部落解放論と解放文学

 以前のブログ(「大西巨人の解放理論・解放運動論(1)」)でも紹介した部落解放論研究会は、「急激なグローバル化が進行するなかで新自由主義とナショナリズムが日本を席巻し、政治や経済、社会のみならず部落問題をめぐる状況も重大な岐路に直面しています。」という状況認識にもとづいて、2015年7月から開催されている(1)。世界システムの「中核」による「周辺」の支配・抑圧・搾取の再編をともなうグローバル化の進行の中で、①日本国内の「周辺」ともいうべき被差別部落(以下、部落)がどのように位置づけられ、また、「種」観念を色濃く帯びていた部落に対する差別意識がどのように変容しているのか、②部落外への転出者、部落内への転入者の増大に現われているような移動による人々の混合が部落に何をもたらしたのか、③その中で、今日最も緊要な課題となっている部落民としての共同性と連帯性を確保し、集団運動を可能にするためには何が求められているのか、④さらには国民国家に絡めとられない反差別運動のグローバルな連帯のあり方はどのようなものなのか等の問題を追究することは、これまで部落民の一体性を前提にしてきた部落解放論を見直すためには避けることができない重要な課題となっている。

 このような課題に挑むためには、歴史学や経済学だけでなく、哲学・社会学・文学なども組み入れて考えていく必要があり、とりわけ、差別感情の読解を行うには文学の果たす役割はきわめて大きいものがあるといえるだろう。こうしたことから、これから何回かにわたって、作品自体が壮大な部落解放論ともいうべき長編小説『神聖喜劇』の作者・大西巨人が差別・抑圧の構造の理論的把握を試みた「分断せられた多数者」(『朝日ジャーナル』1974年1月4日・11日合併号)、人間的共感の観点から部落解放運動における本質主義的傾向とそれを乗り越えるための提起を批判的に検討した「部落解放を『国民的課題』する一つの有力有効不可欠な道」(『朝日ジャーナル』1988年8月5日号)、中野重治の詩「雨の降る品川駅」をめぐる論議からプロレタリアートの国際連帯の問題に迫った「コンプレックス脱却の当為」(『みすず』第39巻第3号、1997年3月15日および第4号、4月15日)などの批評を取りあげ、これまでの部落解放論が孕む問題点を整理し、新たな部落解放論構築と解放文学創造のための重要課題を探ってみたい。

 

「分断せられた多数者」(第1回)

支配・被支配の構造と被差別部落

 大西巨人は、「文学上の最初の発言」であった評論「『あけぼのの道』を開け」

(『文化展望』1946年9月号)で、部落差別の問題を取り上げ、「『大名』と

か『穢多』とかいう『古語』(?)にそれぞれ適切に対応する新語(?)をも、

僕らは、現代の(貧富ないし階級の差に基づいて生れ出た)多くの名辞の中に、

いくらでも求め得ることができる。そういう情況、このヒューマニズムの全的

蹂躙、人間侮辱の状態・制度は、その意識あるいは無意識といっしょに、徹底

的に打破せられねばならぬ。」(1)と宣言している。

 このように、差別と分断を超える道を模索し続けた大西にとって、当初から文

学活動そのものが部落解放運動の実践を意味していたものと思われるが、その

大西が『神聖喜劇』第六部「迷宮の章」執筆中に、支配・被支配構造の本質と

部落の存在の問題を追究した批評が「分断せられた多数者」(『運命の賭け』晩

聲社、1985年収録。以下、引用は同書に拠る)であった。大西は次のように述べる。

   例の「顔」または「装い」および「名実」の独占的確保掌握に熾烈な執着心を 

  保持する支配階級は、本来的・実質的「多数者」たる被支配階級の現実的・能動

  的「多数者」化ならびに「多力者」化を阻止するべく全力的に対処する。その

  「対処」(各種現実的およびイデオロギー的攻勢)の主要な一つは被支配階級に

  たいする分断政策である。被支配階級分断政策の遂行に際して、支配階級は、前

  記『程度・態度の相違』を巧妙に狡猾に存分に利用する。被差別部落の存在は、

  旧時幕藩体制下においても現時資本主義体制下においても、支配階級による分断

  政策遂行(『程度・態度の相違』利用)の一番露骨陋劣無残な実証である。(4

  6―47頁)

      (略)

   しかるに、またさらになお、如上の情況との密接な相関関係において、下のよ

  うな情況の歴史的・社会的実存も、ほぼ確信的に私に推理させられ想定せられ

  る。―被支配階級各部分は、例の「程度・態度の相違」にみずからの異様な執着

  心ないし愛好心を保有し、その執着心ないし愛好心を陰に陽に発動する。そうす

  ることによって、被支配階級各部分は、支配階級の自己温存・強化に「下から」

  手を貸し、支配階級の被支配階級分断政策を「下から」促進助長し、「支配せら

  れる多数者」の現実的・能動的「多数者」化ならびに「多力者」化をみずから阻

  害断絶する。・・・(47―48頁)

 大西が述べているような「支配階級は、本来的・実質的『多数者』たる被支

配階級が現実的・能動的『多数者』となり『多数者』の『名実』を兼備するこ

とに対して、多大な嫌悪または恐怖を抱懐して対処してきた」(同書、48頁)

