道(遍路道)は完全に地域の生活道路と一緒となる。車道を進んで行くと道端に古そうな石像が放置されてあった(お寺に安置して「ご本尊」ですと言われればまったく疑わないであろう佇まいだった)、(9:42)
集落を抜けると車道から外れて進むよう遍路シールが貼ってある。その指示に従って左に折れてしばらく進んだ所で「へんろ・う回」という文字が目に入った気がしたので再度 確認のため戻る。「う回路」とは車道をそのまま進めという事だった。(9:46)
この長閑なあぜ道を行かずしてどうして車道(う回路)を行こうというのか!(古文風な言い回しにしたが用法があってるか?非常に不安)、(9:47)
しこうして(調子に乗ってまた古い文言を使った)道は川とフェンスに突き当たる。土地勘のあるワタシには46番浄瑠璃寺はこの川の向こうだという事が判る、しかし上流下流を見渡しても橋が見当たらない。一瞬「う回路」の意味するところが分かったように思ったが「目指す方向」は分かってるのでこのまま進むことにした。(9:49)
ココがまったく知らない土地ならそして今の時間が夕方近くだったら、この道を来たことに後悔したことだろう。あれからまったく遍路シールやリボンの目印がないのと右手で土木工事をしているので、道を失った感がプンプンなのだ。(9:54)
しばらく歩を進めると、遍路接待所があった!来た道は「遍路道」で間違いなかったようだ。しかしガラスの立派な灰皿とコーヒーカップでのお接待とは、ここで休憩すると喫茶店に居るようでなんだか長居しそうな雰囲気だ。(9:56)