いつのまにか
4月はじまりの予定帳を
使うようになったのだけど
今、100均で予定帳も売ってるのね~。
最近はスマホのカレンダーに
書き込むことが多いので
簡易さがきっと丁度いい。
予定帳で思い出したことがあるのだが
それを語る前に
背景から話そうと思う。。。
(`・ω・´)
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私が最初の離婚を決めた時
未成年で結婚し、以来
専業主婦だった私は住む場所さえ
自分で確保できず
所持金といえば
結婚前に自分が持っていた
わずかな分だけだったし
母は、私の離婚がどうにも許せず
離婚の話をしようとすると席を立って
帰ってしまうほどだった。
なので
離婚に関して実家を頼るなど
もってのほかで
身内からは四面楚歌の
孤立無援で離婚したのだが
その話↓
孤立無縁なだけならまだマシで
冷たい仕打ちが待っていた。
身内は夫側に居る私の息子と
会えなくなると思い込んだり
勝手に良からぬことを想像して
私に冷たく当たった。
↑話を聞いてくれないから余計にそうなる
離婚が許せない母は、
逆に私の話を聞かないことで
好きなように私に当たりたかったのだと思う。
なぜなら、私の父は
ギャンブル・愛人・暴力の問題山積みの人で
母はそんな夫と激しい愛憎にまみれながら
離婚しない選択を貫いてきた。
↓父のこと。何度もご紹介してるけど。
母は私が離婚して幸せになるなど
許せるわけがないのだ。
自分が離婚せず耐えに耐えて
信じてきた世界が崩れてしまうから。
離婚した後
私は友達に助けられながら
何とか生活をしていたが
先の見えない苦しい日々だった。
それでも
私と息子は離婚前と同じ頻度で
実家に泊まりに行っていたので
息子と私の実家との関係は
それまでと変わらなかったし、
息子と実家のために
変わらないようにすると
夫と決めて離婚したのだが
言語道断の母が
それを分かってくれるはずもなかった。
母が(父も)私に隙があれば
冷たく当たろうとしているのを
ヒシヒシと感じて
私は実家に行くのが嫌でたまらなかった。
でもこれも反対を押し切って離婚した罰で
息子が成長するまでの
年季奉公だと思って我慢していた。
息子に会えることはとても嬉しかったので
それを励みに耐えていたが
実家への拒絶反応なのだろう、
行きの電車で咳が止まらなくなるのが常だった。
つづく