(大学を続ける気がないのなら、いっそやめてしまってもいいのではないか)
心がそうささやきかけてきた。
すでに大学を中退することを決めていたわけだが、阪神淡路大震災も含めて、結局色々あるうちになんとなくタイミングを逸してしまい、この時までずるずると先延ばしにしていた。
が、それもここまでだ。このあたりで男らしくけじめをつけることにした。
きっぱりと大学を切り捨てることで、ドルフィン・センターにのみ焦点を合わせる覚悟を固めた。
かと言ってやめたのちに具体的になにをするか案があったわけではない。とりあえずやめてみて、なにかが動き出すのを待つ。
これまでもずっとそうであった。先に行動があって、結果はあとからついてきた。
特に計画があって沖縄やソロモンへ行ったわけではなく、飛び込んでみて初めて扉が開いたのだ。
「いまなら分かるが、無銭でソロモンへ行こうとしたあの時はやはり運命に試されていたのだ」
ぼくが未知に踏み出すのを見て、運命の神は満足の笑みを浮かべたのだ。
従って今回も同じかもしれないと思った。大学をやめてから次の道が示されるのだろう、と。
後輩と乱取りをしているふりをするぼく。写真のためにポーズを取っているだけ(神戸大学鶴甲 1992年)