水平社創立宣言の実像と深部について(4)

―セゼール、サルトル、ファノンを手かがりに―

 

 「水平社創立宣言の実像と深部について」の連載第4回目の今回は、水平社創立宣言における「特殊部落民」という蔑称の使用の問題について考えてみました。

 

はじめに

1 同時代の思想と表現

民族自立運動としての水平社運動(7月8日)

ネグリチュードの誕生(7月8日)

西光万吉、平野小剣の場合(7月19日)

 

2 水平社創立宣言への序曲(略)

「檄―民族自決団」

近代日本と人種主義

  水平社創立宣言の序曲

 

3 「特殊」の中の「普遍」―水平社創立宣言

   水平社創立宣言の成立事情と評価をめぐって(7月29日)

反逆の措辞―「特殊部落民」の使用(8月11日)

   現在の秩序の変革への意志

   集団的アイデンティティの創造

   人間主義への飛翔

 

4 水平社創立宣言の批判と回収(略)

部落民意識運動の失速

水平社創立宣言の全面否定

   部落民意識運動の再生と解体

ネグリチュードの批判―サルトル「黒いオルフェ」

  ファノンとネグリチュード―『黒い皮膚・白い仮面』『地に呪われたる者』

 

おわりに―水平社創立宣言の現代的意味

 

ゆめネットみえ通信

3 「特殊」の中の「普遍」―水平社創立宣言

反逆の措辞―「特殊部落民」の使用

ところで、全文618字の水平社創立宣言の最初は、「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」という言葉から始まっている。いうまでもなく「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」という呼びかけは、マルクスの『共産党宣言』の「万国の労働者団結せよ」からとられている。この「特殊部落」という用語は、明治期、部落を特殊で劣ったものという偏見にもとづいて行政用語として使用された言葉で、創立大会では「宣言」だけでなく、「綱領」にも使われていた。そうしたことから、その夜に開かれた「協議会」では「吾々自身が、特殊部落の文字をあらわすのは、みずからを卑下するものであるからとて」、「綱領」からの「抹殺説」が出された(「全国水平社創立大会記」前掲、146頁)。この意見に対して、「名称によって吾々が解放されるものではない。今の世の中に賤称とされている『特殊部落』の名称を、反対に尊称たらしむるまでに、不断の努力をする」と、この用語の意味を転覆させることの必要性が説明され、「喝采の中に綱領通り保存されることになった」(同前)。

 このような創立大会における「宣言」や「綱領」における「特殊部落」の使用の問題について、全国水平社創立者の一人・阪本清一郎は、「我々が特殊部落民でないと言っても、周囲が一言で特殊部落民であると差別観念を持っているのだから、この表現が必要であると主張したんですよ。」(37)と証言し、同じく創立者の一人・米田富も、「特殊部落ということばを使うことは、自己矛盾があるようで、しかし我々がそう呼ばれている事実が大切だと思いましたね。(略)社会が特殊部落という名称で半ば公然とよんでいることに、勇敢にその思想と闘わねばならん、そのことがまず私ども、自分に闘えということだと受けとったんです。」(38)と証言している。

「特殊部落」と一概にいっても、江戸時代の旧「賤民」はエタ身分の人たちだけではなく、地域によってそのあり方はさまざまであり、「皮多」「藤内」「らく」「鉢屋」等々、呼称もけっして一様ではなく、差別の要因も異なっていた(39)。しかし、差別する側は、さまざまな旧「賤民」身分の人たちを、「個別にひとつずつ否認して時を空費するにも及ばないと考え」、「特殊部落」として「十把ひとからげの侮蔑」したのであった(40)。したがって、自らの尊厳を回復しようとする部落民の闘いも、当然のことながら、そうした人種主義と同一の展望の上に行なわれたのであり、阪本や米田が証言しているように、「特殊部落」という用語の使用には、社会が部落民に対して与えた差別的な蔑称を自分たちのものとして引き受け、それを反逆の措辞に代えようという強い決意が込められていたのだった。

このような自分たちがめざす解放運動の方向を明らかにするために蔑称を敢えて使用したような例は、全国水平社だけではなかった。たとえば、「ネグリチュード」という言葉を生みだすことによって蔑称とされていた「黒人(仏語ではNegre,ネグル)」という言葉を転換させて新たな価値を吹き込んだセゼールはもちろんのこと、南アフリカの反アパルヘイトの闘いにおいても、蔑称として使われることが多かった「黒人(Blacks)」という用語に積極的な意味を込めて使ったスティーブ・ビーコの「黒人意識運動」等々があげることができる(41)。

自己を貶められた存在に仕立て上げた歴史をわがものとして受け入れ、それに対する反逆の意志を示すために敢えて差別的な蔑称を使用するということは、差別され抑圧された集団・民族の解放運動の第一段階として不可避な道であった。そして、その道は、当然のごとく、この用語の意味を転覆させ、自己の集団の中から誇るべき要素を汲み取る道へと繋がっていたのだった。

 

(37)前掲『証言・全国水平社』109頁。

(38)  同前、109―110頁。

(39)網野善彦『「日本」とは何か』(講談社、2000年、42―43頁)。

(40)フランツ・ファノン『地に呪われたる者』(前掲、120-121頁)における「思考態度の人種化」の指摘を参照。

(41)峯陽一「アメリカ合衆国と南アフリカ共和国の『ブラック・パワー』 交差し分岐する二つの世界」(『立教アメリカン・スタディーズ』第36号、2014年、62―63頁)。