先月の大阪・奈良・福井・兵庫の旅の事がまだ書き終わってないわけなんだけど、その旅の中で忍熊王のことがいっそう気になった。
そして、ネットで忍熊王を調べていたらヒットした「忍熊王の土まんじゅう」。
タイトルは気になるけれど、ストーリーが分からない。
分からないけれど、「ききがき吹田の民話「五十狭茅宿祢(いさちのすくね)」より」って書いてあるから、それを探した。
そしたら動画が見つかって、内容が分かった😆
神功皇后に関わる大事な物語だと思ったのだけど、文字としては見つからなかったので、手元に取っておきたくて、本を購入した。
以外、内容を要約して記す。
むかし昔、五十狭茅宿祢という強い武人がいた。
当時、天子様が妃を迎えたが2人の皇子を残して死んだ。
その後た妃は天子様が亡くなった後、自分の産んだ皇子を天子様と決めた。
香坂王と忍熊王が逆らうとお妃は、
「ほんなら弓矢で決めよ」と猪の狩りをした。
香坂王は打ち損じ猪に噛まれて死んだ。
忍熊王が五十狭茅宿祢に話すと「ほな、しやぁない。戦さや」といっぺんにお妃の軍勢を打ち負かした。
お妃は「次の天子様は忍熊王です」と言ったものの、悔しさのあまり悪だくみをして、都へ迎える忍熊王を逢坂山で殺した。
びっくりした五十狭茅宿祢。1人で忍熊王を遺体を奪い、岸部の里へ戻り、首を南村の芦の中、胴を家の近くの土に埋め、その前に土饅頭をこしらえた。
追ってきたお妃の家来が土饅頭を掘ろうとしたら、急に震えて熱が出た。次の家来も皆同様。
それから誰も土饅頭に触らなくなった。
それがいつの間にか村で、首から上の病を治して貰えるという噂が流れ、特に歯が痛い時には土饅頭をなでただけで、ころっと治してもろとった、ちゅうこっちゃ。
これ読んで、「そっか、忍熊王達のお母さんって神功皇后が仲哀天皇と結婚する前に亡くなっているのか💡」ってなった。
忍熊王達のお母さんの方が神功皇后より血筋が良いから、そっちが正妻なんじゃない?って疑問だったの。
死後なら納得。
後継者争い、最初は平和的に決めようとしている様子にニッコリしちゃう😊
香坂王は不幸だったけど、誰も悪くはないよね…。
でも、そこで五十狭茅宿祢よぉぉ。
戦さを仕向けたのはお前かあっ‼︎となった。
古事記・日本書紀だと、神功皇后達が騙し討ちしてる描写があるんだけど、この民話だと、五十狭茅宿祢が急に神功皇后軍に襲いかかった事になっている。
…個人的には、この説を推したい😆😆😆
神功皇后も忍熊王も戦さまではするつもりなかったのに、周りが戦さを始めてしまったっていうそういうの。
そしてさ、忍熊王は何か、素直な良いやつって感じするのよ。
神功皇后側の言うことを対して疑いもしないで策略にハマってしまうんだもん。
というわけで私は、忍熊王も好き。
今度関西に行く時は、この民話の地(忍熊王の首塚・胴塚)に行きたい。
そして、生田神社(海上五十狭茅が神功皇后の命令で稚日女尊を祀った)と、あと、五色塚古墳(忍熊王達が造ったと言われてる)に行きたいな。
前回の旅行でも、余裕あれば行く場所として生田神社・五色塚古墳あったのだけど、疲れてて行かなかったから、今度は、今度こそ💪