方策が差別を利用した「多数者」の分断政策であったことは、北米における奴

隷制の確立の問題についても当てはまる。1676年にイギリス領バージニア

植民地で、ナサニエル・ベーコンをリーダーとする反乱が起きた。この反乱で

は、植民地人口約4万のうち8千もの白人、黒人、ムラートら、若く貧しく土

地を持たない年季奉公人たちが団結し、支配層(植民地総督やプランター)に

対して立ち上がった。この反乱を転機にして、1690年以降になると、バー

ジニアの支配層は、「労働力の問題と極貧層に対する不安を一挙に解決するため

の策略を慎重に練り上げた。彼らは貧民層をいくつかの身分に分け、ある者に

は特権や富を得る道を与え、他の者は永久奴隷の身分に落とした。一つの明確

な分割のポイントは、皮膚の色を中心とする身体上の差異と出自を指針とした

ものであった」(2)。

 このような分断政策と差別の問題を関連づける主張は、部落解放論において

も、すでに戦前から存在していた。たとえば、1931年に開かれた全国水平

社の第10回全国大会で提案された「全国水平社解消の提議―第10回全国大

会運動方針への意見書」には、「抑圧者側に立つ労働者農民の有つ民族的及び身

分的偏見はブルジョアジーによってプロレタリアの階級意識を蒙昧ならしむる

ことに利用されている。殊にファッショ化せる日本帝国主義支配階級は民族的

偏見(朝鮮・台湾・中国の労働者に対する)及び特殊部落民に対する身分的偏

見を階級支配の用具として利用してゐるのである。」(3)と記されている。

 戦後、こうした分断政策論を精緻な部落解放論にまとめあげたのが部落解放同

盟中央本部委員長・朝田善之助であった。「朝田理論」とも呼ばれている「三つ

の命題」の〈第二命題 部落差別の社会的存在意義〉では、次のように述べ

られている。

   部落差別の社会的存在意義はその本質からいって、私的所有の属性として生れ

  たものであるかぎり、封建社会でも、資本主義でも本質的には変わっていない。

  それは部落民を直接に搾取し、圧迫することだけが目的ではない。封建時代にお

  ける身分差別は、経済的には、その時代の主要な生産力の担い手であった農民の

  搾取と圧迫をほしいままにすることと、また、政治的には、その反抗をおさえる

  ための安全弁としての役割を果たさせられたのである。

   明治維新における日本資本主義の初期の段階においては、資本の本源的蓄積の

  手段として部落差別が利用された。今日、独占資本主義の段階においては、独占

  資本の超過利潤追求の手段として、部落民を差別によって主要な生産関係から除

  外し、経済的には、部落民に労働市場の底辺を支えさせ、一般労働者および勤労

  人民の低賃金、低生活のしずめとしての役割を担わせている。また、政治的に

  は、部落差別を温存助長することによって、部落民と労働者および一般勤労人民

  とを対立、抗争させる分割支配の役割をもたされているのである。(4)

 このような部落差別と社会構造との関係性を問うた「朝田理論」は、社会主義の世界的退潮と、共同体の一体性と求心性を確保するための共同体内部にある多様な差異性の消去や、部落差別の特殊性・独自性の強調に潜む排他的傾向から、もはや今日ではあまり語られてなくなっている。しかし、安価な労働力抽出と政治的安定(「分割支配」)の手段として部落差別が創出されたとする「朝田理論」は、人種主義に関してウォーラ―ステインが「資本の蓄積を最大限に増加させたければ、生産費(それゆえ労働力の費用)を最小限におさえると同時に、政治的混乱にともなう費用を最小限におさえる(それゆえ、労働力の異議申し立ては―排除できない以上、排除するのではなく―最小限におさえる)ことが必要である。人種主義はこれらの目標を調和させる魔法の公式である。」(5)と指摘しているように、実はグローバルな差別論へと繋がる可能性を秘めていたのだった。

 大西の場合は、経済的な問題は語られていないが、「被支配階級各部分」が「保

有」する「程度・態度の相違」への「異様な執着心ないし愛好心」という感情と、分断政策の維持や部落差別の存在との相関関係を指摘しているところに特徴がある。このように、部落差別が政治的、経済的な関係に限らず、感情に密接に結びついていることに注目した大西の指摘は、そうした感情が支配的な価値観の内面化により生じた点まで言及されていないことに物足りなさを感じるが、そうした課題も含めて新たな部落解放論の構築にとっては継承すべき重要な提起といえるだろう。

 

(1)大西巨人『大西巨人文選』1新生、みすず書房、1996年、19頁。

(2)オードリー・スメドリー(山下淑美訳)「北米における人種イデオロギー」

   (竹沢泰子編『人種概念の普遍性を問う 西洋的パラダイムを超えて』人文書  

   院、2005年、167頁)。

(3)部落問題研究所編『水平運動史の研究』第4巻資料篇下(同所刊、19

   72年、199頁)。

(4)部落解放同盟中央委員会「『朝田理論』批判に反論する―真の階級的立場とは 

   なにか」(『解放新聞』第463号、1969年10月5日)。

(5)エティエンヌ・バリバール,イマニュエル・ウォーラーステイン,聞き手 マ 

   ニュエラ・ボヤディエフ(翻訳・解題 太田悠介,中山智香子)(「人種主義

   を乗り越えることはできるか―エティエンヌ・バリバールとイマニュエル・ウ

   ォーラーステインの対話」(『神戸外大論叢』73巻1号、2021年4月、

   97頁)。