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セラピールーム夢の花のなかぽんです。

ライフストーリーシリーズを綴っています。

 

前回は、引きこもりだった、

私の学生時代のお話をお伝えしました。

 

籠から抜け出し、自由に羽ばたくための選択肢~なかぽんのライフストーリー⑧
https://ameblo.jp/yumenohana0909/entry-12381073057.html

について、綴りました。

 

本日はライフストーリー第9弾

大学生活後半のおはなしです。

 

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大学生活に入り、

親元離れたところで、

自由に羽を広げはじめました。

 

一瞬ですが、

カッコつけようと

テニス部に入りましたが、

根性なしの私には長くは続かず(笑)、

 

どういうわけか、

学校祭の実行委員会に

所属していました。

 

そこでは、

広報部に所属しており、

企業から協賛金を集めるという

仕事をしていました。

 

人付き合いが苦手で、

人見知りな私にも関わらず、

 

企業を訪問し、

協賛金をいただいてくるという、

交渉については、

わくわくして、楽しんでやっていました。

 

好奇心と、冒険心、

その時は無自覚でしたが、

私なりのコミュニケーションを

活かしていたのだろうと思います。

 

自由を得たステージで、

本当の自分の性質や強みということを

垣間見るようになりました。

 

しかし、以前として、

人付き合いは苦手で、

飽きっぽい性質もあり、

実行委員も3年生で辞めてしまいました。

 

そうして、

就職を意識しはじめる、

3年生から4年生にかけての時期。

 

バブルがはじけて、

就職難だと言われはじめた時期。

しかも、団塊の世代ジュニアなので、

人気どころは競争倍率が高くなってました。

 

まず、

私は以前にも書いた通り、

親元から離れる目的で大学に入りました。

 

そもそも、自分の人生の進路を

考えて大学を選んでいないということです。

 

高校生のときも、

大学生のときも、

夢のない人間でした。

 

大学に入って、

自分を取り戻していくのに

精一杯だったので、

大学生活のなかで、

将来について考える機会も

本当に持たなかったのだと思います。

 

夢もビジョンもなく、

やりたい仕事もなく、

人生の方向性や望む生き方など、

まったく、考えもしませんでした。

 

だったら、

母親のいうように、

公務員になればよかったのです。

 

しかし、

私のなかで公務員という選択肢は

ありませんでした。

 

公務員になる意味がわからないし、

安定のためだけに、

公務員を選ぶということは

やりたくなかった。

 

今考えれば、

それは魂が望まなかった

ことなのだとわかるのですが、

 

当時は、

何もわからないけど、

とにかく親の言いなりにはならない!

 

という、反発心だけで

行動していたのだと思います(笑)

 

無鉄砲というか、

あたまが悪いというか・・・

 

 

当時の私の元には

大学三年生になったときに、

リクルートから、カタログショッピングの

カタログよりも分厚い、就職情報誌が

送られてきました。

 

誰にもたのんでいないのに(笑)

 

そして、いくつかの分厚い冊子を

通販でもするかのように、

商品を吟味して、いくつかチェックをいれる。

 

私の将来設計は、

このカタログのなかにありました。

 

社会の事をほとんど知らないばかりか、

夢や将来のビジョンなどの全くない私にとって、

そのカタログのなかから選ぶしか

ありませんでした。

 

 

周りのみんなも、

同じようにカタログのなかから

選んでいく世界。

 

それは、

会社の規模がどのくらい、

転勤はあるのかないのか、

給料はどのくらいか

休みはどのくらいか

 

・・・そんな紙面上の

情報だけがたよりの仕事探し。

 

いま、考えると、

異様な世界に思えます。

 

 

今でこそ、

終身雇用が崩れつつあり、

将来の保障などどこにもありませんが、

 

当時は終身雇用で、

企業のために尽くしてくれる、

素直で立派な働きものが

求められる世界だったのだと思います。

 

生涯のほとんどの人生の時間を

費やし、経済の基盤となる仕事を

カタログで決めるなんて、

馬鹿げていると思いながら、

それ以外の方法を知らないし、

探そうともしなかったのだと思います。

 

いわば、私は

自由にはなったものの、

まだまだ眠っている状態だったのだと思います。

 

 

安定のためだけに仕事を

選ばないのだとしたら、

やりがいのある仕事や

自分の適性にあった仕事を選べよ!!!

 

って、今の私なら、

当時の自分に言うでしょう(笑)

 

安定しているだけの仕事は嫌だけど、

やりがいを見出せる仕事も

見つけようともしない。。。

 

アホですね(笑)

 

 

それで、

私が選んだ選択肢は、

自分に負荷をかけ、

挑戦をするという謎の選択でした。

 

 

人見知りで、

話すのが苦手、

人付き合いがうまくできない私が、

 

営業の仕事を選ぶ。

しかも、営業といっても、

小物を売っても面白くないから、

販売とかではなく、営業で、

売るなら実体のある大きなものを売ろう。

 

・・・と思い、

人生で最も大きな買い物の

家を売る仕事を中心に

選んだのでした。

 

 

完全に自殺行為です。

 

 

大学に進学したことでは、

ただただ、自由になったということだけで、

自由になったとして、自由をいつまでも

謳歌できるほど世の中は甘くはありませんでした。

生きているという実感を

リアルに感じてはいなかったのだと思います。

 

なんせ、

大学に入る前まで、

二次元の世界にいましたからね(笑)

 

 

今まで親が決めてきたこと、

社会のルールや常識に従ってきたことで、

自分の意思表示や主体性を持たないで、

なんとなく生きてくることができました。

 

ところが、

自由を得るということは、

そこから急に投げ出されて、

自己責任、自己判断、自分の意思をもって、

主体性をもち行動するという、

 

どうやっていいか

わかんないところに

来てしまったことを意味します。

 

他人軸で生きてきた人が、

自分軸で生きられるかといったら、

それはなかなか難しいのだと思います。

 

それからの私は、

そこで苦しんでいくことになるのでした。。。

 

20歳を過ぎてからの私は、

マヤ暦の52年サイクルでいうところの、

『黄』のステージの13年間に入りました。

サイクルの最後のステージで、

いわゆる、集大成、収穫の時期というところです。

 

マヤ暦のライフサイクルについては

こちらの記事のまとめ一覧で説明しています。

 

自由を得たのも、

その流れのなかにあり、

抑圧し、籠のなかにいたところから、

とりあえずの自由を得るという、

生まれてからの経験の集大成の

時期にあたります。

 

第一ステージの最終章というところです。

 

社会にでていくタイミングが、

そのステージになるのですが、

まだまだ、眠っているような時期なのでした。

 

就職活動はあまり覚えていませんが、

それほど苦労した記憶はありませんでした。

 

10社ほど受けて、

途中で自分から辞退したところもあり、

結果三社から内定をいただいてました。

 

次回は

社会に出たところのお話しをします。

 

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【なかぽんのライフストーリー記事のまとめ一覧】
https://ameblo.jp/yumenohana0909/entry-12381100675.html

 

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