安徳天皇ゆかりの那珂川市 安徳宮 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

鎌倉殿の13人。

色々いろいろあるけれど、個人的には安徳天皇の下りが1番悲しい😭

結末分かりきってるくせにドラマ見ても泣いてしまった😭😭😭


なんで安徳天皇死ななきゃいけなかったの?

源氏だって安徳天皇の死は望んでいなかったのに。

誰の救いにもならない死が悲しい。



福岡県那珂川市に「安徳」という地名がある。



安徳天皇は高倉天皇と平清盛の娘徳子(後の建礼門院)との間に第一皇子として誕生。
治承4年(1180年)2月21日に数え年3歳(満1歳2か月)第81代天皇に即位した。
しかし、源平合戦が起こり、寿永2年(1183年) 都を追われた平家一門に連れられ、三種の神器と共に筑紫に難を逃れて来た。
この頃、筑紫の豪族である原田種直は岩戸の庄(現在の安徳台)に館を構えていた。 
種直は平重盛の養女の婿で、 平家の信頼厚く、大宰府の少弐という役職に就き権勢を振るっていた。
天皇が筑紫に下られた時は、大宰府に程近い種直の館が仮の御所に当てられることになった。 
このことが後の「安徳」の地名の由来となる。


平家は筑紫に都を定め、内裏造らるべしと、公卿詮議ありしかども都も未だ定まらず、主上はその頃岩戸の諸卿大蔵の種直が宿所にぞましましける。(『平家物語』)


安徳宮


このあと平家は安徳天皇と共に四国の屋島に渡ったが、ついに寿永4年(1185年) 3月24日、 壇ノ浦で源義経の軍に敗れた。
平家滅亡の時、安徳天皇は祖母の二位尼(平清盛の妻時子)に抱かれ入水し亡くなった。

この安徳地区では、僅か8歳(満6歳)の短い生涯を終えられた幼少安徳帝を悼み、祠を奉った。
それが「安徳宮」である。




サムネイル
 

というわけで(?)安徳宮に行って来ました。


ここは観光用に整備された場所ではない為、場所が分かり難い❗️


Googleマップで「安徳宮」を目的地に設定しても、正しいルートは表示されず、途中でワープしないといけないような感じになるので注意。



まずは安徳台展望所を目指す格好で、↑の辺りから突入して行く💨



「国史跡 安徳台展望所」と書かれた黄色い旗があるからありがたい。

わりと最近出来たっぽい。

以前は標識も何もなかったらしいので、それに比べれば随分と分かり易くなった事ではあろう。











旗や矢印に導かれて、ここまでは来る。



安徳台展望所。
…さて、ここからが問題です。


こっちに進むと少し前に来た場所に出る。



遠くに旗が見えたので、


右の方へと行ってみる。




「安徳宮」の矢印が☀️



正面に「安徳宮」の字が見える。




字の右手前。



安徳宮は、農作地にそっとある。




安徳天皇は現代でいうと小学校に上がったばかり位の年齢で亡くなった。
天皇という身分や立場なんて、本人はまだ何も分かってはいなかっただろう。

わけも分からないまま天皇に祭り上げられ、わけの分からないまま都から連れられて、知らない土地に行き、知らない人に匿われ、逃げて、逃げて、生涯を終える。
悲しいことよ。

本人は最期まで、自分がどうなっているのかも分からないままだったのかも知れない。
いっそその方が良い。



「尼ぜ、我をばいづちへ具して行かむとするぞ。」
と仰せければ、いとけなき君に向かひ奉り、涙を抑へて申されけるは、
「君はいまだ知ろしめされさぶらはずや。先世の十善戒行の御力によつて今万乗の主と生まれさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでにつきさせ給ひぬ。
まづ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西方浄土の来迎のあづからむと思し召し、西に向かはせ給ひて御念仏さぶらふべし。
この国は粟散辺地とて心憂き境にてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせさぶらふぞ。」
と泣く泣く申させ給ひければ、山鳩色の御衣に、びんづら結ゆはせ給ひて、御涙におぼれ、小さくうつくしき御手をあはせ、まづ東を伏し拝み、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだきたてまつり、
「波の下にも都のさぶらふぞ」
となぐさめたてまつつて、千尋の底へぞ入り給ふ。(『平家物語』)
 


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尼御前、私をどこへ連れて行こうとしているのか?


この国は悲しい場所でございますので、極楽浄土という素晴らしい所へお連れ致しましょう。
波の下にも都がございますよ。

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鎌倉殿の13人はもう、どんどんどんどん畳みかけるように悲しい事が続いて嫌になるけど、脚本が悪いとかじゃなくて、事実がそうなってるんだよなーっていう😣

事実は小説より…って感じ。

(伝わっている事全てが事実かはさておく。)


せめて妹は生き延びて幸せに生きたんだと信じたいし、福岡に伝わる話ではそうなっていることがちょっとした救い。