住吉三神と神功皇后の関わりは深い。
住吉信仰は神功皇后から始まったといって過言はないだろう。
神功皇后は新羅に遠征する際に、依網男垂見(よさみのおたるみ)を神主に選んで祀らせた。
(福岡県福岡市の住吉神社はこれが創祀とも言われる)。
新羅から帰還した際、住吉三神は皇后に三神の
荒魂を穴門の山田邑に祀るよう告げた。
そして田裳見宿禰(たもみのすくね)と践立(ほんたち)が神の欲する地を定めるべきことを皇后に言上したので、皇后は践立を神主として祠を穴門の山田邑に立てた。
また住吉三神が「渟中椋(ぬなくら)の長岡の玉出峡(たまでのお)」に住むことを欲したので、皇后はその地に住んでいた田裳見宿禰を神主として祀らせたという。
住吉大社には田裳見宿禰を祀る神社が存在するのだけれど見逃した。
田裳見宿禰の子供や子孫を祀る神社は撮ったので載せておく。
薄住社は、津守家(祖は田裳見宿禰)39代の神主を祀る。
和歌の達人で、住吉大社 中興の神主だそうな。
住吉大社が和歌の神様と言われるのはここからかも知れない。
斯主社は津守家43代目の神主を祀る。
源頼朝と祖父を同じくし、源氏復興の基を開いたとのことである。