前回、前々回と取りあげてきた『神聖喜劇』の作者・大西巨人が差別・抑圧の

構造の理論的把握を試みた批評「分断せられた多数者」(初出『朝日ジャーナル』1974年1月4日・11日合併号。『運命の賭け』晩聲社、1985年収録)の最終回です。

 

大西巨人「分断せられた多数者」―差別による分断と無力化

 これまでにも触れたように、大西巨人は、文学によって部落差別を固定または助長する「意識および無意志の打破」を徹底的に打破する、という「志」を当初から抱いていた。したがって、この批評でも、当然、その最後は「私は、『経済的政治的・文化的可能をはがれ、たえがたい侮辱にさらされている当の人たち』にかかわる若干の記事を引く。その私の心持ちは、『長年月間最大の差別・抑圧・非力化の対象とせられてきた人たちの間においてさえ、情況は、かくのごとし。他については、言うもおろか。』というようなものである。」(1)と述べ、その視線は部落民の方に向けられている。

 ここで言われている「『経済的政治的・文化的可能をはがれ、たえがたい侮辱にさらされている当の人たち』にかかわる若干の記事」とは、「ここにいる人たちはたいてい自分たちは黒人よりも優れているのだと感じて、黒人を蔑視している嫌いがあることが、はっきり読み取れた。」(ヒュー・ディーン『結ばれぬ愛』近代思想社、1949年)、「北摂K村では村内に家格から見て上中下の三流があり、その上と中、あるいは中と下の間では婚縁が行われるが、上と下の間ではほとんど通婚をしない。(中略)また朝鮮人にたいする賤視も甚だしい。」(森田与志「ルポ・北摂K村記」『部落問題研究』1949年8月―10月号)、「この一角は、竹田・深草地区内でさらに『特殊地域』を形づくり、賭博、窃盗、野荒し、喧嘩などの一切の悪の巣窟と不当に見做されており、『竹田の者』に加えられる軽侮と不名誉は、すべて『籔の図子の者』のせいであるかのように、おなじ地区内の者から非難されている。差別される者は、さらに差別の対象を常にみずからの周辺に生み出す」(京都労働経済研究所『未解放部落の労働経済事情―京都市伏見区竹田・深草地区の実態調査』同所刊、1951年)などのことである。

 いずれも、差別される側の被差別部落民も他の「被支配階級各部分」と同じように、「例の『程度・態度の相違』にみずからの異様な執着心ないし愛好心を保有し、その執着心ないし愛好心を陰に陽に発動する」記事であり、「差別」概念の定義においてしはしば引用される『差別の構造』(合同出版、1971年)で、アルベール・メンミが「差別主義者の遣り口はまず告発者と犠牲者間に存在する差異を主張する形をとる。しかしながら、二個体、二グループ間の差異となる特徴を明かすことだけでは差別主義的態度とは言えない。それは要するに人文科学者すべてのやり方の一つだ。差別主義の文脈内では差異の確認はある特別な意味を持ってくる。つまり、差異を強調することにより、差別主義者は犠牲者を共同体あるいは人類から追放し、分離することを強化・実践しようと願っている。」(同書、228頁)と述べたような「差別主義者」の記事である。

 このような被差別部落民のあいだにもある差別主義を顕在化させて、部落解放の課題を明確化しようとする大西の問題意識は一貫しており、小説「黄金伝説」(1954年)では、被差別部落の共産党員の松田兼吾が朝鮮での兵隊生活を新城に話した時に「朝鮮人のくせに、なまいきな」という差別発言を行い、これに対して新城が「『特殊部落民のくせに、なまいきな』というのがたちの悪いまちがいなのとおなじようなものです。」と批判する場面で、それは描かれていた。さらにまた、『新日本文学』1957年7月・8月号に掲載された批評「ハンセン病問題 その歴史と現実、その文学との関係」でも、次のように述べている(2)。

   三、四年前、私は、ある問題に関して未解放部落民側が、官憲に対して、「わ 

  れわれ部落民を癩病患者と同一視した」云々と憤慨して、その差別待遇に抗議し

  たところの一文に接したことである。部落問題と癩問題とは、そこに世人の正当

  な関心が集まりにくいという点において相似していて、しかもその未解決は、日

  本民族の重大な恥部であると、と年来考えていた私は、この一文を読んで特別の

  感慨を覚えざるを得なかった。たぶん官憲は、「部落民と癩病人とは同様に不浄

  である」とかいう意味の恥知らずな放言をしたのであった、と私は記憶する。官

  憲にたいする部落民側の憤激そのものは、むろん正当である。そして部落民と癩

  患者とは、明らかに別個の概念である。ただ私は、そのとき未解放部落民側が癩

  患者にたいする官憲の差別・蔑視にも同時に憤激すべきであった、と考える。

 このような部落民が囚われている差別意識の問題を大西が重視したのは、「例の『程度・態度の相違』にみずからの異様な執着心ないし愛好心を保有し、その執着心ないし愛好心を陰に陽に発動する」ことが被差別部落民の無力化と部落解放運動の「非力化」をもたらすととともに、「支配階級の自己温存・強化に『下から』手を貸し、支配階級の被支配階級分断政策を『下から』促進助長し、『支配せられる多数者』の現実的・能動的『多数者』化ならびに『多力者』化をみずから阻害断絶する」と認識していたからだろう。

 こうした差別による分断と無力化の問題に対する大西自身の格闘の軌跡は、『神聖喜劇』の中にしっかりと刻みこまれているが、高度経済成長期以降の開発政策が取り残され周縁化されていく地域などへの再分配政策へと性格を変えていく中で、行政闘争を通じてその流れに乗り遅れないことを切実な課題としていた部落解放運動の側には、その声は届くことはなかった。しかし、21世紀に入り、西日本に位置する部落で、新興のコリア系外国人学校の建設反対運動が起きたことを考えると(3)、新たな部落解放論の構築のためには、被差別部落民自身が内面化している差別意識の問題に真正面から向き合うことは避けてはとおれないことといえるだろう。そしてまた、そうすることで、部落解放の問題がすべての人々の人間解放の問題であることがより明確にできるのではないだろうか。

 

(1)大西巨人「分断せられた多数者」(『運命の賭け』晩聲社、1985年収録、

   48頁)。

(2) 同  「ハンセン病問題 その歴史と現実、その文学との関係」(『新日本

   文学』1957年7月/8月号)。

(3)被差別部落を舞台に生じたコリア系外国人学校反対運動については、詳しくは

   金南咲季「差異の交錯と構造的差別の顕現―外国人学校建設をめぐる反対運動

   の事例から―」(『共生ジャーナル』第2号、2018年)を参照されたい。