とし、 金、銀、彩色、綾、うすはた嫌絹かとりきぬを沢山の船にのせて、軍船に従わせた。

それ故、新羅王しらぎおうは、常に沢山の船で、貢を日本に送っているのである。
高麗こうらい百済くだら二国の王は、新羅しらぎが地図や戸籍も差出して、日本に降ったと聞いて、その勢力を伺い、とても勝つことができないことを知って、陣の外に出て頭を下げ、
「今後は永く西蕃せいばん(西の未開の国という意味の中国語)と称して、朝貢を絶やしません」
と言った。
それで内官家屯倉うちつみやけを定めた。
これがいわゆる三韓さんかんである。

 

※写真は香椎宮にある神功皇后の絵馬