神功皇后ゆかりの撃鼓神楽 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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お寺や神社に行ったりしています。

4月17日。

撃鼓神社で春祭りがあり、そこで神楽の奉納があるという事だったので行ってみた。

 

 

手前に八重桜があって綺麗だった🌸

 

 

今まで2回来た事があったけど、催し事で来たのは初めて。

 

 

車や人が続々と来ていた。

(といっても、拝殿に収まりきる程度の人数。)

 

 

椅子には大祓詞などが書かれたものが置いてあったから一緒に読んだりしたかったけど、

 

 

宮司さんが唱えている際、楽器の音が大きくてよく聞き取れなかった😞

 

 

途中、奥の方にぞろぞろ。

そういえば、こっちは拝殿で奥が本殿なんだよなぁと思ったりなど。

 

 

本殿の方から何かを、ゆっくりゆっくり手渡しで運び出していた。

撤饌といって、お供え物を下げた様子。

 

 

敬神生活の綱領を読んだ。

 

 

氏子会長の挨拶や宮司挨拶があり、第一部終了といったところ。

席の移動(舞うスペースの確保)があってから、いよいよ神楽奉納❗️

 

 

(さかき/真榊)

 

 


榊は神事においてお馴染みの植物。

お祓いの意味のある舞。

 

 

四位(しい)

 

 

 

四位は東南西北のことであり、春夏秋冬のこと。

 

 

4人が近付いたり離れたり入れ替わったりする舞。

 

 

久米(くめ)「くま」とも読む。

また、折敷舞(おしきまい)とも呼ぶ。

 

 

 

四角くて平たい箱を持ってクルクル動く。

結構斜めになる事も多く、とても米が入っているようには見えなかった。

「米が入っているていで行う舞?それにしては動きが雑だなぁ」なんて思ってた。

 

 

けれど途中で、中の米を撒き出したので、

「本当に米だったのか⁉︎」となった。

そしてここから、動きが更に激しくなるのであった。

 

 

頭より高い位置に掲げてグルグル。

 

 

2つ少しずらして重ねてグルグル。

 

 

2つを胸元に横に並べて抱いた状態でグルグル。

 

 

端だけ持って傾けてグルグル。

 

 

上に下にグルグル。

 

 

舞っていうか、大道芸的なノリ。

大技を披露したらお客さん達は拍手するっていう👏

おもしろーい😆😆😆

 

 

榊がかなり地味で単調だったし、四位は榊よりは動きがあったけどやっぱり単調で退屈だなぁって思ってたけど、ちゃんと段々と盛り上がっていくプログラムになっていた⤴️

 

 

 

会場の盛り上がり具合とはまた別に、個人的に一番興味あったのは、次の2つ‼️

三韓前段(さんかんぜんだん)

 

 

 

武内宿禰 登場!

 

 

次に、志賀大明神。

志賀大神=住吉三神って書かれているものもあったのだけど、そうではなく。

志賀大明神は志賀にいらっしゃる神様、なんだろう。

 

 

腰が曲がったお爺ちゃんとして、よたよたと登場。

「何だ?」

※「」の中の台詞は、私なりのアバウトな現代語訳。

 

 

「私は息長帯姫に仕える武内宿禰という。神功皇后が三韓に渡るから、船の安全を誓って頂きたい」

 

 

「私は年老いた。自分のこともよく分からない。帰る」

「待ってくれ!神功皇后や軍卒を鼓舞してやってくれ」

 

 

引き受けてくれた志賀大明神。

 

 

よたよたしながらも一生懸命舞う。

 

 

途中で倒れてしまう場面もあったけど、どうにかこうにか、船を守ってくれたらしい⛴

 

 

神功皇后は、志賀海(しかうみ)神社のある志賀島(しかのしま)で神楽を奉納した。

それで、その浜を舞能(まいわざ)ノ浜というらしい。

 

 

その神楽の指導をしたのがここ撃鼓神社の祭神っていう話なんだけど。

神楽奉納の為の準備段階のエピソードってところがめちゃくちゃリアルじゃない?地味な部分だからこそ事実っぽい。

神様っていうとフィクションっぽく感じてしまうけど、今だって何かに秀でた人を「◯◯の神」って呼んだりする。古事記や日本書紀に出て来る神様もそういうノリで捉えた方が正しいんじゃなかろうか。

