アタラクシア | ルイオフィシャルブログ


「アタラクシア」金原ひとみ


あらすじ

望んで結婚したのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。ままならない結婚生活に救いを求めてもがく男女の物語。




以下ネタバレ




登場人物がかなり多いので相関図を書きながら読んでいました。

章ごとに視点が変わる形で、それぞれの目線から描かれるのですが、

周りから見た姿と本人があまりにも違う印象だったりするから、ちゃんとメモしてないと登場人物を覚えるのが難しい。


最後、極悪非道のオフパコ男と

優しいセカンドパートナーが同一人物だと分かるシーンがあり驚愕した。

人は見かけによらず…ですね。


金原ひとみさんの書く作品は、

これ実話?自伝?と思ってしまうような本ばかり。

アタラクシアも、なんで知ってるんだろうと思うようなことがたくさん書かれていてビックリした。


2人の心地よい距離感の保ち方、

お互い聞いてはいけない範囲、

夫も彼も両方いて初めて成り立つ関係であること、

どちらも等しく必要な存在であること。

金原ひとみさんにもセカンドパートナーがいたのかな?じゃなきゃなんでこんなに忠実に描けるのかな?

と邪推してしまうほど、リアルでした。


夢心地のような幸せと、

絶望しかない現実のアンビバレントさを描かせたら日本一だと思う。

今回も痺れる作品でした。





「もし私が死んだら夫が殺したと思ってね」。初めて寝た時、私は冗談まじりに荒木にそう言った。あれから一年半が過ぎた。当時ひどく荒れていた夫は、二転三転しながら少しずつ、落ち着きを取り戻しつつあるように見える。最近では絢斗の勉強をみたり、料理を作って待っていてくれることもある。荒れた、暴力、お酒、といったマイナス要素については話しても、今日はご飯を作って待っててくれた、子供と仲良くしてる、子供の学校行事に行ってくれた、などのプラス要素は荒木に話さないため、荒木はずっと私が暴力夫と暮らしていると思っているのだろう。騙しているわけではないし、どうせ荒木にとって私はしがらみなく寝れるだけの女でしかないのだから、お互い正直に別の相手とどうなっているこうなっているとぶちまけて都合よく遊べればいいのかもしれない。でも不倫関係というのは進行するにしたがって何となくこういう話は避けようと思ったり、こういう話を避けられていると感じる中で暗黙のルールが出来上がってしまうもので、どちらもそこまで作為的ではないにせよ、だいたいここまで触れて良いという、例えば荒木が、旦那の暴力はどうなのかと聞かずに、最近は大丈夫なのという言葉でその意を伝えたように、お互いがぎょっとしない心地よい距離感と言葉遣いで構成されていくものなのだ。そしてその距離感を無視して極端に重たい言葉、軽い言葉を吐けば一瞬で崩壊したりするものなのだ。

(アタラクシアp71)






俊輔の弾く、アンプに繋がっていないギターの乾いた音を聞きながら、煮物をつつき日本酒を飲む。私は幸せだった。もはや、夫に何をしてもらっても、たとえ私の望むことを全てしてもらっても、私は満たされない。荒木とセックスをした後に、美味しい食べ物と子供の待つ自宅に帰る。それが私の幸福なのだ。そこまで端的に言い切れる自分に驚くが、不倫を始めて一年半経った今、私の幸福とはそういう、私一人でも、夫と私だけでも、私たち夫婦と子供だけでも完成しない、私と荒木と夫と子供の四人で初めて完成されるものとなった。実際、そんなものは幸せでも何でもなくて、ただただ全ての欲が満たされた状態でしかないのかもしれない。でもじゃあ幸福とは何なのだろう。

(アタラクシアp74)




「ずっと瑛人さんのことが好きだった。でもずっと好きだったからこそ今ここにいるんじゃない。今瑛人さんのことが好きだから、今ここにいる」

(アタラクシアp222)





誰かに愛おしいと思われたかった。強烈に、誰かに大切に思われたかった。ずっと押しとどめてきた、求めて手に入らなかったら悔しいから、心の奥に押しとどめてきた願いが強烈に溢れ出した。誰かに、狂うほど求めてもらいたかった。お前がいれば他に何もいらない、そんな歌謡曲のような台詞を今誰かに行ってもらえたら、きっと私は死んでもいいと思うだろう。」

(アタラクシアp238)




「色々あって実現しなかっただけで、本来僕たちはこうなるはずだったって、どこかで信じてた。でもそれは自分の、っていうか自分と由依さんの思い込みだったかもしれないって、あと少しでも距離が縮まれば二人とも気づいてしまいそうな気がするんだ」

(アタラクシアp254)





結局恋愛というのは、どこかが痛い時に治療が必要だと医者や薬に頼る対処療法と同じで、寂しい時愛されたい時に同じ思いを抱えた誰かに手を伸ばし満たされ合う行為で、その満たされた感覚が愛されている、相手を満たす行為が愛しているという幻想にすり替わっているだけなのではないだろうか。だとしたらその寂しさと愛されたさをぶつける相手を、私は二人同時に失うわけで、それは普通にとてつもなく辛いことだと分かる。塗り薬も飲み薬も頓服薬だって欲しいのに、薬も処方箋も全てこの手で捨てるのだ。」

(アタラクシアp286)



刺さる文章がありすぎましたえーん

お金を払う価値のある文章を書ける人の才能は本当に素晴らしいねえーん恋の矢