一人一人の存在の重み―善野烺『旅の序章』再論(2)
―中上健次と徳田秋声(終)―
長編小説「旅の序章」
善野烺さんの作品集『旅の序章』に収録されている同名の長編小説「旅の序章」は、文芸誌『革』の第26号(2016年12月)に第一部、第27号(2017年8月)、第28号(2018年2月)に第二部、第30号(2019年2月)に第三部が掲載されました。これまでの善野さんの創作活動の集大成ともいうべき「旅の序章」のあらすじとは、次のようなものです。
(第一部)主人公の時本は、神戸市内の農村地域に存在する被差別部落(以下、部落)の出身で、大学卒業後、ビニ本(ポルノ写真集)を主力商品とする書店に就職、新規開店した長崎店に赴任する。そこで、定宿となったビジネス旅館の女主人から被爆体験を聴く。また、仕事終わりに立ちよった屋台のラーメン店「愛ちゃん」の店主の女性や車椅子の吉田青年と出会う。吉田と一緒にポーランドの労働組合の指導者「ワレサ」が平和公園を訪れるのを見に行き、吉田からカトリックの洗礼を受けることを打ち明けられる。店の昼勤のおじさんの矢沢とスタンド・バーに飲みに行った時には、矢沢から戦時中の軍隊における捕虜刺殺と部落差別の話を聞かされる。本部に帰る前日、スタンドバーを訪れ、店のママと一夜限りの関係を持つ。
(第二部)時本は西宮市のコンビニに転職し、「ムラ」(部落)のなかにある
アパートに住むようになる。そこで様々な出会いを体験する。駅の下のトンネルで、自転車に乗った男とトラブルとなり、相手は時本を「ムラ」の人間と間違える。時本は路地の中にある食堂「かよちゃん」の女将、その中学一年生の娘、喫茶店「アルル」で働く「ムラ」の若い女性「杉本恵子」と出会い、恵子とは恋愛関係になる。また、時本を「ムラ」の人間と間違った男が食堂の女将の元夫で、「ムラ」の「不良少年」を陰で操り、「ゴロ新聞」でゆすりを働いていることを知る。
(第三部)万引き事件をきかっけにコンビ二を辞めた時本は、教職員免許取得をめざして実家に戻って勉強生活に入る。恵子とは疎遠となり、恵子は入学した定時制高校を辞め、男と和歌山にいるらしいと「かよちゃん」の女将から告げられる。29歳で教員免許を取得し、県の採用試験は二次試験で不合格になったが、私立のキリスト教の女子高に就職する。33歳で結婚し、子どもも産まれる。その後、阪神淡路大震災後のカトリック教会が拠点となっているボランティア活動に参加した時、司祭となった吉田青年と再会。震災で「ムラ」が甚大な被害を受け、「かよちゃん」の女将が倒壊した店の下敷きになって死んだことを知る。西宮の「ムラ」を訪ね、「かよちゃん」のあったあたりが更地になったのを見て茫然とし、「さよなら、お世話になりました。」と手を合わす。西宮駅へ戻る道々、「僕の中で何かが一つ終わったのだ」とつぶやいたところで、作品は終わる。
この長編小説「旅の序章」を収録した作品集が出版されてから約3カ月後、善野さんは自らの作風について、「時代の突きつける課題と日常生活とのきしみ合いのなかから紡ぎ出す表現が文学の本性だと考えるし、少なくとも私の場合、創作のモチーフはそれ以外になかった。」(「文芸誌『革』と歩んだ40年」『解放新聞』2020年11月15日)と述べています。「旅の序章」はそうした善野さんの考えを具現化した作品であったといえますが、それはまた、「文学として直接に取り組むのは人生であって、社会とか政治といふものは、人生をとおして浮かびあがってくるものにして、はじめてそれが文学の上に生きて来るのではないかと考えるのだ。」(徳田秋声「文学の精神」『徳田秋聲全集』第22巻、八木書店)と語る徳田秋声の考えに相通じるものであったといえるでしょう。
徳田秋声との共通点は、それだけではありません。秋声と同じく善野さんも、作品に登場する人物を高所から見下ろすようなことはしていません。むしろ、一人一人の存在の痛みや重みに共感しようとしています。たとえば、一夜限り関係にすぎなかった「スタンドバー」のママに対しても、主人公の時本は「この女の孤独を僕は知らないし、知ったところで、また、それをどうすることもできない、という思いが、なぜかはっきりと頭に上り、こうしてぴったりと身を寄せながら、僕は自分以外の『他者』の圧倒的な存在感に、うちのめされるように感じたのだ。」と語ります。
このような場面は、時本が屋台のラーメン店「愛ちゃん」の店主の姿を見た時の印象や、吉田青年のカトリック洗礼を受けるという告白に対する時本の反省にも描かれています。そこには部落に生まれたことに対する葛藤を人間的共感の広さへ転換させようとしてきた作者・善野さんの心の繊細さと温かさか感じとれ、これこそが善野の作品に共通する大きな特色であると、私は思っています。