志賀島にいて海の神と呼ばれるような、航海技術に優れた人を味方に付ける為に、芸能の神と呼ばれる人に神楽を習ってから臨むっていう。

 

 

でもまあそれはそうとして。

志賀島は、伊弉諾が禊をした際に生まれたという綿津見三神の生まれた場所。とかいうフィクション味溢れる神話エピソードも大好きなので、どっちも上手に取り入れていたい☺️

 

 

三韓後段(さんかんごだん)

 

 

 

再び武内宿禰 登場。

 

 

次に豊姫明神 登場。

 

 

「神功皇后が三韓から帰って来たが、干珠・満珠が海に沈んでしまった。竜の宮に縁深い貴方が行って取り返して欲しい」

 

 

(右の衝立の向こうから、紙吹雪。海中に潜りつつある表現かな?)

 

 

海神 登場。

 

 

手に持った赤い包みが干珠(もしくは満珠)。

 

 

海神の持つ珠を取りに行く豊姫。

 

 

何度か失敗する。

 

 

 

 

 

 

それっ!

 

 

成功だ!

 

 

 

 

この中にちょっとした品が入っていて、お客さんへ投げて渡す。

 

 

もう1つも同様の流れ。

 

海神は、ここは普通に海の擬人化なんだろうか。

「豊姫」で検索すると神功皇后の妹って出て来たりするけれど、お面の名前は「豊玉姫」ってなっていたから、豊姫=海津見(綿津見)の娘である豊玉姫のことなんだろう。

ちなみに、海津見って面は、志賀や海神とは別にちゃんとあった。

 

 

海神と豊姫もやり取りも面白いんだけど、品物をお客さんへ投げ渡す作りになっているのが面白い。

そういう意味のある演目だったんだなぁ、と。

ラストの演目はより一層そう。

 

 

事代(ことしろ)

 

 

 

事代主。別名、エビス様。

 

 

釣竿の先に餌を付ける仕草をして、

 

 

客席へ投げる。

 

 

そして、お客さんと引き合いをする。

お客さんもこの流れに慣れていらっしゃる方らしく、ほどほどのところで手を離す。

 

 

魚が釣れなかった🐟

 

 

こちらは大国主=事代主の父。

この演目には事代主しか出てなかったのだけど、昔の文献で大国主も一緒だという記述があったとかで、両方登場させる事にしたのだとか。

 

 

本来はこの演目で餅撒きをするのだけど、コロナ禍だからって、餅を撒く真似だけ。

事代主も大国主もしばしば、籠に手を突っ込んでお客さんに渡す仕草をしていた。

 

 

釣り針は最終的に、舞台袖へ投げられて、しばらく放置。

 

 

釣竿がない状態でしばらく舞い、その内に後方はせっせと準備。

 

 

懸命に釣竿を引く事代主。

 

 

すごく頑張って釣れたのは、本物の鯛❗️

 

 

ピチピチさせながら見せて回る。

 

 

大国主に渡すと

 

 

大国主もピチピチさせながら回ってくれた😆

 

 

活きが良いねー🐟

 

 

最終的には本殿に向かってお供え。

そして最後は祝詞をあげて終了。

うん、なかなかに楽しかった😆😆😆

 

 

 

 

撃鼓神社には33の面と22の演目があるらしい。

面の多くは何百年と伝わるものだけど、一部は比較的最近作られたもの。

左から2番目上から2番目の面は、この日の演者が作成者でもあるとか!

 

こういう面がこんなにズラリと触れるような場所に並んでいるのも初めてだし、実際に付けて舞われるのを見るのも、作成者がその場にいるのも初めて。

 

お面を終わった後でじっくり見ようかと思ってたらすぐ片付けられてしまった。(写真は、会が始まる前に撮ったもの。)

そりゃそうだよねぇ!私のバカ…😣

また次の機会にじっくり見てみたい。

 

 

 

神楽は夜あるところも多いから、遠い場所のはなかなか躊躇われるところあるけれど、ここなら自転車や、ちょっと頑張れば歩いてでも来れるから良い😊

今まで知らなかったのがもったいないって思う気持ちもあるけれど、興味が湧いた時が一番良いタイミングなのかも知れないな、とも思う。

何にせよ、地元でこういったものが見れて嬉しい❗️

どんどんいろんなものに触れていこう♪

 

 

 

 

 

 

以前、撃鼓神社に来た時の記録。