サッカーのアジアカップのグループステージ初戦「日本vsベトナム」戦は、僕にとって記憶に残る試合になった。

DAZNで視聴しながら、いろんなことを思い出したからだ。

 

まず浮かんだのはトルシエ・ジャパンのこと。

僕は日本代表を率いた歴代の監督の中でもトルシエ監督が最も好きだ。

 

史上初のワールドカップ決勝トーナメント進出を決めた試合、2002年の日韓ワールドカップのグループステージ第3戦「日本vsチュニジア」戦を、僕たちセレッソサポーターのホームだった大阪長居スタジアムで観戦し、感激して以来、

 

22年間、代表戦をスタジアムで観戦するときは、そのとき着ていたトルシエ・ジャパン時代のレプリカユニフォーム、背番号「12」

 

「MYOJIN」を着用するようにしている。

明神智和は2006年から2015年までガンバ大阪に在籍したから、ガンバサポと勘違いされるのは少し癪だが、このレプリカユニを買った当時はまだサポーターナンバーとして「12」を空けるという決めごとがなくて、たまたま柏レイソル時代の明神がこの番号を付けていたのだ。

 

トルシエ監督の采配も、個人的にはすごく好きだった。

A代表の試合ではなく、シドニーオリンピックのアジア最終予選だったと記憶しているが(対戦相手はよく覚えていない)、前半、相手の密着マークに苦しんだ中田英寿を、後半からボランチに下げ自由を与えて快勝に結びつけた試合など、何度となく「理にかなった」采配を見せてもらえたからだ。

 

日本を苦しめた昨日のベトナムの戦術は、まさに「トルシエの真骨頂」という感じ。

ベトナムにとっては、進むべき道を確信できたターニングポイントの試合になったのではないだろうか。

 

ベトナムが「2-1」と逆転した瞬間、国中が興奮の渦に巻き込まれた様子が想像できて、僕は2015年に来日したベトナム人タレント、ミコさんとマイくんのことも思い出した。

 

あの年、どういう偶然か、ベトナムで放送するホーチミン・シティテレビの旅番組20本の構成台本を担当した僕は、10月26日から11泊12日の日程で、番組10本分のロケをこなして帰っていった2人に、ぜひともJリーグの楽しさを体感して欲しくて、大阪観光編の台本にキンチョウスタジアムでのサッカー観戦を入れた。

 

セレサポの僕は、2015年に「セレッソがベトナムのファンを増やそう」とベトナム語のFacebookを開設したことや、セレッソのメインスポンサーのヤンマーがその年からベトナム代表のスポンサーになったのも知っていたので、それでベトナムの旅番組で紹介するのならセレッソがいいと思ったのだった。

 

その番組は途中でクイズを解きながら日本を旅する番組で、僕はキンチョウシタジアム(現ヨドコウ桜スタジアム)の場内ビジョンにクイズの正解映像を流すことを思いつき

 

スタジアムDJの西川くんにクイズを出題してもらい、「正解はあちらの場内ビジョンをご覧ください」とビジョンに正解を流すシーンを撮影し

 

そのあと、当時のセレッソの社長だった玉田社長に、選手のロッカールームや

 

ピッチサイドや

 

貴賓室などを案内してもらうシーンも撮影した。

 

あの番組を視てくれたベトナムの人たちも、昨日のベトナム代表の勇敢な戦いぶりには誇りを感じることができたのではないだろうか。

一瞬、アジアのサッカー史に残るジャイアントキリングを夢見たに違いないが、それを打ち砕いたのがセレッソ大阪のアカデミー育ち、2014年までセレッソに在籍した

 

南野拓実だったことにも、僕は不思議な因縁を感じた。

 

土曜日、このブログに、拓実が公式戦初ゴールを記録するなど17歳とは思えない大活躍を見せた試合、2012年12月の天皇杯4回戦「セレッソ大阪vs清水エスパルス」戦のことを書いたばかりだったからだ。

 

あの試合、攻守に大活躍して長居スタジアムのピッチを支配していた拓実は、昨日のベトナム戦でも獅子奮迅。

 

セレッソのアカデミー育ち、山口蛍が、ワールドカップアジア予選敗退の危機を救うバースデーゴールを決めた2016年10月6日の「日本vsイラク」戦、

 

埼玉スタジアムが揺れたようにも感じた後半アディショナルタイムの興奮を思い出させるような、僕たちセレサポが誇りに思える大活躍を視せてくれた。

 

アジアカップ、いろいろドラマがあるなぁ。

やっぱり国の威信をかけた真剣勝負は、親善試合にはない緊張感があって面白い。

選手にとっても大きな成長の場となるのは間違いないので、ワールドカップで勝つためにも、どの試合も全身全霊、全力を尽くして「アジアチャンピオンの称号を手にする」というミッションを果たして欲しいものだ。