以前のブログでも触れたように、徳田秋声の『縮図』について、広津和郎は「作者はどの人物もとがめてはいない。実際女を捨てる男、男を捨てる女さえとがめてはいない。超然として上から見下ろすような立場からではなく、彼達、彼女達に即して蹤(つ)いて行きながら、この世に生きる人間のいろいろな姿にうなづいているのである。」(「徳田秋声論」前掲書、426頁)と述べましたが、善野さん本人はまったく意識していないと思いますが、善野さんの作風はこのような「秋声リアリズム」を確実に繋がっているといえるでしょう。
解放文学の時代
善野さんは、この作品でも日常生活の中で出会った様々な人たちを誇張のない筆致で描いていますが、特に注目すべきは、西宮のコンビニに転職した時に住んだアパートがあった「ムラ」(都市部落)とそこの多彩な人物の描写です。乾物の卸商、精肉店、鮮魚店、クリーニング屋、金物屋、酒屋、食堂、喫茶店、駄菓子屋、「普通の寺とは格が違う寺」など、「普通の住宅街と違って、濃い生
活臭が漂っている」という「ムラ」の特質と「この地区の持つ桁違いの力」が簡潔に描かれる。また、時本の「居場所」になる食堂「かよちゃん」の女将、直截な物言いをする女将の下の娘、「話があちらこちらと飛びながらも、全くそれが無駄に終わることなく、上手に」話す煙草屋の老婦人等、部落に実在していそうな人物が次々と登場してきます。とりわけ、困難な状況の中をしたたかに生きてぬいてきたことを思わせる食堂の女将の存在感は圧倒的です。
これまで善野さんは、作品の中で部落そのものを取りあげて描いておらず、私はそのことに物足りなさを感じていましたが、この作品では、西宮の部落が実に生き生きと描かれ、登場人物も部落民の肉体を持つ人たちです。神戸市内の農村部落で生まれ、部落解放運動に参加して都市の大部落を知った善野さんならではの表現であり、高く評価できるものです。改めて善野さんの力量に感心せざるを得ません。
そして、この長編小説「旅の序章」は、映画のラストシーンを思わせる次のような印象的な場面で締めくくられます。
「あの街も震災で甚大な被害を受けた。高層の改良住宅は何とか持ちこたえたのだが、木造の古い建物はほとんどが倒壊してしまった。
『かよちゃん』があった建物もやはり強震に耐えられず倒壊してしまった。あの地震があった未明になぜ、女将が改良住宅ではなくて、店
の奥の座敷にいたのかわからないが、あの地震で彼女は倒壊した建物の下敷きになって死んでしまった。(略)
電車が復旧してから、大阪に出張があったときに、帰りに西宮駅で降り、あのあたりを歩いてみた。『かよちゃん』のあったあたりは、すっ
かり更地になっていた。僕は茫然と突っ立ち、あたりを見回した後、『さよなら、お世話になりました。』とつぶやいて手を合わした。
駅へ戻る道々、僕の中で何かが一つ終わったのだ、という思いがしきりと浮かんで仕方がなかった。ホームの街の方を見ると、遠くに六
甲の山並みが夕暮れの空に黒々と続いていた。」(409―410頁)
都市部落の生活文化を体現したような食堂の女将の死と路地の消失が重ねられ、時本の人生における「旅の序章」の「終わり」とともに、部落の一つの時代の「終わり」をも暗示させる見事なラストです。
このような路地の消失と部落の生活文化の解体は、この作品で描かれている西宮の部落だけでなく、開発政策・運動によって各地の部落で起きていました。路地の消失を「かつて昔、とろけるように甘い共同共生の歌の響いた異界の残滓の場所というまことに不幸極りない廃墟である」(「異界にて」『中上健次エッセイ撰集[青春・ボーダー篇]』恒文社、21、2001年)と表現した中上健次は、死去する半年前に『地の果て 至上の時』で路地の解体を見届けて姿をけした「秋幸」を「いったん路地に戻してと、(略)俺も体軀治しながら、『秋幸』と路地で一緒に住むような形で書く」と語っていたそうです(「聞き書き 松根久雄 中上健次との体験」『熊野誌』39号、1994年)。また、善野さんが尊敬している部落出身の作家・土方鐵さんの後任の『解放新聞』編集長・笠松明広さんは、「戦後の京都の部落を舞台にした全体小説を書くというのが、解放新聞の編集長を辞してからの土方さんのライフワークだった。」(「追悼 土方鐵さん」『土方鐵さんをしのぶ会』2006年4月1日)と語っています。いずれも実現できないままに終わってしまい、その大きな課題は私たちの前に遺されています。
未完に終わったとはいえ、川端康成が「近代日本の最高の小説」と評価した『縮図』を徳田秋声が書いたのは、71歳の時です。これからの解放文学の確かな道筋を示すためにも、善野のさらなる挑戦に、私は期待しています。この連載「中上健次と徳田秋声」の第1回「困難な立場にある人への視線」で紹介したように、かつて中上は「秋声リアリズムがいま、文学の流れの最先端で息をしはじめている。(略)秋声リアリズムが、小説の世界の焦点になるのはこれからである。」(前掲「自然主義の精神」)と語りました。そして、それから約40年、「解放文学が、小説の世界の焦点になるのはこれからである。」と、私が確信しているからなのです。